“一緒にパンを選ぶ”だけで嬉しい(紗月)
朝のレストランは、昨夜とはまるで違う雰囲気だった。
明るい光が差し込む窓際の席。
海が見えるテラスには、楽しそうなカップルや家族連れが並んでいる。
……わたしたちも、そう見えてるのかな?
そう思いながら指さした席に、蒼真が頷いてくれた。
並んで座るのは、少し照れくさいけど、昨日よりも自然に感じた。
「……朝だから、ちょっと気楽だね」
彼がそう言ったとき、思わず笑ってしまった。
“一時的な夫婦役”のはずなのに、こういう何気ないやり取りが、嬉しくて、少しだけ切なかった。
料理を取りに行くと、焼きたてのパンや卵料理、フルーツが並んでいた。
海外らしいメニューに、旅の非日常を感じる。
クロワッサンを選んだとき、蒼真が「俺もそれにする」と言ってくれた。
……合わせなくていいのに。
そう思いながらも、ちょっとだけ嬉しかった。
席に戻ると、コーヒーの香りがふわりと広がった。
蒼真がカップを手にして、ちらりとわたしを見た。
「ねえ、昨日の夜、“おやすみ”って言った?」
「……心の中で、言ったかも」
「……わたしも」
その言葉に、胸がきゅっとなった。
……通じてたんだ。
「じゃあ、今日も一日、“夫婦”としてがんばろうか」
「うん。“仮の夫婦”だけど、ちょっと本気で演じてみる?」
「……それ、演技じゃなくなりそうで怖い」
「ふふ。怖いってことは、ちょっと嬉しいってこと?」
そのやりとりが、昨日までとは違って感じた。
言葉のひとつひとつが、心に触れてくる。
このまま、時間が止まればいいのに。
そんなことを思ってしまう自分が、少し怖かった。
でも——
蒼真が、わたしの選んだクロワッサンを見て、ふと笑った。
「……昨日の夜、思ったんだ」
「え?」
「“このまま、時間が止まればいいのに”って」
その言葉に、わたしは一瞬、息を呑んだ。
……言ってないのに、同じことを考えてた。
偶然かもしれない。でも、それが嬉しかった。
ただ、彼の顔を見つめて、そっと笑った。
……やっぱり、通じてたんだ。




