朝が来てほしくない、と思った(紗月)
部屋の明かりを落とした瞬間、世界がふっと息をひそめたようだった。
カーテンの隙間から差し込む月明かりが、床に淡い影を落とす。
波の音が、遠くからかすかに聞こえる。
まるで、心の奥にそっと触れてくるような、優しい音だった。
隣のベッドからは、蒼真の寝息。
そのリズムが、妙に心地よくて、でも同時に胸を締めつけた。
……寝たのかな?
わたしは天井を見つめたまま、まばたきもせずに時間を数えていた。
眠れない。
目を閉じても、心がざわついて、落ち着かない。
今日一日、何度も自分に言い聞かせた。
「これは“舞台の上の恋人役”なんだ」って。
空港での再会も、機内での“夫婦”のふりも、ホテルでのチェックインも、全部“演技”の一部。
そう思えば、少しは気が楽になるはずだった。
でも——
夕食のとき、蒼真がふと見せたあの笑顔。
「後悔しないようにしたい」って言ったときの、あのまっすぐな目。
あれは、演技じゃなかった。
少なくとも、わたしにはそう見えた。
……あの言葉、本音だったのかな?
もしそうなら、わたしはどうすればいいんだろう。
この旅を、ただの“絵空事”のままで終わらせるのか。
それとも——
視線を横に向けると、クッションで仕切られたベッドの境界線が見えた。
たった数十センチの距離。
でも、その向こう側に踏み出す勇気は、まだ持てなかった。
この距離が、今のわたしたちの関係そのもののように思えた。
思い返せば、子どもの頃からずっと一緒だった。
夏祭りの帰り道、手をつなぎたかったけど、できなかった。
高校の文化祭、二人で準備した教室の飾り付け。
あのときも、何かを言いかけて、結局言えなかった。
ずっと、踏み出せなかった。
そして今も、同じ場所に立っている気がする。
……このまま、朝が来ればいい。
そう思った。
でも、心の奥では——
“朝が来てほしくない”と願っている自分もいた。
この夜が終われば、何かが変わってしまう気がして。
その思いが、まるで波のように心に寄せては返していた。
でも、変わらないままでいることも、きっともうできない。
この旅が終わったら、元の関係には戻れない気がする。
それでも、今は——
この夜だけは、何も変わらずにいてほしい。
蒼真の寝息を聞きながら、わたしはそっと目を閉じた。
心の中で、誰にも聞こえないように、そっと願った。
「……もう少しだけ、このままでいさせて」




