「“一時的な夫婦”でも、笑える夜」(紗月)
レストランの窓際席に通されたとき、わたしは思わず息を呑んだ。
キャンドルが揺れていて、テーブルには白いクロス。
窓の外には、夕暮れの海。
……ほんとに、来ちゃったんだ。
隣には蒼真。
少し緊張した顔をしているけど、わたしも同じだった。
「……すごいね、雰囲気」
そう言ってみたけど、声が少し震えた。
でも、蒼真は「うん」と笑ってくれた。
“一時的な役割”だから。
何度もそう言い聞かせてきた。
でも、こうして並んで座って、コース料理を食べていると、“仮装のような関係”のはずなのに、心が少しずつ動いてしまう。
彼が驚いた顔をして笑う。
その笑顔が、昔と変わっていなくて、胸が痛んだ。
……楽しい、って思っていいのかな。
デザートのチョコレートムースが運ばれてきた頃、わたしは思わず口を開いた。
「……“一時的な役割”でも、こうして一緒に食事できて、嬉しい」
本音だった。
でも、言った瞬間、また怖くなった。
蒼真は何も言わず、ただわたしを見ていた。
その沈黙が、優しくて、切なくて——
この旅が終わったら、どうなるんだろう。
そんなことを考えてしまう自分が、少しだけ嫌だった。
蒼真の沈黙が、何かを語っているように感じた。
それは、言葉よりも深く、静かに胸に響いた。
わたしはスプーンを置き、彼の横顔をそっと見つめた。
キャンドルの灯りが揺れて、彼の瞳に映る光が、まるで答えのようだった。
——この旅が終わっても、心は終わらないかもしれない。
そう思った瞬間、わたしの中で何かが静かにほどけていった。




