クッションで仕切る“夫婦の距離”(蒼真)
部屋のドアが閉まった瞬間、俺は小さく息を吐いた。
この沈黙は、予想していたものだった。
でも、紗月がどんな表情をしているかは、見なくてもわかる気がした。
……やっぱり、ツインは無理だったか。
フロントで声が重なったとき、少しだけ驚いた。
紗月も同じことを考えていたんだな、と。
でも、それは“安心”ではなく、“警戒”の証だった。
俺はクッションを並べて“境界線”を作った。
それは、彼女のためでもあり、自分のためでもあった。
「……修学旅行みたい」
そう言ったのは、空気を和らげるため。
でも、あの言葉には、もうひとつ意味があった。
——“あの頃”に戻れるなら、戻ってみたいという願望。
窓の外の夕暮れが、彼女の横顔を照らしていた。
その光景に、胸が少しだけ痛んだ。
……俺は、何をしてるんだろう。
“仮の夫”という役割。
それは、俺が望んだものだった。
でも、紗月には言っていないことがある。
ツインルームに変更できないよう、ホテルに事前に連絡しておいた。
紗月が気づいていないこと。
それが、俺の“トリック”だった。
……この距離を、少しずつ縮めたい。
でも、それを言葉にする勇気はなかった。
紗月の過去も、俺の過去も、簡単にはほどけない。
「“舞台の上の恋人役”だから」
紗月の言葉に、胸が少しだけ締めつけられた。
俺は、舞台の上で“役”を演じているつもりはなかった。
——本気だった。
クッションの向こう側にいる彼女。
その距離が、もどかしくて、愛おしかった。
……この旅の終わりに、彼女は俺をどう見るんだろう。
俺はそっと、ベッドの端に腰を下ろした。
クッションの境界線が、まるで心の壁のように見えた。
でも、俺は知っている。
その壁は、いつか崩れる。
——俺が崩すつもりだから。




