クッションで仕切る“夫婦の距離”(紗月)
部屋のドアが閉まった瞬間、空気が変わった。
外のリゾートの華やかさとは違って、室内は静かで、そして重かった。
……ここが、舞台の始まり。
ダブルベッド。
クッションで仕切った“境界線”。
それは、わたしたちの関係を守るための小さな防波堤。
「……修学旅行みたい」
と、蒼真が笑う。
わたしも、つられて笑った。
でも、心の中では複雑だった。
“絵空事のような旅”という言葉に、どこか逃げ道を作っている気がして。
窓の外には、夕暮れの海。
オレンジ色の光が、部屋の壁に柔らかく差し込んでいる
……この線を、越えることはあるのかな。
そんなことを考えてしまう自分が、少し怖かった。
でも、蒼真の隣にいると、昔の記憶がよみがえる。
小学生の頃、転んだわたしに絆創膏を差し出してくれたこと。
中学の帰り道、一緒にコンビニに寄ったこと。
高校では、少しずつ距離ができて——
そして、“許嫁”という言葉に縛られていったわたし。
あのとき、もっと素直だったら。
でも、今の蒼真は、あの頃の蒼真じゃない。
わたしも、もうあの頃のわたしじゃない。
「“舞台の上の恋人役”だから」
そう言い聞かせるたびに、胸の奥が少しだけ痛む。
蒼真の優しさが、本物に見えてしまう。
怖いけど、今だけは——
この“借り物の関係”の中でだけは、彼の隣にいてもいいと思ってしまった。
わたしはそっと、ベッドの端に腰を下ろした。
クッションの向こう側には、蒼真の気配。
近くて、遠い。
それが、今のわたしたちの距離だった。




