CAさんに“ご夫婦”って言われた(紗月)
飛行機の座席に腰を下ろした瞬間から、心臓の鼓動が少しだけ速くなっていた。
隣には蒼真。
幼馴染で、今は“仮の夫”という役割。
でも、そんな関係を現実に言葉で突きつけられるとは思っていなかった。
「オレンジとコーヒーですね。ご夫婦でお揃いの席、素敵ですね」
CAさんの笑顔とその一言に、わたしは思わず背筋を伸ばした。
……そうだよね。そういうプランで来てるんだもん。
でも、実際に言われると、胸の奥がざわついた。
「はい」と答えた自分の声が、少しだけ他人のものに聞こえた。
蒼真の隣で“妻”を演じることに、まだ慣れていない。
でも、彼の視線が優しかったから、少しだけ安心できた。
「慣れてるね、紗月」
彼の言葉に、わたしは笑ってみせた。
「ふりをするだけだから」
そう言いながら、コーヒーに口をつける。
でも、手が少しだけ震えていた。
そのとき、機体が揺れた。
蒼真のオレンジジュースがこぼれ、彼が慌ててティッシュを探す。
「大丈夫? 服、濡れてない?」
思わず声が出た。
手を伸ばして、ティッシュを差し出す。
その距離が、さっきまでよりずっと近く感じた。
「“夫婦”なんだから、これくらい当然でしょ?」
蒼真の冗談に、わたしはくすっと笑った。
でも、心の奥では、何かが少しずつ変わり始めていた。
……この距離感、嫌いじゃない。
“仮装のような関係”のはずなのに、彼の隣にいることが、少しだけ心地よくなってきている。
それが、怖かった。
でも、今だけは——
この旅の中だけは、少しだけ甘えてもいい気がした。




