婚約破棄された令嬢と、まだ何も知らない幼馴染(蒼真)
春の風が、窓の隙間からそっと入り込んできた。
まだ肌寒いけれど、空気はどこか柔らかくて、季節が変わる予感がした。
俺――青葉蒼真は、自室で参考書を開いていた。
受験も終わり、進路も決まり、あとは卒業式を待つだけ。
そんな、何の変哲もない午後だった。
「蒼真、いる?」
窓の外から、聞き慣れた声がした。
隣の家の、槙島紗月。
俺の幼馴染だ。
「いるけど。なんか用?」
「ちょっと、話があるの」
制服姿の紗月が、庭を通って窓辺に立った。
髪を風に揺らしながら、少しだけ真剣な顔をしている。
「……婚約、決まったの」
その言葉に、俺はページをめくる手を止めた。
知っていた。
紗月が18になったら、家の決めた相手と結婚するって。
昔からそう言われていたし、紗月もそれを当然のように受け入れているように見えていた。
「……おめでとう、って言っとくべきか?」
「うん。ありがとう」
紗月は、少しだけ笑った。
でも、その笑顔はどこかぎこちなくて、俺は言葉を探した。
「……相手って、どんなやつなんだ?」
「まだ会ってないの。顔合わせは来月」
「そっか。じゃあ、まだ“未来のパートナー”ってやつか」
「そうね。……でも、ちょっと怖い」
紗月がそんなことを言うのは、珍しかった。
彼女はいつも、強くて、完璧で、俺なんかよりずっと大人だった。
「……昔さ、庭で“結婚式ごっこ”したの覚えてる?」
「え? ああ……あれか。タオルかぶって、花束持ってたやつ」
「そう。わたしが“花嫁”で、あなたが“花婿”」
「子供の遊びだろ。そんなの、真に受けるもんじゃないって」
「でも、わたしは覚えてる。ずっと、覚えてたの」
紗月の声が、風に混じって、少しだけ震えていた。
その瞬間、俺の中で何かが揺れた。