契約夫婦、演じる条件(蒼真)
桐島家の応接間。
俺は、再びその革張りのソファに座っていた。
テーブルの上には、分厚いファイル。
航空券の控え、ホテルの予約確認書、そして――契約書。
「このプランは、夫婦限定の特別サービスなの。空港やホテルで“夫婦として振る舞うこと”が条件になっているの」
「……具体的には?」
「空港では夫婦専用ラウンジの利用。ホテルでは、夫婦名義でのチェックイン。さらに、カップル向けのイベント参加が義務づけられているわ」
「イベントって……何をするんですか?」
「カップルディナー、記念撮影、愛の誓いセレモニーなど。参加しないと、プランが無効になる可能性もあるの」
俺は、契約書の文面を見つめた。
“夫婦または婚約者としての参加が前提”――そう書かれていた。
「……つまり、俺と紗月が“夫婦のふり”をしないと、契約違反になるってことですか?」
「そういうこと。もちろん、舞台裏の本音は自由よ。現地スタッフも形式的な確認しかしないから」
俺は、深く息を吐いた。
これは、ただの旅行じゃない。
“演じること”が、契約上の義務なんだ。
「……わかりました。ちゃんと演じます」
その言葉に、美鈴さんは微笑んだ。
「ありがとう。紗月も、きっと安心するわ」
俺は、紗月の方を見た。
彼女は、黙ってうなずいた。
その表情は、少しだけ緊張していて、少しだけ期待しているようにも見えた。
(……俺にできるのか? “夫”のふりなんて)
でも、彼女の隣にいることが、“ふり”じゃなくて、少しだけうれしい
――そんな気がしていた。




