婚約破棄された令嬢と、まだ何も知らない幼馴染(紗月)
「婚約は、なかったことにしましょう」
その一言で、わたしの18年間が音を立てて崩れた。
応接間の空気が、急に冷たくなった気がした。
父の手が、テーブルの上でぴくりと動く。
母は何も言わずに紅茶を見つめている。
「……理由を、伺ってもよろしいでしょうか」
父の声は静かだった。
でも、その奥にある怒りは、わたしにもはっきりとわかった。
「お察しの通りです。週刊誌の件が事実であると、確認が取れました」
相手側の父親が、深く頭を下げる。
その姿を見て、わたしはようやく理解した。
――本当に、終わったんだ。
婚約者の家が、経済スキャンダルに巻き込まれた。
裏口入学、脱税、政界との癒着。
週刊誌の見出しは、まるでドラマのようだった。
でも、それは現実だった。
わたしの“未来”は、あっけなく消えた。
「……紗月」
母が、わたしの名前を呼んだ。
わたしは、ただ小さくうなずいた。
「わかりました。……本日は、ありがとうございました」
それだけ言って、わたしは席を立った。
足元が少しふらついたけれど、顔には出さなかった。
部屋を出て、廊下を歩いて、自分の部屋に戻る。
ドアを閉めた瞬間、膝が崩れた。
――終わった。
でも、何が終わったのか、まだよくわからなかった。
結婚? 婚約? 家の期待?
それとも、わたしが“誰かのために生きる”という生き方そのもの?
ベッドに倒れ込んで、天井を見上げる。
涙は出なかった。ただ、胸の奥が空っぽだった。
そして、ふと思った。
――あの旅行、どうなるんだろう。
式の後に予定されていた、豪華なハネムーン。
ファーストクラスの航空券、五つ星ホテル、夫婦限定のプラン。
あれも、全部、なくなるの?
……違う。あれは、もう“予約済み”だった。
キャンセル料も、きっと高い。
母が言っていた。「せっかくなら、誰かと行ってきたら?」って。
でも、誰と?
そんなの、決まってる。
――蒼真しか、いない。