『ジビエ料理に愛を込めて』
「良いジビエが手に入った」
端的にそう言い、黒檀の長机の上の包みを一瞥したのは。
オズワルド・ラヴァン・ヴァルクル侯爵。
ティタンの血が流れているとも噂される大柄な紳士は、感情の読めない瞳を対面に座っている巨漢に向ける。
「倅の子守り賃とでも思っておけ。ギリアム」
「……ギリク、だ。ご主人様よお、いい加減に猟犬の名前くらい覚えらんねえのか?」
「では、犬。それを持って、仕事に励め」
犬呼ばわりにも、ギリクは無言で立ち上がると包みを持って、その場を退散した。
◇◇◇
「………。剣王国No.1の恐怖の侯爵様は相変わらず、おっかねえ」
さっさとこんなところ、ズラかるに限る。
手に汗をかきながら、ギリクはゆっくりと長い廊下を進んだ。
地獄の底から這い出す罪人のように。
◇◇◇
「父上との謁見。お疲れさま。それはお駄賃かい?」
『石の家』の隣。従業員用の建物の部屋でたっぷりとこの世の空気の旨さを味わっていたギリクに、アルフレドはにこやかに笑いかけた。
地獄はどうだった?と問いかける面だったのがまた、腹立たしい。
「早く孫の顔がみてえ、ってよ。甲斐性なしの息子のことを心配してたぜ?」
伯爵の表情が固まる。
痛いところを突かれて、咄嗟に何も返せなかったことで、鼻頭に皺がよる。
「……レディには、優しい主義なだけさ」
「それで? その主義主張はあと何年続くんだよ、おぼっちゃま?」
室温が上昇する。
「丸焼きをご所望かな? それともステーキ?? ミディアムでも、ウェルダンでもご用意可能ですが? いかがなさいます、お客様?」
アルフレドの瞳には灼熱。
それを涼しげに流して、ギリクは侯爵に持たされた包みを開けた。
「こいつは確にいいジビエだな。ハーティピジョンかよ……。ウィスが見たら、ご機嫌だな」
「……父上。駄賃にしては高すぎます」
そして、この鳩にはこういう格言がある。
『愛しい人に愛の言葉を運びたまえ』。
「要はやっぱり、おまえの親父さんは『いい加減、早く結婚するなり、婚約しろ』って催促してんじゃねえか!! 告白もできねえ臆病伯爵!!」
今度は、室温が急速低下。
「わ、私だって。私だって、私なりのやり方で愛を示している!!」
「それにあの嬢ちゃんは一度だって気付いたかよ? 俺が猟犬になってからも、その前もだぜ?」
「……だって、レニスが。鈍いのが──悪い」
蚊の鳴くような声を聞き逃さずに、ギリクは歯を剥き出す。
「女のせいにするのは、男の恥だぜ?」
アルフレドは、沈黙して。その場にしゃがみ込んで膝を抱えた。
◇◇◇
その晩、アルフレドはハーティピジョンのパイ包みをもぐもぐと、無言で咀嚼していた。
途中で何度も、何かを言いたそうに口を開くが。
「どうされました? アルフレド様はこのお料理苦手でしたか?」
パイを頬張りつつ、心配顔を向ける従者。
アルフレドは顔を逸らして、いいや。うまいな。いや、うん。うまい。
今宵も愛の告白に踏み切れない、煮え切らないご主人様のご子息様の顔を酒の肴に。
ギリクは、本日8本目の酒瓶を開けた。
「最高に旨え」
その言葉に、ジビエ料理を好んでいるウィスタードが朗らかに笑った。
「侯爵様にお礼状を差し上げねばなりませんね。これほど希少なもの。大変美味でございます」
その言葉に、ライアも全力でうなづいて、おさげをブンブンと揺らした。
「なら伯爵に頼もうよ。せっかくだし、たまには親子水入らずで酒でも交わしてきたらどうだい?」
上機嫌で放たれたルシアスの台詞に、伯爵は息の根が止まる。
ギリクは、予想以上に面白おかしくなってきた展開に、下を向いて歯を食いしばって笑いを噛み殺す。
──ナイスだ。ルシアス! 次は、おまえの好物作ってやるから、楽しみにしとけ!
後日、ウィスタードが懇切丁寧に礼儀正しくしたためたお礼状は、伯爵に預けられた。
レニスは満面の笑みを浮かべて、「ご当主様にお会いするのは久しぶりですね、アルフレド様! 奥様もお元気でしょうか?」
るんるんと、ご機嫌な仔犬の横で、その主人は今から地獄に堕とされる罪人のような悲壮感を漂わせていたが。
その理由には、ギリク以外が首を傾げて、見送るばかりだった──……。