甘い理想と現実
「…はぁ、本当は僕が戦うはずだったのに…こうなると思ったから嫌だって言ったのに…」
「す、済まない…」
どうも残り数日の貴重な朝のパトラさんとの訓練をラザマンドさんに奪われぼうっと試合を眺めてた僕です。
ちゃんと決められた門限を守って宿に帰って、ちゃんとその日あった事を伝えたら仕事をずらして僕の訓練とエルルさんに挨拶すると言って無理やりついてこられて…今日の僕は少し虫の居所が悪いです。
心配してくれている事は重々承知してるけど、流石に限られた貴重な時間を潰されて笑ってられる程僕は優しくない。
「…ごめんなさい、もうお仕事に帰ってくれませんか?」
「い、いやしかし…」
「……」
…最悪の場合、しばらくこの街に一人で留まるか。
「…しばらく僕はエルルさんの厄介になります」
「それはダメだ!」
…はぁ、これはハッキリ言うしかない。
「何でダメなんですか?何で僕の貴重な勉強の時間を邪魔するんですか?僕はラザマンドさんの所有物じゃ無いですし、ラザマンドさんが奪った僕の時間を埋めるにはその分頑張らないといけないんです。それを分かってくれないなら僕はこの街に留まります」
「っ…」
辛そうに表情を歪めるが、僕にそう言われる原因を作ったのはラザマンドさんだ。
僕だってこんな事言いたくない…だけどハッキリ言って線引きしないと何時までもくっ付かれて過保護にされて表の顔どころか裏の顔にも支障が出る。
「…何が不満なんですか?何が心配なんですか?僕はラザマンドさんに迷惑を掛けない様にラザマンドさんが決めた決まり事をちゃんと守ってますよね?何も問題は起こしてないし、高い買い物は確かにしましたけどお金を出すところも高そうな商品も誰にも見られない様に注意しました。門限だってちゃんと決まり通りに守って帰ってきました。他に僕にどうしろって言うんですか?」
「……」
「僕が攫われたり誰かに襲われないか心配なら今からラザマンドさん相手に戦って勝てば何も心配いらないですか?お金を使い過ぎるのが心配なら今持ってるお金を全部預ければいいですか?早く帰って来ない事が心配ならずっと部屋に籠っていればいいんですか?」
「……」
だからキッパリと関係性を明確にする為に…言う。
「こんな事になるんだったら森で白雪と一緒に暮らしてる方がもっと幸せでした。あの時、盗賊に襲われそうになっているのを知らせなければよかった」
「っ…」
………
……
…
「―――という感じです」
「なるほどねー…」
エルルさんの家に辿り着くまでの間の出来事を話すとエルルさんは苦笑しながら魔法陣を羊皮紙に描きまくる僕の頭を撫でる。
「まぁー…シオン君がシールズの生き残りって事も、黒樹の大森林で幼い時から生きていたのも、シラユキちゃんをテイムしてる事にも驚いたけど…ラザマンドさんって人が何より心配してるのはシオン君の容姿の所為じゃ無いかな?」
「容姿…?」
「うん。正直言って滅茶苦茶可愛いよ?お人形さんよりも作り物みたい。髪も綺麗だしシオン君のその透き通った水色の瞳…悪い人なら絶対に捕まえるか売ろうとするね。貴族も大金積んで手に入れようとするかも。私もラザマンドさんと一緒でシオン君がここまで来るの少し心配だもん」
「そんなにですか…?」
正直水に映った自分の顔しか見た事が無いから正確に自分の容姿を見た事がない。
「もしかして鏡とか見た事無い?」
「水に映った自分しか…」
「ふむ…ちょっと待っててねー!」
バタバタと走って天井から足音が聞こえる…二階の寝室に行ったのだろう。
僕は羊皮紙にびっしりと書いた魔法陣を少し湿らせた布で拭い、真っ新な状態に戻してもう一度描いていると、
「シオン君、こっち見てー!」
「…?…!?」
そこには羊皮紙に向かい羽ペンを握っている透き通った青い宝石の様な瞳を持つ目を見開いた白い髪の絶世の美少女がいた。
「…え!?こ、これ、僕ですか!?」
一言で僕の容姿を言い表すならヘイルだ。
顔を動かすと目の前の美少女も顔を動かし…白雪も自分の姿を見てキョロキョロと顔を動かしてる…可愛い奴め。
「そうだよー!」
「……確かにこれは攫われそうですね」
鏡に映る僕はあどけなく無垢でとても戦えるように見えない。
小さなフリフリのドレスを着てお人形さんを抱えている方がとてもお似合いで、服の下に武器を仕込んでいる様なイメージじゃないし全く戦った事が無さそうな、とても黒樹の大森林を生き残れそうと思えない程に美少女だ。
…ラザマンドさんが過剰に心配する訳だ…こんな子がいたら僕だって迷子になったら手を引いてあげて守ってあげたくなる。
「だからあんまりラザマンドさんを責めないであげてね?」
「…はい、今度から仮面でも着けます」
「それは止めた方がいいんじゃないかなー!逆に目立ってしょうがないと思うよ!」
「確かに…」
「だから私が冒険者の時に使ってたマジックアイテムをあげちゃう!」
そう言って差し出されたのは銀色の艶々とした輪っか。
「…ピアス?」
「そ!実は私ちょっとばかり有名な冒険者でね?やっかみとかが凄くてねー…その時に使ってたやつなんだけど、効果は認識阻害!日常生活程度の注意力だったらシオン君の事をそこら辺の普通の人ぐらいの認識に塗り潰せるんだ!魔獣とか戦闘中、後は元々面識があって自己紹介とかしてると殆ど意味ないけどね?」
「なるほど…でもお高いんでしょう?」
「まぁ~…普通に売ろうとすれば金貨20枚ぐらいじゃないかなぁ…魔道具じゃなくてマジックアイテムだし!」
「金貨20枚…ん?魔道具とマジックアイテムって同じなんじゃ無いんですか?」
「魔道具って言うのは人の手で作られた魔法の道具で、マジックアイテムはダンジョンっていう神の力で作られたって言われてる場所から手に入れられるアイテムで、人の手で再現出来ない効果があるものの事を言うんだよ!」
「と言う事は…認識阻害は人の手で再現できないって事ですか?」
「んー…再現しようと思えば出来なくも無いんだけど…その辺の説明はとりあえずこれを付けてから!」
「じゃあ金貨20枚…」
「効果実感出来たらでいいよ?出来なかったら返してくれていいから!」
「…じゃあ一旦借ります」
「よーし!じゃあ耳たぶに穴開けるからちょっと我慢してね?」
そしてエルルさんが右手に嵌った銀の指輪を一つ外した時、
「っ!?うえっ!?」
エルルさんの身体から濃密な魔力が溢れ出し、一瞬で部屋の中を魔力で満たしてしまった。
「えっ!?ちょ、ごめん!すぐ終わらせる!」
僕の急激な吐き気に驚いたのかエルルさんは急いで魔法で細い針を生み出し、火を纏わせて水で洗い流した針で僕の左の耳たぶを貫きピアスを通した。
「よしっ!もう大丈夫でしょ!?」
「うっ…うっ…い、今の…何ですか…?」
エルルさんがまた指に銀の指輪を嵌めるとさっきまでの重苦しい魔力が消え去りドッと汗が噴き出してくる。
「シオン君感受性強いね…今のは私の魔力に当てられて『魔力酔い』したんだよ」
「ま、魔力酔い…?」
「何て言うのかな…自分の魔力とは別種の魔力を一気に浴びると自分の魔力がどうしたらいいか混乱しちゃうんだよね。もっと詳しく言うと濃度の濃い魔力に適応しようとして自分の身体の魔力が急激に濃度を上げたり下げたりして身体がその変化に耐えられなくなる…かな」
「な、なるほど…寒い所にいたら体温を上げようとして熱が出るみたいな…」
「そうそう!本当にそんな感じ!でもねー…指輪一つ外しただけでここまで酷くなる人は初めて見た…」
白いふわふわのタオルを渡されて汗を拭う…エルルさんの匂いだ。
「その指輪は魔力を制限する魔道具…マジックアイテムですか?」
「マジックアイテムだね。大体の人は五個外すと何かおかしいって気付くんだけど、本当に魔力に鈍感な人は九個外しても分からないんだ。そんな人でも十個外せば流石に気付くけど…そんな事したら多分シオン君気が狂って死んじゃうかも」
え…?指輪を外して魔力を当てられただけで狂い死ぬ…?
「…絶対に外さないでください」
「そんな事しないって。まぁーもし十個外すとなると師匠と特訓する時ぐらいかなー?」
「…そのお師匠さんは大丈夫なんですか?」
「師匠はいつも『相変わらず纏わり付いて来る鬱陶しい魔力ね』って嫌な顔するぐらいだよ?ちなみに師匠は二つで気付いたけど」
「なるほど…慣れたら何とかなるものなんですか?」
「そうだねー…ずっと浴び続けてれば慣れると思うけど…」
よかった…慣れられるなら狂い死にたくない僕の答えは一つだ。
「…だったらこれから勉強する時は一つ外してください」
「えっ!?あんな状態になってたのに!?」
「はい…魔力を浴びただけでこれじゃあ、今後何かあった時に何も出来なくなりますから…」
何事も最悪を想定しなくちゃいけない…もし暗殺対象がエルルさんと同じ規模の魔力を持っていたら僕はまた同じ状態になって殺せなくなるだろうし、逆に悟られて殺されるかも知れない。
毒は身体の苦痛だが、今のは感覚的な苦痛…ならば身体の回復には時間が掛からないし要は気の持ちようだ。
耐える訓練をしない理由が僕には見つからない。
「…まぁ、シオン君の言ってる事は分かるけど…本当にいいの?」
「はい、毒キノコを食べても死ななくなりましたし耐えるのは得意です」
「そ、そっか…じゃあ…」
エルルさんが指輪を外そうとすると反射的に強張ってしまうのは次の瞬間にはどうなるか分かっているからこその身体の防衛本能。
指から指輪がゆっくりと外されていくと徐々に魔力が溢れ出し、完全に指から抜けるとさっきと同じ…ほんの少し、本当に気休め程度に症状が緩和されていた。
「うぐっ…」
「だ、大丈夫…?」
「は、い…さっきよ、りは…この魔力…エルルっ…さんの…どのくらいの…魔力…?」
「…1/10」
「えっ…」
これで1/10!?何度も魔力欠乏になって増やした僕の魔力より明らかに多いのに!?
「…これが私が冒険者をやってた理由…やらされてた理由かな」
「なるほ、ど…」
確かにこれだけの魔力が1/10なら魔法の道を進み極める事を強く勧められるだろうし、周囲からの期待という無自覚なの枷、力を持つ者はこうあるべきという周囲の無意識の枷、危機的状況を何とかしてくれるという頼られる善意の枷を嵌められるだろう。
望んで手に入れた力ならそれでも何も問題ない…だけどエルルさんは違う。
望んで手に入れた力じゃ無いのに望んでも手に入れられなかった人からの嫉妬や悪意を受け、その力を利用し従わせようとする腐った貴族共や悪党達の悪意や欲望に晒されて来たんだと思う。
エルルさんが僕と魔法陣の話をしたり本の話をする時の表情は本当に楽しそうで可愛らしく、冒険者の事や過去の事を話す時はいつも苦しそうな表情になる。
だから僕はエルルさんの魔力に身体がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて歪む表情をどうにか取り繕って笑みを浮かべて言う。
「でも…辞めてくれたおかげで僕は…エルルさんと出会えて…色々教えてもらえて…本当によかった…です…周りから色々っ…言われたと思います…けど………僕は、エルルさんが本当に自分がやりたい事をやれる様になって本当に、よかったと思いますよ」
「っ…!シオン君!!」
嬉しさ余って今まで以上の魔力を放ちながら僕を抱きしめるエルルさん。
その時僕が思ったのは“あ、終わった”だ。
「おえっ!?おろ―――」
「わっ!わっ!?シオン君!?」
………
……
…
「す、すみません…抱き着かれて吐くなんて…それに服も汚して…」
「い、いやー…師匠と同じ事言ってくれた事が嬉しくってついね…魔力制御も乱れちゃって…」
今は空が黒と橙で染まり始める冬の16時辺り。
二人して僕の腹から出た物を被り、エルルさんが出してくれた巨大な水球に飛び込んで徹底的な全身洗浄と暖かい風による完全乾燥を受け終わった所だ。
「でもいい事に吐いたおかげで指輪一つ外した状態でも魔力酔いはしなくなりました!」
「慣れるの早いねぇ…私の魔力に当てられた人は一週間ぐらい体調悪くなるらしいけど…」
「吐いたのが良かったんだと思います!無理に堪えるより解放した方がスッと楽になりましたから!」
「ふむふむ…」
「だから指輪を二つ目外してください!」
「えっ!?まだやるの!?」
「全部外しても大丈夫な様になります!」
「ま、まぁ…いいけど…」
恐る恐る二つ目の指輪を外すエルルさん、その手つきを見てまた自然と身体が強張る僕。
「「……あれ?」」
指輪が完全にエルルさんの指から抜けると二人して困惑の声を重ねていた。
確かに部屋の中の魔力は一段と濃く感じる様になったが…全く吐き気が感じられない。
「…大丈夫?」
「…みたいです。試しに三つ目を外してもらっていいですか?」
「いいけど…今日は三つ目までにしていい?」
「我儘を言えばもっと外してみて欲しいんですけど…何かまずい理由があったりしますか?」
「えっとね…まず膨大な魔力が起こす弊害があるんだよね」
「弊害…?」
「うん。魔力を浴び過ぎた食べ物は突然変異して大変な事になるかも知れないし、この家に設置した付与だったり魔法陣が空間に漂う濃い魔力に反応して魔力を注がれたと勘違いして勝手に動いたり、過剰な魔力を吸って魔法陣が壊れちゃうんだよね。本当に極稀にだけど動物の身体に魔力が溜まって結晶化して魔石が出来て魔獣化する事もあるんだ」
「なるほど…」
家電製品に必要以上の電気を流したら壊れるみたいな感じか。
「それに魔力を求めて暴走した魔獣が寄って来ちゃうんだ。それにシラユキちゃんも心配だし…」
「あっ!?白雪!?」
白雪なら大丈夫だと思うけど暴走したらまずい…!……いつも通りだし、何なら心地よさそうだ。
「…大丈夫そうですね。才能で【意識同調】があるんですけど、伝わってくるのは『もっと』とか、『気持ちいい』とか、『気持ち悪くなったらほっぺ噛む』って感じですね」
「えええ…?自制出来るとかシラユキちゃん頭良すぎない…?まぁ、そういう事なら…」
そして三つ目の指輪に手を掛ける頃には僕の身体も強張らず、リラックスして完全に抜けるのを待つが…ほんの少しだけ頭が痛くなる程度だった。
「っ…ちょ、ちょっとだけ頭痛が…でも吐きそうな程気持ち悪くはないですね」
「んー…さっき制御を誤った時に二つ分の魔力になれたのかな?ならこのままでいい?」
「はい…お願いします」
負荷が足りない気がするがそこまで我儘を言うつもりはない。
「んー……明日には四つ以上外しても問題ない場所を作っておいてあげるよ」
「え…?でもそれは」
「庭の地下に穴掘って地下室を作るだけだからね。だけど周囲に被害を出さない様にする対策が必要だから明日でもいい?」
「それは僕としては嬉しいです。…なんなら手伝いましょうか?」
「…そうだね、魔法陣の勉強がてら一緒に作ろっか!」
「はい!」
そういう事なら遠慮しないしエルルさんが描く魔法陣を学ばせてもらう他ない。
「じゃあ、早速外枠作っちゃうねー」
僕達はエルルさんの庭…今は白い雪が一面に敷き詰められた庭に出ると、エルルさんは指をパチンと鳴らして光の粒を集め、その光の粒が先端が三日月、その間に大きな無色の宝玉が浮かべたボロボロの布が巻き付いた大きな杖を作り出す。
「その杖…何処から出したんですか?【空間収納】ですか?」
「ん、この杖もさっきのピアスと指輪と同じマジックアイテムでね?魔力を注いで持ち主が私だって証明すると何処に置いててもこうやって呼び出せるんだよ」
「おお…」
「しかも…シオン君、ちょっと持って見て」
「はい…っ!?」
徐に渡された杖を大事に両手で受け取ろうとしたが、不思議な事に杖は両手をすり抜けエルルさんの傍に瞬間移動して浮かんだ。
「私以外に触れられなくなるから盗まれる心配もない杖なんだよね!」
「おおおお…!!そういうのいいですね…!!」
「でしょ!?でもまぁ…証明するのに私の魔力8割持ってかれたけどね…しかも一度で注がないといけなかったからしんどかったよ…」
「っ!?」
あのエルルさんの魔力量で8割…僕なら全力の魔力を5,000回以上休みながら注ぐ必要があるのにそれを一度に…僕じゃ絶対に扱えない杖だ。
「その代わり性能は凄いんだけどね!」
シャク、と杖を雪に刺すとエルルさんを中心に家と庭を囲む様に魔力の膜が広がっていく。
「…結界?」
「えっ!?今の感じたの!?」
「はい…半透明のものがエルルさんを中心に広がって…今は家と庭を囲んでる…覆ってる?僕の身体を通り抜けた時も何かが通ったって…」
「す、凄いね…普通見えないし気付かないんだけど、本当に魔力への感受性が高いんだね…今のは隠蔽、防音、耐震、防壁の付与魔法を四つ同時展開したの」
「おおお…!」
魔法の同時展開…僕も試しに右手に火、左手に水と試した事があるが滅茶苦茶に難しかった。
簡単に例えるのなら右手で数学の数式を解きながら左手で国語の作者の気持ちを答えよという問題を解いている感覚。
右手で〇、左手で△を書けとかそういうレベルじゃない超高度な技量が必要なのを四つ同時とか尊敬するしかなくなるレベルだ。
「…そんな尊敬に満ちた目で見られるのは悪い気がしないし嬉しいけど…師匠は六つ、無理をすれば八つ同時展開出来るからね」
「おおおおお…!!」
今まで負の感情しか向けられてこなかったのか、それとも純粋な正の感情を向けられる事に慣れていないのか僕の顔を眩しそうにちょっと顔を赤くしながら見るエルルさん。
「…まっ、ちゃっちゃとやっちゃうよ!」
恥ずかしさを飛ばす様に笑ったエルルさんは庭の中央に進み、もう一度杖で雪を刺すと一瞬で庭一面を覆っていた雪を全て吹き飛ばし短く刈られて整えられた芝生を露わにする。
「別次元だ…本当に凄い…!」
「…やっぱりこれを見たらシオン君も私に魔法を使って魔獣を退治したり、みんなの為に使った方がいいと思う?」
悲しそうに問うエルルさん。
この努力の結晶をみんなの為に使う?エルルさんにこんな顔をさせる奴等の為に?
だったら僕はエルルさんにこう答える。
「いえ…僕も右手に火、左手に水と同時展開を試した事があるのでその難しさは知ってます。それを二つだけじゃなく四つ同時、それもただの魔力の放出だけで雪を綺麗に指定した範囲だけを飛ばすエルルさんの技術に純粋な興味と、どれだけの努力をしたんだろうって尊敬だけです。それを大した努力もしないでやっかむ奴とか、エルルさんの力を自分の物にしようとか悪用しようとする奴等は助ける所か見捨てるべきですし、エルルさんの優しさに付け込んで無償の奉仕をさせようとする奴はどうでもいいと思います。そんな奴等の為に使った方がいいとかエルルさんの気持ちを無視する様な事は思ってないです」
「…!」
「その中でもエルルさんが守りたいと思った、使ってあげてもいいかなって思った人がいるならその人だけにその力を使えばいいんじゃないかなって思います。まぁ、エルルさんがしたい様にするのが一番ですし、犯罪じゃ無ければ好き勝手に生きていいと思いますよ?エルルさんの人生はエルルさんのだけのものですし、それを自分を殺してまで他人の為に費やし続けるのは勿体ないですよ」
「……」
僕の隣から嗚咽を堪える音がする。
軽く頭痛がするこの状況で抱き着かれたら吐くまでは行かないだろうけどまた酷い魔力酔いをするんだろうと身体が強張ったが、エルルさんはその場にへたり込んで静かに泣き崩れてる。
そんなエルルさんの魂を見て僕は目を見開いた。
(魂が白くなった…!?)
ずっと黒い靄が漂っていた魂が綺麗さっぱりと白い魂になっている。
僕じゃエルルさんの魂を白くする事は出来ないと思っていたのに…白くするのは別の誰かだと見ない振りをしていたのに…エルルさんの魂は見惚れてしまう程に美しい白の魂になっている。
僕の言葉でエルルさんの心に残っていた何かが解消された…?僕がエルルさんを救った…?ラザマンドさんがセーラのお兄さんの魂を白くした様に、誰かを殺す為だけに存在するこの僕が…?
「シオン君…ありがとう…」
「え…な、何がですか…?僕は思った事を言っただけで…」
「ううん…私の事を何も知らないシオン君だったから…そう言ってくれたのが嬉しくて…」
何も知らないから―――確かに僕はエルルさんの事を知らないし、深く知ろうとも関り合おうとも思っていなかった。
エルルさんの技術を吸収して、自分の糧にしようとしていた…どちらかと言うと僕がさっき言った様にエルルさんを利用しようとしていた。
なのに…何も知らない、何も知ろうとしなかった僕の言葉が嬉しくて―――魂が白くなった。
「聞きたくないかも知れないけど…聞いてくれる…?」
きっと今からエルルさんの魂を覆っていた黒い靄の原因を話すのだろう。
深く関わるべきじゃない、人を殺すだけの存在の僕がこの綺麗な魂を持つ人に関わるべきじゃないと『俺』が言っている。
だけど…僕は今見てしまった、エルルさんの魂が白くなる所を。
僕がエルルさんの魂を白くしたのを。
『俺』が不要だと、この世界には合わないと捨てた『僕』が白くしたのを。
『俺』は殺す事しか出来ない―――でも『僕』なら?
もし『僕』が誰かを救えるのなら…?もし『僕』が関わる事で救えるのなら…?
殺すべき人物は『俺』が殺し、救える人物は『僕』が救えるなら…?
そんなの―――決まってる。
「…はい」
きっとこの話を聞けば『僕』を捨てられなくなる。
これからきっと色んな柵に巻き込まれる事になる。
でもそれでいい―――だって今度は裏だけじゃなく表も必要なんだから。
表は『僕』、裏は『俺』。
本当に見捨てるべきなのかそうじゃないのか、『僕』が見て『俺』が判断する―――これからのフェイルは“断罪者”じゃなく“選別者”。
生と死の眷属…その意味が少しだけ僕の中で腑に落ちた…。
■
Side.リベーラ・ラザマンド
「私は本当に…」
どうしようもない奴だ。
“あの出来事”があって私は人々を守る騎士になると心に誓った。
その誓いは正しくあろうとすればする程に貴族社会では疎ましがられ、何度もその誓いを穢そうとしてくる奴もいた。
その全てを私は何にも穢す事が出来ない強さで跳ね退け、ただ私が私らしくいられる様に道を突き進み続けた。
だが…誓いを果たせると信じて進んでいた道をふと振り返れば、私が私らしくいられた誓いから遠く離れていた事に気付いた。
助けたいと手を差し伸べようとすれば手を伸ばす前に誰かに“立場があるから”と止められる。
近づこうと歩み寄れば“立場が違うから”と一歩引いて傅かれる。
姿を見せれば“立場の所為で”隠れられて怯えられる。
私が思い描いた『騎士』と『騎士』はかけ離れていた。
だから私は陛下に騎士を辞めると伝え、今度はより守るべき人々の身近にいられる様にと商人になった。
食料が不足しているのなら私自らがその食料を運ぼう。
魔獣の被害で農作物が育たないなら私自らが力を振るおう。
そうする事で騎士では救えない命を救えると信じて。
そうして出会ったのがシオンだ。
まさにシオンは私が守るべき存在だと確信した…なのに、私はそのシオンを守っていたのではなく、縛って鳥を愛でる様に、私の手が届かない所に行かない様にと鳥籠に押し込んでしまった。
大空を何も不自由なく自由に、気のままに飛びたい鳥の気持ちも考えずに。
私は正しい事をしていると私の常識をシオンに押し付け強要し縛っている。
『渡り鳥』の皆にシオンは普通とは違うと偉そうに言いながら私がシオンを普通という枠に押し込めようとしていた。
今日、シオンに言われた言葉を何一つ否定出来なかったのがその証拠だ。
守りたいと思うものを守れていると思い込んで傷つけていると気付けない自己満足な女…だから私は本当にどうしようもない奴だ。
「私はどうしたら…」
そんな私の呟きが宿のロビーに虚しく消える。
今は21時…シオンに押し付けてしまった門限の22時にもうすぐなる。
しばらくエルル氏の所で厄介になるとシオンが言っていたのに私が部屋でなくここにいるのは…見っとも無い未練のせいだろう。
「いつから私はこんな人間になってしまったんだ…」
組んだ両手に乗せた額を殴りつけても答えは出ない…分かっているが、こうでもしてないと私は…
「…っ!?ら、ラザマンドさん!?」
聞き覚えがあるシオンの澄んだ鈴の様な声が聞こえて来た…遂に私は幻聴まで…
「何してるんですか!?」
…目の前に焦った顔のシオンがいる…?幻聴に続き幻覚までも…少し額を叩き過ぎたか…?
「しっかりしてください!!!」
「っ!?」
パァンと乾いた音と私の頭を揺さぶる衝撃が頬に…幻覚に頬を叩かれた…?幻覚に実体はないはず―――
「すみません!もう一発いきます!」
「ちょ、ちょちょちょシオン君!?待って待って!」
幻覚と幻聴だと思っていたのに頬の熱が私を現実に引き戻した…なのに目の前にシオンと…もう一人見知らない女性がいる。
「…シオン?」
「ああ…もう一回ぶたないとダメかと思いました…ちゃんと門限までに帰ってきました」
門限…あんな事になったのに私との約束を守る為に帰って来たのか…?
「それと、ラザマンドさんが挨拶したがってたエルルさんです」
「は、初めましてエルルです」
私が大人げなく顔を見に行こうとしてたのを気にして連れて来てくれたのか…?
「シオン君とは私が経営してる本屋で知り合いまして…本を売る過程で意気投合して、今は魔法陣や魔法に関して教えてる者です。決して危ない事はさせていませんし、この街に滞在している間は私がラザマンドさんの代わりにシオン君を見てますので安心してください」
優しく柔和そうな雰囲気…私とは正反対の人物だ。
「これでラザマンドさんが心配してた事は全部大丈夫だと思いますけど…他にも何か守った方がいい事はありますか?」
あんなに怒っていたのに私の事を…ははっ…これじゃあ、どちらが大人なのか本当に分からないな…
「…いや、私の方こそこれがシオンの為だと独り善がりに押し付け、シオンの事を考えてやらず済まなかった。…エルル氏、挨拶が遅れて済まない。私は王都に商会を構えるラザマンド商会の商会主、リベーラ・ラザマンドだ。この度は私の所為でこんな夜分遅くにご足労頂き申し訳ない。後、シオンを送ってくれて本当に感謝する」
「いえいえ、シオン君から事情は聞いてるとは言え、私もお二人の事情にズケズケと首を突っ込んでしまってすみません。シオン君、明日は12時に冒険者ギルドでいいのかな?」
「はい、それでお願いします」
「おっけおっけ。…ではリベーラ・ラザマンドさん、顔合わせも済みましたし私は帰りますね。シオン君もまた明日ね」
「はい、また明日」
「ああ。…今度、何かお礼をさせてくれ」
「別にそういうのはいいんですけど…何か考えておきますね」
「私の気持ちを汲んでくれて助かる」
そう言って彼女…エルル氏は笑顔で去り、
「…ご飯はエルルさんと食べたのでお風呂に入ってすぐに寝ます。明日は冒険者ギルドで訓練したらエルルさんにまた色々教えてもらうのでこの時間になると思いますけど門限は守ります。それで心配は無いですか?」
「…ああ、私の為に済まないな」
「いえ…それじゃあおやすみなさい。それと…ただいまです」
「…おかえり、シオン」
シオンは私の胸辺りを見て目を見開き部屋に戻って行った。
「…?別にはだけてはいないが…」
そして私もちょっとだけ疑問を残しながらもさっきまでの悩みが綺麗に無くなってる事に苦笑しふっと胸を撫で下ろす…。
「…エルル氏もかなりの大きさだったが…私のと大きさを比べたのか…?」
ちょっとした勘違いを生みながら。