それぞれの常識
「ふぅむ…そこまで汚れてないみたいだけど、本当に洗うのかい?」
「はい、一週間ぐらいずっと着たままだったのでお願いします」
どうもぷりぷり怒っているラザマンドさんを無視して辿り着いた洗濯屋で受付をしている僕です。
一週間も洗っていない服を見られるのはあまり心地よくないが、お婆ちゃんが服を裏返したり引っ張ったりしているのを見ていると眼鏡を外した。
「…生地なら魔法でチャチャっと洗えるよ。銅貨30枚だね」
「分かりました。僕を騙して良心が痛まないなら払います」
僕の言葉に目を見開くお婆ちゃんだが、【空間収納】からラザマンドさんからもらった財布を取り出し…気付く。
「…ラザマンドさん、金貨1枚を変えてもらえますか…?」
「ふぅ…銀貨95枚、銅貨500枚でいいか?」
「はい」
金貨を両替して高いカウンターに子供らしく背伸びしていち…にい…と数えながらカウンターに置くと、銅貨10枚でお婆ちゃんのしわしわな手が覆い被さった。
「…これでいい」
「でも、銅貨30枚じゃ?」
「間違えたんだよ」
「そうですか…あ、返す相手は女の子なので何かに包んでもらえないですか?ちゃんとお金は払います」
「はぁ…銅貨5枚」
「5枚ですね…はい、お願いします」
合計で銅貨15枚を渡すとお婆ちゃんはふんっと鼻を鳴らして奥へ引っ込み、水が流れる音と風が吹く音がして数分もしない内にカウンターに戻って来た。
「ほら、確認しな」
畳まれて渡された服を見てみると汚れは無く、ほんのりいい匂いがして手触りも良くなっていた。
「わぁ…凄いですね!」
「この道何十年も進んでりゃ出来るもんさ。紙はどれがいいんだい?」
「えっと…じゃあ赤で」
「はいよ」
慣れた手つきで服を畳み直して紙で包んでいく手元はまさに職人技…ちょっとした贈り物にすら見える完成度だ。
「また洗濯したいもんがあったら纏めて持って来な。いちいち一組ずつ洗ってたら金がいくらあっても足んないよ」
「わかりました。それとこれはお婆ちゃんの早くて丁寧な技術に感動したのでお礼です」
そっと銀貨1枚をカウンターに置いて目を見開くお婆ちゃんを無視して外に出ると、丁度太陽が真上に来る頃合いだった。
「さて…布屋だが斜向かいの店だ。それともいい頃合いだし先にご飯でも食べるか?」
「いえ、先に必要な物を全部用意しちゃいたいです」
「分かった、なら行こう」
確かに朝から何も食べてないからお腹が空くが、今はそれよりも布、糸、針で服作りだ。
「いらっしゃい…おや、見ない顔だね?」
扉を開けてみれば色取り鮮やかな布が隙間なく垂れ下がり、下の棚には糸や針、色々な形の鋏やナイフが置かれていて、丁度品出しをしようとしていた店主らしきふくよかな女性が声を掛けてくる。
「ああ、行商で移動している最中でね。この子が【裁縫】の才能を持っているんだが、既製品を買うより自分で服を作るんだと聞かなくてね」
「あらあらそうかい。ウチは種類豊富だから好きなだけ見て気に入ったら好きなだけ買っていってちょうだいね」
「わかりました」
ラザマンドさんも綺麗な布が気になったのか早速店主さんと話し始めたので僕は端から端までしっかりと一つずつ見ていく。
(まず必要なのは待針…頑丈そうだからこれにして、次に針…おお、種類が豊富というだけあって本当に色々ある…詰め合わせセット!?これにして…鋏は開き具合で色々揃えたい…こんなもんか。型紙は木を材料に形を整えればいいし、サイズを書く羊皮紙もいっぱい必要だな。ナイフに印付の洗って落ちるインク…ん!メジャーもある!定規もある!目打ちもリッパーもあるし…ベルト用の金具も!なら革も行けるように道具を…お!この霧吹き目が細かい!これは熱の魔道具…そうか!スチームアイロンか!いやー、この街に来てから一番楽しいんじゃないか!?)
近くにあった籠に手当たり次第欲しい物を詰めていたらあっという間にてんこ盛りに。
(次は糸と布…いや、全種類買うか!でも買占めは他のお客さんが困るだろうし、布と糸は全部半分売ってもらおう)
まだまだ布談義で僕の籠の状態を知らない二人にチラリと視線を向け、まだ大丈夫そうだと物色していると布屋とは毛色が違う物が置いてあった。
(……魔法陣の本…?)
表紙に書かれている文字は『初級魔法陣学』。
(…これがあれば魔法陣の勉強が出来る)
パラパラと捲るだけでも才能の【翻訳】が反応して魔法陣に組み込まれている魔術文字の意味が手に取る様に分かる。
(買おう、絶対に買おう。この後、ご飯食べようと思ったけど本屋があったら本屋に寄って…って、ラザマンドさんには字が読めない事にしてるんだった。だったら先に僕の服と馬達の服を作って、明日以降は出発までネリンさんの所で勉強して帰りに本屋に寄って図書館があれば図書館に入り浸ろう)
そうと決まったら時間は有限だ。
すぐに僕は山盛りの籠を背伸びしてカウンターに乗せるとラザマンドさんも店主さんも目を見開いた。
「お、おいシオン…本当にその量を買うのか?」
「全部僕には必要です。後、このお店に出ている布と糸の在庫全種類半分ください。買い占めちゃうと他のお客さんが困るので」
「「えっ!?」」
困惑されている時間が惜しい…在庫半分がダメなら早くダメと言って欲しい。
「ダメですか?」
「い、いつも売れないからウチとしてはすっごく助かるんだけど…本当に買えるのかい?」
助かるならいいと財布から子供らしくいち…にい…とカウンターに金貨10枚並べた。
「これで足りますか?」
「こ、こんなにいらないよ。ちょっと計算するから待っておくれ、金貨はまだ仕舞ってて」
「分かりました」
そろばんらしき物をパチパチと弾いて計算をし始める店主の事をカウンター越しから背伸びして見ているとやや斜め後ろから「くっ…」と聞こえてくるが、僕はいつでもお金を並べられる様にスタンバイする。
「…ふぅ、在庫分の布と糸半分がちょっと高くなってる原因だけどこの籠に入ってるのも合わせて金貨4枚と銀貨75枚、銅貨50枚だけど金貨と銀貨だけでいいよ」
「分かりました」
またいち…にい…と金貨と銀貨を重ねると店主も一枚ずつ数えて笑みで受け取ってくれる。
「まいどあり。商品は何処に届けるんだい?」
「【空間収納】の才能があるので全部僕が持って帰ります」
「…おやまぁ」
丁寧に一つずつ【空間収納】に仕舞っていき、カウンターの奥からロールに巻かれた色とりどりの布達が店主から僕に手渡され収まっていく。
「…っと、結構重いから気を付けなよ」
「はい、ありがとうございます」
最後に木箱に入った木の芯に巻かれた糸の山を入れ終わると最早お決まりになった退店の儀式をする。
「いい物を売ってくれたお礼です。またこの街に来る時はお願いします」
銀貨を1枚カウンターに置いて驚く店主を余所に、ラザマンドさんを置き去りにする勢いでぶかぶかな靴を鳴らして急いで泊まっていた宿屋に【韋駄天】を意識せずに走っていく。
「お、おい!待てシオン!また転ぶぞ!」
「大丈夫です!部屋に戻ったら集中して作りたいのでラザマンドさんはハーヴィスさん達とご飯を食べてください!」
「まずは飯を食え!集中するならそれからだ!」
「干し肉があるので大丈夫です!」
人の姿があるのに走りながらあーでもないこーでもないと言い合う姿はきっとやんちゃな娘に手を焼く母親か姉の様に見えただろう。
でも僕はそんな事より早く服を作って魔法陣を学びたいのだ。
「ただいまみんな」
宿について真っ先に馬達の傍に駆け寄ると顔を摺り寄せてくれる…可愛い奴等め。
「お、追いついたぞシオン…」
「おかえりなさい。…ちょっとみんな身体見せてね」
雪で走りにくかったのか少し息を切らしてるラザマンドさんに挨拶して【空間収納】からメジャーと下敷き代わりの木の板、羽ペンとインクを取り出して手際よく身体のサイズを測り、カモフラージュとして馬の絵を描きながら一頭、また一頭とサイズを測っていく。
「…何をやっているんだ?」
「一頭ずつ全部測ってこの子達の服を作るんです。走ってる時はいいかも知れないですけど、走ってない時は絶対に寒いですし」
「……」
馬に服を着せるという発想が無かったのか驚きと関心をしつつ、僕の手元を見るラザマンドさんは驚きながら食い入るように作業を見つめる。
「…うん、みんなありがとう。今日の夜には出来るから待っててね」
「…待て、今から作業して間に合うのか?」
「間に合わせます。だから急いで帰って来たんです」
もう一度屋根付きの厩舎に戻った馬達の首を少し強めに叩いてあげて自分の部屋に向かおうとするとラザマンドさんに腕を掴まれる。
「まずは飯だ」
「作業しながら食べるので大丈夫です」
「いや、ちゃんと食べるんだ。それからなら私も何も文句は言わない」
「……分かりました。食べたらすぐ作業します」
「ああ、それでいい」
渋々了承した僕はラザマンドさんに注文を任せ、料理が運ばれてくるまでの時間も自分の服のデザインや馬達の服のデザイン等を絵にして羊皮紙に描き起こし…ラザマンドさんの拳骨で目の前に料理がある事に気付いた。
■
Side.『渡り鳥』アルト
「さてと…昨日の飯代は稼いだし、いっちょシオンを飯に誘いに行くか」
朝から一日も必要としない依頼を数件こなした俺達は、昨日以上に重く感じる財布を仕舞って護衛の依頼主であるラザマンドさんが泊っている宿に向かっている最中だ。
「そうだね。この時間なら今日の予定は全部終わってるだろうし…テイマーギルドでどんなに手続きに時間掛かってもこの時間ならね」
リウが空を見上げてそう言うから俺も釣られて空を見れば空は橙色だ。
「にしても今日は本当に珍しい物が見れたね?ネリンさんが笑顔なんて。私初めて見たからビックリしちゃった」
「私も驚いたわ。何かいい事でもあったのかしら?」
「そ、そんな人なの?」
つい最近アラカトルから移住してきて初めてのフルール滞在のリリカは知らなくて当然だし、フルールが地元の俺やリウ、エインとセーラが驚くのも無理はない。
冒険者ギルドの受付をしているネリンさんは元Bランク冒険者の斥候で、二つ名は『冷酷』。
常に無表情で魔獣に腹を半分ほど食い千切られた時でも顔色一つ変えずに動き続けて囮と仲間のサポートをミスなくこなし、少しでも依頼中にミスをすれば意識が足りないと無表情かつ平坦な声で罵られ、少しでも違反行為をすれば喉元にナイフを突き立ててその場で殺そうとする程に冷酷で自分にも厳しい人なんだ。
だが、笑いかけられないにしろ冒険者として秩序を守り真剣に依頼をこなす冒険者にはとても優しく隠れファンも多い。
俺もファンだしな、強さというかそういう曲がった生き方をしない芯が強い部分が。
「す、凄い…私だったらお腹半分も食べられたら絶対に即死しちゃう…」
「私も流石に盛っていると思って元パーティーメンバーの受付の人に聞いたら青い顔をしながら本当だって教えてくれたわ。血を撒き散らして内臓をぶら下げながらも一切動きが鈍らないネリンさんを見て本当に同じ人間なのかって…今でもトラウマらしいわ」
レーネも青い顔をしながら呟き、リリカは更に顔を青くして自分の腹を大事そうに擦っている。
「私も強くなってそんな怪我を治せるようにならないと…」
そしてレーネはネリンさんの大ファンなんだ。
「まぁー…俺達はまだまだDになったばっかりだし、ちゃんと一歩ずつ実績を積んでBランクになる頃にはネリンさんと同じぐらいになれるって」
その道が険しい事は誰もが知ってるが、身近にある目標ってだけで頑張るぞって気持ちが湧くのはありがたい。
勇者や英雄を目標にしたって生まれ持った才能や神の贈り物が違えば近づく事は出来たとしてもなる事は出来ない。
そういう意味でも俺達の目標は特別な才能も神の贈り物も持たず、Aに近いBランクまで行ったネリンさんは頑張れば至れる高みだ。
「まぁ、ネリンさんの事も気になるけど…シオンの才能も気にならない?【空間収納】と【テイマー】は確定だろうけど…今まで適性の儀をしてなくて今日したんでしょ?」
「おいエイン…才能の詮索は厳禁だろ?」
「それは分かってるよ。でもアルトだって気になるでしょ?」
「…否定はしないし、ここにいるみんなも気になるだろうけど才能は秘密の武器だ。手の内を明かすのは俺達だって嫌だろ?」
「まぁ…この面子ならいいけど、他の人にはちょっとなぁ…」
俺とエインの会話に皆が苦笑するが、気になるのは仕方ない。
だけど気になるからと無理に聞き出す事だけはしちゃいけないんだ。
もし希少な才能…既に【空間収納】という才能は知ってしまったけど、他にもあったら羨む奴からの逆恨みだってあるんだ。
だから才能は本当に信用出来る人のみにだけ明し、離れ離れになっても絶対他言しないというのが冒険者のルールだ。
「だろ?勝手に予想するのはいいけど詮索は無し。シオンから教えてくれるって言っても俺達も明かす覚悟がないなら聞かない。いいな?」
皆がそれぞれの言葉で同意してくれたのが助かる。
こういう一つ一つの意識を統一していかないと何処かで綻んで不和に繋がってパーティーが機能しなくなる。
俺はこう思っていたのに、私はこう思っていたのにと何かが起こってから言うんじゃなく、しっかりと思った事をその時に伝えあってお互いが納得出来る様に話し合うのが俺達のパーティーだ。
…だからレーネから聞いたシオンの言葉がずっと胸に引っかかってモヤモヤしてるんだが。
「てか、シオンって確かラザマンドさんと同じ商人専用の宿に泊まってるんだよね?会えるのかな?」
「流石に泊まれなくても応対ぐらいはしてくれるんじゃないか?」
「ならいいんだけどねー」
そんな暢気な事を考えながら俺達はシオンが泊る宿屋に着き、自分で鉄柵を開いてロビーに向かうとそこには黒いソファーに腰を下ろし、一枚の羊皮紙を難しい顔で眺めているラザマンドさんが居た。
「あ、ラザマンドさん!」
「……ん、ああ…『渡り鳥』の皆か。どうした?ここまで来るという事は何かの用か?」
スッと手を伸ばされて開いてる椅子とソファーに座る様に促される俺達。
こういう一つ一つの動作が優雅で洗練されていて本当に王国騎士副団長だった事が分かる…本当にカッコいい。
「用という程大事な事じゃないんですが…シオンと飯を食べようと誘いに来たのと…」
「…言いにくい事か?」
「いえ…ずっと俺達、シオンが本当に大丈夫な人間なのか疑ってて…出会い方が出会い方だったので」
「そうだな…私も疑ったな」
「そう言ってもらえると俺達も助かるんですが…その中でも俺達の中で一番慎重なレーネにシオンの事を警戒してもらっていたんです。その時にシオンがレーネに―――」
それから俺達は自分達の言葉でシオンがレーネに言ったその言葉を聞いてどう思ったのかを伝え、ずっと疑って嫌な思いをさせた事を全員で謝りたいと伝えたらラザマンドさんは嬉しそうに微笑み―――スッと表情を暗くして一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。
「君達の行いは自分達の命を守る為の当然の行いであり正しいもので誰も責める事は無い。そしてその事を相手に伝え謝罪するのもそう簡単に出来る事では無い事を私は知っているし、君達の在り方は非常に私としては好ましいと思っている。その上で聞きたい…本当にシオンとこれからも関わりを持ち続けたいと思うか?」
ラザマンドさんに問われた意味が理解出来ない。
関りを持ち続けたいと思うか?どういう意味なんだ…?
「正直に言おう…シオンは“異常”だ。私達の常識の外にいる」
俺を含めた全員の顔が強張り息を呑んだ音がする。
「…どういう事ですか?確かに俺達も普通の10歳とは思えませんし…でもそれでもシオンはシオン…何ですよね?悪魔とか天使とかそういう…」
「いや、本質的には人間だ。だが、シオンは十年という長くも短い時間の中で我々が想像もつかない様な環境に置かれて育ったんだ。比喩じゃない、事実だ」
ラザマンドさんの表情が苦しく悲しそうな表情に変わっていく。
「これはシオンの才能が書かれた羊皮紙だ。私はこれを見て、神は何でこんな苦難をシオンに与えたんだと嘆きそうになった。それ程に私達と歩んだ道が決定的に違う。だから考え方も生き方も何もかもが私達と違うんだ。きっと常人では理解出来ない程にシオンは異常だ。今日一日買い物に付き合っただけでその違いを見せつけられて…私は苦しかった…」
羊皮紙を伏せる手に力が入って震えてる…。
「…それでも君達はシオンと関わろうと思うか?きっとシオンは君達と一定以上の距離を取り続け拒絶し続ける。それでも君達はシオンに歩み続けられるか?絶対に拒絶されると分かっている相手に歩み寄れるのか?」
ラザマンドさんを含めて全員が俯く。
そんなの分かる訳がないし、すぐに決めていい事じゃない。
関わると決めたらきっとラザマンドさんと同じ覚悟をしないといけない程なんだろう。
たった数日の関りを持っただけの人間に…シオンに対してそんな覚悟が必要なのか?
顔を合わせたら手を上げて挨拶を交わして気軽に飯食って酒飲んで馬鹿言い合って笑う様な気軽な関係じゃダメなのか…?
…俺には分からない、だから俺は俺が思った事を素直に言う。
「…俺はシオンと顔を合わせて挨拶して、偶に飯に行って酒飲んで笑えるような気軽な関係がいいです。俺達にはそういうのは似合わない。俺達は一緒に居て心地がいいから一緒にパーティー組んで依頼をこなして地道に実績を積み上げていってます。それに俺達だって四六時中ずっと顔を突き合わせる訳じゃ無いです。お互い好きな事をする時は好きな事してますし、羽目を外し過ぎたりしたら怒りますけど全員が誰かの父親でも母親でもないんで細かい事までは言いません。それにシオンはローレルタニアに住むだろうし、俺達はフルールを中心に活動します。会えるのもそう頻繁じゃないだろうし…俺達かシオンのどっちかがお互いの拠点に立ち寄ったら酒飲むぐらいの関係がいいです」
拙いながらも何とか纏めた気持ちと言葉を伝えると俯いていた皆も微笑んでいて、ラザマンドさんも苦笑してる。
「そうか…言葉は悪いが深くは立ち入らず上辺だけの関係をこれからも続けようと言うんだな?」
「まぁ…はい。そうなると思います。拒絶するって事は深く立ち入られるのが嫌なんだと思いますし、一線引かれるならその線を踏み越えない様に楽しい事だけしようかと」
「……いい答えだ。君達の様な存在こそ私よりも必要なんだろうな」
悔しくも嬉しそうな表情を浮かべて俺にシオンの才能が書かれた羊皮紙を手渡すラザマンドさん。
「…え?」
「見たまえ。一線を踏み越えず気楽な関係を続けるのであればそれを見なければいつ一線を踏み越えるか分からないだろう?」
「………なら後で俺の才能もシオンに教えます」
「…僕も」
「私も」
「…はぁ、私も」
「わ、私も!」
「……私も」
「なら皆で見たまえ。一つずつ説明してやる」
そう促され皆で顔を寄せ合って眺める羊皮紙は―――
名前
シオン
種族
人間
才能
【棒術】【短剣術】【投擲術】【体術】
【火魔法】【水魔法】
【裁縫】【木工】【料理】【調教】【罠師】【解体】
【テイマー】【意識同調】
【空間収納】
【魔力探知】【気配察知】
【韋駄天】【跳躍】【人魚の舞】【消音】【消臭】【隠密】【追跡】【直感】
【物理耐性】【魔法耐性】【苦痛耐性】【悪臭耐性】【毒耐性】【麻痺耐性】【睡眠耐性】【不眠耐性】【薬物耐性】【薬品耐性】【精神干渉耐性】【自然回復】
「…は?」
一番最初に声を上げたのは俺だった。
戦う為の才能や魔法の才能はこれぐらいなら探せばすぐ見つかる様な平凡な…10歳にしては多いが、それでも平凡だ。
生産系の才能だってそうだ…少し手先が器用なら誰でも持っている様な才能ばかり。
【テイマー】や【調教】だって動物が好きなら殆どの人が持っている。
【空間収納】はかなり限られているが持っている人は持っている…ウチのリリカがそうだ。
【魔力探知】も【気配察知】も訓練すれば誰だって身に付けられる。
ただ…そこから下だ。
そこから下が異常だ…10歳で身に付けていい才能じゃない。
「まず【韋駄天】…この才能は【俊足】という才能の上位互換で昼夜問わず、ずっと走り続けて会得出来るか否かの才能で、王国騎士副団長として動いていた私ですら会得に時間が掛かり、会得したのは引退する半年前だ。きっとシオンは命を狙う討伐難度S+やA-の魔獣から常に逃げ続けたんだろう…シオンを捨てた親からの遺伝の可能性もあるが、私は前者だと思う」
精鋭中の精鋭である王国騎士の副団長がそこまでしてようやく手に入れた才能を10歳で持つ事がおかしい…。
「【消音】【消臭】【隠密】【直感】もその関係で身に着いたのだろうが、これは上位冒険者の斥候でもなかなか会得出来ない才能だ。常に何かから隠れ続けるという神経をすり減らしてもまだ足りない苦行の末、会得出来ない者も大勢いる程の才能だ」
王国騎士だから俺達が知らない裏も知っているんだろう…初めて聞いたが命を狙われる感覚は慣れるものじゃないし、常にそんな感覚を感じれば一日も立たずに気が可笑しくなる。
「【追跡】は食べる物を必死に探した結果…逃がせば空腹という地獄を味わう。そういう綱渡りの状況で生きて来ないと身に付かない才能だ。そして敢えて飛ばしたが【人魚の舞】…これは【水泳】の才能の上位互換だ。我々騎士団は鎧や装備を身に付けた状態で流れの早い川を泳いで特訓をしたりするが、【水泳】は辛うじて会得出来ても【人魚の舞】を会得した者は騎士団の中にはいなかったし、私も初めて見た才能だ。一応知識として海辺に住む種族が会得しているらしいが…生きる為に必死に水の中の魚を潜って捕ろうとし続けたんだろう」
俺達は金さえあればどこでも美味しいものが食べれる…駆け出しの時、お金が無くて空腹に耐えかねて親父やお袋に何度も泣きついて飯を食わせてもらった…そんな事が出来なければきっと俺は…犯罪者になっていた。
「そして異常なのは耐性の数々だ。【物理耐性】というのは【斬撃耐性】【殴打耐性】【刺突耐性】の三つの才能が複合された才能…常日頃から何らかの暴行や外敵からの攻撃に晒され続けなければ会得しない。防具で身を守る我々ではなかなか身に付かない才能だ。合わせて【魔法耐性】も各種属性の耐性が複合された才能で、生身で受け続けないと会得出来ないものだ。そこから派生して【苦痛耐性】を会得し、劣悪な環境に長時間滞在…寝食を共にする度合いで会得する【悪臭耐性】【汚染耐性】。【毒耐性】【麻痺耐性】【薬物耐性】【薬品耐性】は獲物が獲れず毒や幻覚作用のあるキノコを食べて飢えを凌ぎ続けた可能性がある…一、二本で付く訳が無いからほぼ毎日の様に食べていたはずだ。常に死と隣り合わせで寝れば死ぬような環境だからこそ【睡眠耐性】【不眠耐性】が必要で、そんな極限の環境に居れば気が狂う…それでも正気を保てているのは【精神干渉耐性】のおかげ。常に生傷が絶えず、生き残る為に【自然回復】の才能が芽生えたんだろう…」
そこまで言うとその状況を想像したのかラザマンドさんは天井を仰ぎ見て溜息を吐く。
「…もし、君達の目の前で笑顔で猛毒のキノコを食べようとするシオンがいたらどうする?」
「…そりゃ、止めます…」
「だが、シオンの中ではそれが生きる為に必要な食糧なんだ…極限の環境の所為で食べられる様になってしまったんだ。それを君達の常識で異常だと叱責して叩き落として見ろ…シオンは大事な食糧を粗末に扱う君達を許さないだろう…それ程にまで我々とは決定的に違うんだ」
死ぬかも知れない猛毒のキノコを食べようとして止めたら恨まれる…?そんなの命が要らない自殺志願者だけだ。
だけどシオンは死にたい訳じゃなく、食べる物が無いから死ぬ様な物を食べても大丈夫な様に俺達じゃ想像も出来ない痛みを耐えて食べられる様になった…食べれなければ死ぬから。
そこまで言われて本当の意味でラザマンドさんが言っていた意味が分かった…確かに言われなければ今日にでもシオンが引いたその一線を踏み越えていたかも知れない。
「ただ救いなのは…強大な力を無責任に振りかざす様な異常じゃないという事だ。劣悪な環境に耐えたからこそ我々の常識という価値観が適応されないだけで…そうしないと生きれなかったからそう変わっただけなんだ」
そこまで言い切るとパンッとラザマンドさんが手を鳴らして俯いていた俺達の視線を集める。
「シオンとどう付き合っていくか、それとも離れていくか、それは君達が決めろ。ただ、どちらにしろシオンの才能はどんな状況に置かれても秘匿しろ。分かったな?」
頷く俺達を見て羊皮紙を丸めて小さな革袋に入れたラザマンドさんは、その革袋から赤い紙に包まれた贈り物の様な物をセーラに差し出した。
「…?これは?」
「セーラがシオンにあげた…いや、貸した事になってしまった服だ。自分で稼いだ金で洗濯して包装までしていた」
「そう…ラザマンドさんが渡してくるって事は…私達には会いたくないって事ですか…?」
セーラの言葉でまた雰囲気が重くなるが、ラザマンドさんは苦笑して天井を指差す。
「いや、今は自分の服を作るのと馬車を引いた馬達の服を作る為に昼間から集中してるんだ。私がどれだけ声を掛けても部屋から出てこようとしない程にな」
「馬…?自分の服は分かるけど…馬の服…?」
「ああ。走ってる時は寒くないかも知れないが、走っていない時は寒いだろうからとな。馬は乗り物で、使えなくなったら処分する物だと考える我々ではなかなか考え付かない事だ。馬の脚の異変に気付いた事もそうだが、そういう優しく気を配れる一面も持っているんだ、シオンは」
その事に俺達が動揺したのは言うまでも無く…その中でも慎重に疑っていたレーネは酷く驚き俯いてしまう。
「さて…長々と話してしまって済まない。宿の者には友人を呼びに来たと伝えておくからシオンを飯に誘うなら誘ってみるといい。連れ出せるならしっかりと飯を食わせてやってくれ。私は風呂に行って来る」
そう言って手をヒラヒラとさせて去っていくラザマンドさんを見送った俺達は、受付の人にシオンが泊っている部屋を聞いて―――
「おい、シオン。飯でも食いに…」
足の踏み場もないぐらいに散らかっている部屋と、その光景や俺達の声が聞こえない程集中している横顔は作り笑いではない本当に楽しそうな笑顔で―――俺達は宿を後にした。