第九話「白狼騎士団長、決断する」
統一暦一二一五年六月二十一日。
グライフトゥルム王国中部オストヴォルケ山地、西方街道上。ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長
マルクトホーフェン侯爵からの密書が届いた。
持ち込んだのはエドムント・フォン・ドマルタン子爵で、密書と彼からの情報ではラウシェンバッハの軍は一万四千程度と想定より少ないことが分かった。
ドマルタンから情報を聞き取った後、主だった将を集めて協議する。
「情報が正しいのならば、絶好の機会です。直ちに反転して王国の息の根を止めるべきでしょう」
「確かに好機かもしれんが、後方が脅かされた状態では兵たちの士気が保てぬ。ケッセルシュラガーの軍は多くても一万。我が軍の半分にも満たぬのだ。狭い街道とはいえ、餓狼兵団を使えば、突破は難しくない。まずは後方の安全を確保すべきだろう」
「それでは最大の脅威であるラウシェンバッハを取り除けぬ。それに東方教会と西方教会の連合軍が敗北した事実を忘れてはならない。このままではせっかく奪ったヴェストエッケ城を手放さなくてはならなくなるのだ。マルクトホーフェン侯爵を支援し、グレゴリウスの王位を維持する。こうしておけば停戦協定は有効であり、ヴェストエッケを手放す必要がなくなるのだ」
様々な意見が出たが、私が考えていた以上の意見は出なかった。
私は腹を括った。
「王都シュヴェーレンブルクに向けて転進する! このまま西に向かってもケッセルシュラガーの軍が街道を封鎖する可能性が高いのだ。それならば、ラウシェンバッハの軍を撃破し、ケッセルシュラガーの心を砕く!……」
ラウシェンバッハという頼みの綱が切れれば、ケッセルシュラガー軍は放っておいても撤退する。
「ラウシェンバッハの軍が一万二千だろうが、二万だろうが、野戦において我らの敵ではない! 決定的な勝利をものにし、東方教会と西方教会の失態を打ち消す! 我ら神狼騎士団ならそれができると信じている!」
私の宣言に将たちが賛同の声を上げる。
「敵が策を弄するなら、それごと粉砕すればよい!」
「十二年前の雪辱を果たすぞ!」
十二年前の雪辱とは、統一暦一二〇三年夏に南方教会の鳳凰騎士団主導で行われたヴェストエッケ攻略作戦での敗北のことだ。
あの時は黒狼騎士団が罠に掛かり、多くの兵を失っただけでなく、団長であったエーリッヒ・リートミュラーが戦死している。
リートミュラーは対王国戦で活躍した猛将で、兵たちの人気も高かった。
当時私は赤狼騎士団の部隊長であったが、リートミュラーが策に嵌まって敗死したと聞き、驚きを隠せなかった。
その後、私は黒狼騎士団の副団長に昇進し、騎士団の再建に当たった。そして、兵たちから戦いの話を聞いたが、敵の策の用意周到さと心理を巧みに突いた誘導に、敵将クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵に対して、密かに敬意を抱いたほどだ。
しかし、いろいろな情報を得ていくと、その作戦を考えたのはグレーフェンベルクではなく、まだ二十歳にもなっていないラウシェンバッハと分かった。
十九歳の若造に神狼騎士団の精鋭、黒狼騎士団が敗れたことに強いショックを受けた。
若造にしてやられたと知った時の悔しさは今でも覚えている。
当然、再戦し、雪辱を果たしたいという思いは北方教会領軍に属するすべての者が持っている。もちろん私にもだ。
しかし、私にはそれ以外の思惑もあった。
(奴を倒せば、法国内での名声は揺るぎないものになる。東部の戦いで東方教会領軍と西方教会領軍が醜態を晒した原因を取り除けば、彼らは私を無視できない。北方教会と合わせて、三つの教会の支持を取り付けられれば、法王になる可能性は一気に増す……)
私の最終的な目標は法王になるだけではなく、その権限を強化し、我が国を強い中央集権国家にすることだ。
今の体制は東西南北の四つの教会領が力を持ち、そのパワーバランスで政策が決まっている。そのため、長期的な戦略が立てにくく、大国である我が国が躍進できない原因となっていた。
それを取り除き、我が国の歴史に名を残す。それが私の目標なのだ。
翌日、我々は東に向けて出発した。
行軍は順調だったが、情報が全く入って来なくなった。それも王都のある東だけでなく、西からも入らなくなったのだ。
(ラウシェンバッハが情報統制を行っているのだろう。王国内とはいえ、奴の手はどこまで長いのだ? 物資が豊富にあるからいいようなものの、この辺りには略奪できるほどの都市はない。兵たちが不安を感じ始めれば、士気の維持すら難しいだろう……)
西方街道は中間地点のライゼンドルフ以外に大きな町はない。また、王都から百五十キロメートルほど西から深い森林地帯に入るため、物資の補給は困難だ。
幸い、王都を出発する際、マルクトホーフェンから食糧や飼料を大量に供給されているから不安はないが、魔獣狩人による夜襲で焼かれたら、兵たちが強い不安を感じることは容易に想像できる。
「餓狼兵団のグィード・グラオベーア兵団長に連絡。斥候兵を周囲に放ち、狩人たちの奇襲に備えよ」
更に騎士団の騎兵百騎を先行させ、ラウシェンバッハの兵が待ち伏せしていないことも確認させる。
ラウシェンバッハは帝国軍との戦いで、斥候と伝令を徹底的に狩ったことがある。それによって三万の帝国軍が僅か千五百にも満たない王国軍に翻弄され、皇都攻略作戦に参加できなかった。
その際、帝国軍は一個大隊五百名を情報伝達のために使っている。
今回はそこまで必要だとは思わないが、それでも百名程度の騎兵でなければ、情報を持ち帰ることすらできないと判断したのだ。
将の中には慎重すぎるという声があったが、東方教会と西方教会の連合軍の敗北を思い出させというと、皆口を噤む。
(シュヴェーレンブルクの状況が知りたいが、奴が情報封鎖をしている以上、入ってくる情報はこちらを混乱させる偽情報だけだろう。マルクトホーフェンがどこまで粘れるかだが、最悪でも森林地帯は抜けておきたいものだ。何と言っても向こうの方が獣人の数は多いのだ。それに闇の監視者の支援もある。しかし、平地で正面からぶつかれば、奴も策を弄しようがないはずだ……)
私は不安を感じながらも、敗北するとは全く思っていない。
(確かにラウシェンバッハは軍略の天才だ。それにエッフェンベルクやイスターツといった若い将も有能だ。しかし、奴には決定的な弱点がある。それは兵をかわいがり過ぎることだ……)
これまでの奴の戦いを調べていくと、王国軍の損失が極端に少ないことが分かった。もちろん、敵に多くの損害を与えているから、攻撃の手を緩めているわけではないのだが、必要以上に兵の損失を嫌い、本来必要のない策まで実行していると感じている。
兵の損失を抑えることは重要だ。戦いは一度で終わるものではないし、国力に劣る王国にとって、兵を失えば回復するのに時間が掛かり、大国に飲み込まれてしまうからだ。
それは理解するが、何度も奇策を使えば、奇策ではなくなる。そして、策に溺れれば、いつか大きな失敗をするはずだ。
(兵を損なうことを嫌う奴なら、必ず奇策を使ってくる。特に兵が少ないなら、策を使わざるを得ない。そして、それを逆手に取れれば、兵力で圧倒する我が軍が決定的な勝利を得ることになるだろう……)
私はラウシェンバッハの奇策に対抗するための方針を考えていった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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