第六話「軍師、北方教会領軍の動きを予測する」
統一暦一二一五年六月十八日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
ハーゲン・フォン・クライネルト子爵からグレゴリウス王子が王宮を脱出し、ヴィントムント市に向かったと聞かされた。しかし、状況からゾルダート帝国が関与している可能性が高いと判断している。
グレゴリウス王子が王宮にいない状況は危険だ。
マルクトホーフェン侯爵は王子の身柄と王宮を盾にしているが、こちらが王子の不在に気づいたと知れば、自暴自棄になりかねないからだ。
クライネルトが営倉に送られた後、私たちはラザファムらと合流した。
そして、ラザファムとハルトムートに事情を説明する。
二人とも私と同じ懸念に至ったため、渋い顔をしている。
「まずい状況だな。だが、明日の出撃に変更はないということでいいんだな」
ハルトムートがそう聞いてきた。
クライネルトから話を聞く前の予定でも、王宮の包囲は王国騎士団に任せ、レヒト法国の北方教会領軍を追撃するため、ラウシェンバッハ騎士団他と出撃する予定だったからだ。
「その認識で問題ないよ。マルクトホーフェン侯爵も私が強引な手を打つとは思っていないだろうし、時間を掛けても王宮に被害を出さないための準備に奔走していると思ってくれるからね」
王都の南門を攻撃した際、こちらの戦力は一万四千ほどしか見せていない。そのため、王宮の包囲と王都の防衛で手いっぱいになると侯爵たちは考えるだろう。
侯爵も私が情報を重視していると知っている。そうであるなら、北方教会領軍の動向に注目していることは容易に想像できるだろう。その状況で私が姿を見せなければ、慌てて対応していると考えてくれるはずだ。
「侯爵との交渉はどうするつもりなのだ? お前もイリスも出陣するつもりなのだろう? 今の王都にお前たち以外に交渉できる者がいるとは思えないのだが」
ラザファムが疑問を口にする。
ラザファムとイリスの父、先代のエッフェンベルク伯爵であるカルステン卿や初代の総参謀長であったユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵がいれば、彼らに任せることもできた。
しかし、マルクトホーフェン侯爵が王都を掌握した後、反マルクトホーフェン派の有力な貴族は身を守るために領地に戻っており、王都には交渉を任せられるほどの人材がいない。
それでも私は出陣するつもりだった。
「シュタットフェルト伯爵に依頼するつもりだ。グレゴリウス殿下を解放すれば、マルクトホーフェン侯爵らの領地への帰還を認めるという条件以外、こちらからは出しようがない。それなら腹芸が苦手なシュタットフェルト伯爵でも問題はないからね。それにグライナー総参謀長やクラウゼン情報部長も救出できたから、彼らに補佐してもらえば問題は起きないだろう」
王国騎士団の暫定的な総司令官ベネディクト・フォン・シュタットフェルト伯爵は性格的に政略や謀略に向かないが、今回に限って言えば時間稼ぎだけだから問題にならない。
私の後任である総参謀長ヴィンフリート・フォン・グライナー男爵は王国騎士団の派兵に反対して王都に残ったが、マルクトホーフェン侯爵が王都を掌握した際、拘束された。
また、作戦部長のギュンター・フォン・クラウゼン男爵も私に情報を流すことを懸念した侯爵に濡れ衣を着せられて投獄されていた。
いずれも投獄生活で疲労は見えたものの、健康状態に問題はないため、シュタットフェルト伯爵の補佐は充分に可能だ。
そこでイリスが発言する。
「厳しいのは北方教会領軍との戦いの方よ。マティには本陣にいてもらうことになるけど、私はランダル河の時と同じように別動隊に同行するつもり。現時点では戦場を設定できないから、現場での臨機応変の対応が必要になるから」
前回のランダル河の戦いでは、こちらが戦場を設定することができたが、現状では北方教会領軍の動きがはっきりしていないため、戦場を確定させることができない。
そのため、現時点では作戦を立てることが難しく、臨機応変の対応が必要になることは間違いない。
イリスの言葉にハルトムートが大きく頷く。
「それはありがたいな。今回も俺が別動隊を指揮するんだろ?」
その問いに私が答える。
「そのつもりだよ」
「しかし、マルシャルクは戻ってくるのか? いくら挟み撃ちにできる絶好の機会とはいえ、敵国内に長期間滞在することになるのだ。私ならリスクが大きすぎると考えて引き上げるが」
ラザファムの疑問に対し、イリスが答える。
「その点は考えてあるわ。既にマルクトホーフェンが出したように見せかけた偽の使者を送り込んであるの。こちらの兵力が一万くらいしかなく、王都に被害を出さないために策を使って開城を狙っているという情報を流すことになっているわ。それにケッセルシュラガー侯爵もそろそろ動いているはずだから、まずは私たちを撃破してケッセルシュラガー軍の士気を下げることを考えるはずよ」
偽の使者は我々が王都に到着する二日前、六月十六日に一度だけ出している。これは情報を重視する私が王都の包囲前に街道を封鎖することは容易に想像されるので、それ以降に私の目を掻い潜って情報が届くことは不自然だからだ。
また、商人たちも危険な西方街道を使わないから、北方教会領軍の指揮官ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長は少ない情報で判断しなくてはならない状況だ。
そのため、決定的な何かがなければ、ラザファムが言うようにリスクを考慮して撤退する可能性は否定できない。
マルシャルクに決断を促すため、ケッセルシュラガー侯爵を使う。
ケッセルシュラガーは西方街道の西の端ヴェストエッケの北約百キロメートルにあり、法国軍の前線基地となっているヴェストエッケとマルシャルク率いる北方教会領軍を分断できる位置にある。
ケッセルシュラガー侯爵には西方街道の中間点に近いライゼンドルフの町を奪還してもらうように依頼してあった。これはラウシェンバッハを出発する前の六月四日に影を送ってあるから、侯爵が躊躇しなければ、既に動き始めているはずだ。
私の予想ではケッセルシュラガー軍は六月二十五日頃にライゼンドルフに到着する。六月八日に王都を出発した北方教会領軍には魔獣狩人を使ったゲリラ戦を仕掛けているから、どれほど早くても六月三十日頃にしか到着できない。
ライゼンドルフは城塞都市ではないが、そのタイミングなら狭い西方街道を利用して防御を固めれば、一万のケッセルシュラガー軍であっても餓狼兵団を擁する二万四千の北方教会領軍に充分対抗できる。
マルシャルクはヴェストエッケとの連絡が途絶えれば、ケッセルシュラガー軍が動いたと考える。そして、ライゼンドルフで待ち受けることが合理的だと気づく。
ライゼンドルフなら補給は容易だし、魔獣狩人の支援も受けられるからだ。
油断なく迎撃準備をしているケッセルシュラガー軍を、短期間で撃破することが難しいと考えてくれれば、王都から迫ってくる我々との挟撃を恐れるだろう。
そうなれば、こっちのものだ。補給線を断ち切られた敵国内で挟撃を受けることは避けたいだろうから、先手を打って各個撃破するという結論になるはずだ。
ラザファムとハルトムートも同じ結論に思い至ったのか、私たちの説明に頷いている。
「確かにそうだな。あとはどのタイミングでこちらに向かってくるかが問題ということか」
ラザファムの言葉に頷く。
「その通り。私としては西方街道がヴォルケ山地に入る前、具体的にはノイムル村の西辺りで待ち受けたいと考えている。あの辺りなら地形が複雑な森林地帯だから、罠を張りやすいからね」
ハルトムートの故郷、ノイムル村は王都から約百五十キロメートル西にある。我が軍の行軍速度なら急げば五日で到着できる。
一方の北方教会領軍だが、通常の行軍速度なら現在の位置は王都の西二百キロメートルほどの場所だろう。伝令が到着するのは三日後の六月二十一日だから、更に進むことになる。
その時点での位置は王都から二百五十から二百六十キロといったところだろう。そこから引き返すとして、我々がノイムル村に到着する予定の六月二十四日には王都から百九十から二百キロメートルの位置であり、ノイムル村付近での待ち伏せは充分に可能だ。
もし、マルシャルクが王都に戻らず、ライゼンドルフに向かうのであれば、こちらは速度を上げればいい。
私とエッフェンベルク騎士団の歩兵以外は、一日当たり四十キロメートルの行軍が可能だから、北方教会領軍がライゼンドルフに到着するタイミング、六月三十日に合わせることはそれほど難しくない。
その場合、山の中を移動できる一万五千を超える獣人族が奇襲を仕掛けることで、勝利を確実にものにできるだろう。
そのことを説明すると、全員が頷く。
「いずれにしても斥候は多めに出して敵の位置を掌握し続ける必要がある。勝利は難しくないけど、マルシャルク団長は帝国の将軍並みに優秀だから油断はできない」
「そうね。敵兵も危機感を持っているでしょうから、死兵になる可能性もあるわ。兵たちが気を緩めないよう、兄様とハルトにはしっかりと手綱を握ってもらいたいわね」
更に明日以降の計画について話し合い、明日の早朝に出陣することが決まった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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