第五話「軍師、顛末を知る」
統一暦一二一五年六月十八日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
マルクトホーフェン騎士団を撃破し、王宮を包囲した後、私はジークフリート王子らと共に騎士団本部に入った。
日が落ちた後、会議室で今後の方針について話し合っていると、護衛である影のユーダ・カーンが近づいてきた。
「ハーゲン・フォン・クライネルト子爵が面会を求めております。いかがされますか?」
「クライネルト子爵? 王宮にいると思っていたのだけど、どういうことかしら?」
イリスが疑問を口に出すが、私も同感だった。
「王宮が混乱している隙に脱出したと言っております」
王宮とその周辺は城門を突破するまで真実の番人の勢力圏であったため、兵の一部が逃げ出したとは聞いていたが、クライネルトまで脱出しているとは知らなかった。
「命乞いか? それなら会う必要性は感じないが」
ラザファムが侮蔑の混じった声で吐き捨てる。潔癖な彼は市民への暴行を止められなかったクライネルトを嫌っているのだ。
「ぜひとも聞いていただきたい情報を持ってきたと申しております。内容についてはマティアス様に直接お話しするとのことですが、今後のマルクトホーフェン侯爵との交渉に影響する重要な情報と主張しています」
「交渉に影響する重要な情報……分かりました。会いましょう」
「私も同席したいのだが、いいだろうか?」
ジークフリート王子がそう聞いてきた。
「構いませんが、何も約束はしないでください。相手は虐殺事件を起こした部隊の責任者ですが、その場で責任を追及するようなことも避けていただきます」
クライネルトが脱出後にわざわざ面会を申し込んできたのは、マルクトホーフェン侯爵を裏切る代わりに、自分の安全を保証し、今後発足する政権である程度の地位を与えろと交渉しに来た可能性が高い。そのため、言質を与えるようなことはしたくなかったのだ。
「分かった。できる限り口は挟まないし、言質を与えるようなこともしないと約束する」
「それから私が殿下に尋ねた場合は、“マティアス卿に任せる”とだけ言っていただけると助かります」
「それについても了解した。理由は分からないが、卿の交渉に役に立つなら何でもやろう」
「私も同席させてもらうわ」
イリスもそう言ってきたが、最初から同席してもらうつもりだった。侯爵との交渉に重要というからには、今後の戦略に関わってくる可能性が高いためだ。
ラザファムとハルトムートは私たちに任せると言ってきた。二人とも明日以降の行軍の最終確認を優先したいと言っているが、クライネルトの顔を見れば、侮蔑の表情を隠せないと考えたようだ。
用意した会議室に入ると、自信に満ち溢れた小男がふんぞり返って待っていた。年代的には私と同世代だが、取ってつけたようなカイゼル髭が小物感を醸し出している。
「遅い! 重要な情報を持ってきたと伝えたのに待たせるとは何ごとだ」
交渉を優位に進めるために高圧的な態度に出てきた。
「お待たせして申し訳なかったです。貴殿の話をジークフリート殿下に聞いていただこうと思い、お連れしたため遅れました。それともいらぬお節介でしたか?」
私たちの後ろにいる若者が王子だとは気付かなったようだ。
私は謝罪するように見せかけた上で、主導権を奪いにいく。
「ジークフリート殿下が……」
慌てて片膝を突いて頭を下げる。
「ハ、ハーゲン・フォン・クライネルト子爵です。で、殿下におかれましては……」
その挨拶を遮る。
「クライネルト殿、時間は貴重なのではありませんか? 本題に入りましょう」
「な、何! い、いや……その通りだ……で、では」
遮られたことに文句を言おうとしたが、王子の姿を見て口ごもる。これで主導権は完全にこちらに移った。
「重要な情報とはどのようなものですか? その情報の重要度によっては王家に弓を引いたことと相殺することも可能ですし、恩賞が与えられる可能性もありますが」
恩賞という言葉にピクリと動くが、すぐに真面目な表情で話を始める。
「私はマルクトホーフェン侯爵家の家臣の中でも侯爵本人と非常に近い関係にありました。そのため、侯爵は私を信頼し、強い権限が与えられていたのです。私はその権限を利用し、王国のために行動を起こすことにしました……」
自分を大きく見せようと無駄な話から入り、もったいぶって言葉を切る。
しかし、イリスを含め、そのことは指摘せず、次の言葉を待った。
「侯爵は殿下の軍が攻め込んできたならば、グレゴリウス殿下と共に命を絶ち、王宮を焼くと脅しました。愛国者であり王家に忠誠を誓う私は、そのことに危機感を持ったのです……」
そこでイリスが我慢できなくなったようだ。
「話が見えませんわ。重要な情報という話はどうなったのですか? 早く結論を教えていただけないかしら」
その言葉にクライネルトは憮然とするが、ジークフリート王子が頷いているのを見て、表情を戻した。
「私は王宮に入ると、グレゴリウス殿下に密かに接触し、王宮から脱出させたのです」
その言葉に王子が思わず声を上げる。
「それは真だろうか」
「はい。王宮で商人組合の手の者と共に命懸けで救出しました。そして、計画通りに少人数で海に向かい、今頃はヴィントムント市に向かう船に乗っておられるはずです」
商人組合の手の者という言葉にしてやられたという思いが募るが、それを無視して確認すべきことを聞いていく。
「脱出したのはいつ頃のことでしょうか?」
「城門が破られてすぐだったから、昼過ぎだな。王都の北門を出たのは午後三時の鐘が聞こえた頃だったと記憶している。それからすぐに間者だけになった。本来なら最後までお供すべきだったが、一緒では目立つと言われたから止む無く別行動をとったのだ」
既に四時間以上経っており、海岸に到着している頃だろう。
それでも後ろに立っているユーダに追うように目で合図し、話を聞いていく。
「商人組合の手の者とおっしゃいましたが、その証のようなものは確認しましたか?」
「潜入している間者がそのようなものを持っているわけがないだろう。だから、確認などしていない」
そこでイリスが硬い声で王子に話す。
「グレゴリウス殿下は帝国に拉致されたようです。商人組合にリスクを負ってまでグレゴリウス殿下をお助ける動機はありませんから」
「確かに商人に動機はないな……しかし、帝国と断言していいのだろうか? 法国の可能性もあると思うのだが」
「この状況でグレゴリウス殿下の身柄を欲しているのは、殿下のおっしゃる通り、帝国以外は法国しかありません。しかし、今回は真実の番人の間者を使っておりますので、法国ではありえませんわ。厄介なことになりました」
二人の会話を聞き、クライネルトが目を見開いている。
「モーリス商会に対抗するために、商人組合の幹部がグレゴリウス殿下を救出し、ラウシェンバッハ殿との伝手を作ろうとしていると聞いた。それが間違いだというのか?」
「当然でしょう。もし、夫とのコネクションを欲しているなら、グレゴリウス殿下をここにお連れすればよかっただけのこと。わざわざヴィントムントまで連れていく必要などないわ」
イリスが呆れたという表情を浮かべ、最後にはぞんざいな口調になっていた。
「妻の言う通りです。それに真実の番人の間者を多数雇い、更にマルクトホーフェン侯爵の下に送り込むなど、商人組合に属する商人が考えることではありません。それだけの金があるなら、我が領に直接投資した方が私の心証はよくなりますし、資金の回収もできるからです。金にうるさい商人たちがそんな理由で間者を雇うなどあり得ないことです」
「騙されたのか……」
クライネルトは愕然としている。
「クライネルト殿、この件について知っている人はどのくらいいますか?」
「知っている者……直属の部下だけだから十名ほどだ。兵に知られれば騒ぎになりかねんからな。それがどうしたというのだ?」
クライネルトの問いを無視して、ジークフリート王子に話し掛ける。
「このことを我々が知っていると気づけば、マルクトホーフェン侯爵が自暴自棄になって王宮に火を放つ可能性があります。彼にとって脱出することすらままならない状況に追い込まれたのですから」
「確かにそうだな。ではどうすればよい?」
「その前にクライネルト殿とその部下を隔離する必要があります」
「情報統制のためね」
イリスの言葉に、クライネルトが怒りを見せる。
「隔離だと! 私を拘束しようというのか!」
「クライネルト殿。卿と卿の部下には虐殺事件に対する責任があります。そのために身柄を拘束させてもらいます」
「貴様! 重大な情報を持ってきた私に対し、このような仕打ちをするつもりか!」
「あなたの部隊が千人を超える市民を虐殺し、多くの財産を奪ったことは明白です。これほどの事件を起こした部隊の指揮官が責任を問われないなどありえません。まあ、こちらに協力していただけるなら、配慮はさせていただきます。それでよろしいですね、殿下」
「マティアス卿にすべて任せる」
クライネルトは私の言葉に目を見開いて慄いたが、王子の言葉を聞いて卑屈に笑う。
「も、もちろん協力はする。だから、よろしく頼む」
虐殺事件のことで負い目があるため、配慮という言葉に簡単に反応した。これでクライネルトが騒ぎを起こすことはないだろう。
「では、しばらくの間、窮屈なところで過ごしていただきますが、そこはご容赦いただきたい。部下にもこちらに来るように命じてください」
それだけ言ったところで、私の護衛である黒獣猟兵団のファルコ・レーヴェに命令を出す。
「ファルコ、騎士団の者を呼んできてくれないか。クライネルト殿を営倉に案内させるから」
「承知いたしました」
それだけ言うと、部下の一人に命令を出す。
すぐにラウシェンバッハ騎士団の一団が現れ、クライネルトを連れていった。
「配慮をするとマティアス卿は言ったが、彼の刑を軽くすることはよくないと思うのだが」
ジークフリート王子が強い視線で私を見つめている。
「殿下、マティは配慮すると言っただけですよ。見逃すとも罰を軽くするとも約束していませんわ」
イリスが私の言いたいことを言ってくれた。
「詭弁だったのか? それはそれでどうかと思うが」
十七歳の少年には汚い交渉に見えたようだ。
微笑ましく思うが、こういったことも覚えてもらわなければならない。
「配慮はいたします。営倉では食事を良くし、酒も付けるつもりです。ですが、これは情報統制のため。必要がなくなれば、軍法に基づき、厳正に処分するよう提案するつもりでした。そして、このことはジークフリート殿下の名で大々的に公表します。そうすることで殿下が法を軽んじていないと周知できるからです」
法を軽んじていないことを周知することはもちろんだが、王都民の人気取りも考えている。但し、そのことを言うつもりはなかった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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