第二話「ヴィージンガー、絶望する」
統一暦一二一五年六月十八日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮内。エルンスト・フォン・ヴィージンガー子爵
日が落ち、城壁の上には篝火が焚かれている。
その光が王宮の庭園にある池の水面に反射し、幻想的な美しさを作っているが、私にその美しさを愛でる余裕はなかった。
王宮の周囲にはラウシェンバッハの軍だけでなく、王国騎士団まで加わっている。その正確な数は不明だが、我が方の三千の倍以上であることは間違いない。
(閣下が恫喝してくださったが、あのラウシェンバッハなら多少の犠牲を無視して攻撃してくる可能性は否定できない。何と言ってもラウシェンバッハの兵は夜目が効く獣人たちだ。夜襲で一気に攻め込まれたら、抵抗することすらできずに敗北する……)
夕方、マルクトホーフェン侯爵閣下がジークフリート王子らに対し、恫喝を行っている。
『我々はグライフトゥルム王国の正統な国王、グレゴリウス二世陛下をお守りしている! 国王陛下に弓を引くジークフリート王子は反逆者である! 我々は愛国者であり、ジークフリート王子の軍門に降ることはない! グレゴリウス二世陛下の退位を認めるくらいなら王宮に火を掛け、陛下と共にグライフトゥルム王国の歴史に幕を下ろす! 我らの覚悟を甘く見るな!』
これにより、敵軍の動きが鈍くなった。それまでは隙を窺うような動きを見せていたが、こちらを必要以上に刺激しないように城壁から距離を取り始めたのだ。
現状では半数の兵で城壁を守っているが、全体を指揮できる者が閣下と私しかいない。
(この状況で十日以上耐えるのは厳しいな。せめてもう一人使える指揮官がいてくれたら……)
マルクトホーフェン騎士団の部隊長は四人いたが、その一人であるハーゲン・フォン・クライネルト子爵は南門の戦いの後、行方が分かっていない。混乱の中、ラウシェンバッハの軍に捕らえられたか、恥も外聞もなく降伏したのだろう。
他の三人もクライネルトと同じくあまり役に立たない。だからと言って、閣下に前線指揮を任せるわけにはいかないため、四六時中私が前線にいる必要があった。
城門には詰所があり、そこで仮眠を摂る予定だが、体力が持つか不安が大きい。
そんな中、伝令が小走りでやってきた。
「侯爵閣下がお呼びです。大至急、執務室に来ていただきたいとのことです」
閣下の命令だが、この場を離れることも憚られる。
「前線の指揮について、閣下は何かおっしゃっていたか?」
「そのことはお尋ねしましたが、ともかくすぐに来てほしいとのことでした。お急ぎを」
緊急事態のようだが、情報が遮断されている状況で何が起きたのか全く想像できない。
急ぎ執務室に入ると、頭を抱えるように机に伏している閣下の姿があった。
人払いが行われると、憔悴しきった閣下が顔を上げられた。
「陛下が消えた」
「陛下が? グレゴリウス陛下がですか?」
理解できず、思わず聞き返してしまう。
「そうだ。夕食を持っていった侍従がご不在に気づいた。衛士たちに確認したところでは南門を奪われた混乱の後、クライネルトが私の命令と偽って陛下を連れ出したらしい。王宮内を探したが、どこにもいらっしゃらぬ」
行方不明だと思っていたクライネルトが陛下をどこかに連れ出したらしい。
「クライネルトが何のために……」
「陛下を手土産にジークフリートに降るのであろう。まずいことになった」
閣下のおっしゃる通り、まずい状況だ。
しかし、よく考えると、クライネルトが陰供を説得して連れ出すことは難しいはずだ。陰供は閣下の命令で護衛しているが、言葉だけで信じることはない。
それに陛下を確保したのであれば、敵が何か言ってくるはずだ。ラウシェンバッハだからこちらを焦らしている可能性は無きにしも非ずだが、違和感があった。
「クライネルトが連れ出したとして、陰供が素直に従ったことに違和感があります。それに敵方に寝返ったのであれば、既にラウシェンバッハの耳に入っているはず。奴がこの情報を利用してこないことも解せません」
私の言葉で閣下の目に生気が戻った。
「確かにエルンストの言う通りだ。陰供は真実の番人との契約があるからクライネルトが何を言おうが……帝国にしてやられた!」
閣下が何か思いつかれたようだ。
「陛下の護衛には帝国が金を出している。契約上は我がマルクトホーフェン侯爵家が雇った形になっているが、密かに命令を与えられていたのかもしれん……」
以前、真実の番人の間者を増員した際、帝国にも金を出させることで合意した。彼らもラウシェンバッハが脅威であると認識しており、その対策を共同で行うことで、より効率よく対応できると判断したためだ。
その際、王宮の警護に対し、帝国に資金を出させた。下手に謀略に関与させると、我々ごと狙いかねないためで、王宮の警護なら陛下やアラベラ殿下を暗殺する可能性はあるものの、こちらが雇った陰供を付けておけば、防ぐことは難しくないからだ。
「まさかこのドサクサに紛れて陛下を拉致するとは……しかし、我が家が雇った陰供が何も言ってこないのはおかしい。同じ組織で殺し合うことはないだろうから、気づいているはずだが……」
「帝国にしてやられたのかもしれません。契約では陛下とアラベラ殿下の身辺警護を双方の雇った護衛で行うとされていました。しかし、我が方の陰供が確実に護衛に入るという条項はなかったはずです。密かに帝国の手の者だけになるように手配した可能性は否定できません」
調べてみると、宮廷書記官の一人に陰供の変更が伝えられていた。ラウシェンバッハの軍に対応している最中であり、閣下を煩わせないようにメモで伝えるように指示されたとのことだった。
「やられたな……これからどうするかだ」
旗印である陛下が行方不明では今後の戦略に大きな影響が出る。
「この状況で降伏しても処断されるだけです。かと言って、篭城を続けてもあまり意味はありません。マルシャルクがラウシェンバッハを破ったとしても、陛下が拉致されたのであれば、フリードリッヒが即位するしかないからです」
「そんなことは分かっている」
閣下は不機嫌そうに呟く。
「帝国が次の行動を起こすのは二ヶ月以上先です。それまで籠城を続けることは不可能ですし、帝国の行動が我らに有利に働くかも分かりません。降伏を前提に考えるべきではないでしょうか」
帝国が陛下を拉致したのであれば、船で帝都に移送するはず。移送しなくとも連絡には片道一ヶ月は掛かるから、皇帝が何か言ってくるにしても二ヶ月以上先になるのだ。
「降伏などすれば、私とお前は処刑される。意味はなかろう」
閣下のおっしゃる通りだ。
(ここで降伏することはラウシェンバッハに負けたことを認めることだ。そのようなことは断じてできん……起死回生の策を考えねば……)
いろいろな策を出し合うが、どれも破滅を回避することができない。
いい考えが思いつかないまま、一時間が過ぎた。
「状況が変わるのを待つしかないということか……」
「そうですね。陛下が自力で脱出される可能性もゼロではありません。そのタイミングで降伏すれば、言い訳はできます」
自分でも信じていないことを言った。
帝国が主導し、真実の番人が協力しているなら、一般人に過ぎないグレゴリウス陛下が自力で逃げ出すことは不可能だ。
それに真実の番人もラウシェンバッハの手の者が察知する前に脱出したいと考えるからすぐに船に乗せるだろう。闇の監視者の凄腕といえども、海に出てしまえば追跡・奪還は難しいからだ。
「お前は防衛の指揮に戻れ。だが、絶対に悟られるな。敵にも味方にも」
「分かっております」
味方に知られれば、ここを守る理由がなくなり、士気が保てない。そのため、侍従や衛士には緘口令を敷き、もし発覚したら殺すと言って脅している。
敵に知られても同じだ。大義名分がなくなったことを強く主張してくるだろうから、兵の士気は一気に落ちるはずだ。
私は重い足取りで城門に向かった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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