第三十一話「軍師、王都を攻める」
統一暦一二一五年六月十八日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク郊外。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
我々王都奪還軍一万四千は王都シュヴェーレンブルクの南、約五百メートルの場所に陣を敷いた。
王都解放軍の陣形だが、本隊としてハルトムート率いる突撃兵旅団二千が方陣を作り、その中に私とイリス、ジークフリート王子が護衛である黒獣猟兵団百名と共に、総司令部を形成している。
我々の前方にエッフェンベルク伯爵領の義勇兵一千四百がおり、実質的な総司令官であるラザファムがそこで戦闘の全体指揮を執る。
本来なら参謀である私やイリスがラザファムと一緒にいるべきだが、今回に限ってはほとんど助言の必要がないため、王子の教育を考えてこのような配置にしている。もちろん、想定外の事態が起き、助言が必要なら合流するか、通信の魔導具で連絡を取り合うことになっている。
最前列には今回の攻撃の主役である、弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵率いるラウシェンバッハ騎士団約五千が連隊ごとに布陣し、そのすぐ後ろに義弟ディートリヒ・フォン・ラムザウアー男爵率いるエッフェンベルク騎士団約三千四百と王国騎士団約二千が横陣を作っている。
ラウシェンバッハ領の義勇兵八千は今回の戦いには参加しないため、王都の南三キロメートルほどの目立たない場所で輜重隊と共に待機している。
義勇兵たちは戦いに参加できないことを残念がっていたが、この後の戦いで活躍してほしいと諭すと、素直に従ってくれた。
一方の敵だが、王都の城壁の上はマルクトホーフェン侯爵の兵士で埋め尽くされている。数的には南門を中心に八千ほどで、軍旗からマルクトホーフェン騎士団と貴族領軍だと分かっている。但し、遠目に見ても兵士たちに落ち着きはなく、威圧感はあまりない。
「グレゴリウス兄上は素直に降伏してくださるだろうか」
名目上の総大将であるジークフリート王子が独り言のような小声で問いかけてきた。
妻のイリスがその問いに答えた。
「どうでしょうか? 三日前に王都明け渡しの要求は届いているはずですが、何の反応もありません。ここ最近、グレゴリウス殿下は公の場に姿を見せておられませんから、マルクトホーフェンと対立し、軟禁されているのかもしれませんが」
それまでグレゴリウスは謁見の間で貴族たちに顔を見せていた。しかし、六月十日に発生した“二番街の虐殺”と言われる事件以降、姿が見られなくなった。
王都に我々が近づけば、何らかのアクションがあると思っていたが、王宮からは何の発表もない。
事件をめぐってマルクトホーフェン侯爵と対立し、軟禁されたのではないと考えているが、王宮内は真実の番人の監視が厳しく、影を入れられていないため、詳細は分かっていない。
「兄上なら、もしかしたらと思ったのだが……やはり攻撃しなくてはならないということか……千二百年の歴史で、直接王都を攻撃した最初の者に私はなるのだな。名誉なのか、不名誉なのか迷うところだな」
王子はやりきれないという表情でそう言って苦笑する。
グライフトゥルム王国が外敵に侵入されたのは今回のレヒト法国軍が初めてであり、その法国軍も王都を攻撃していない。また、過去には大貴族の反乱が何度かあったが、王都に迫られるようなことはなく、王子の言う通り初めて攻撃されることになる。
「市民が虐殺された王都を解放するのです。名誉なことと考えましょう」
私が励ますと、王子も覚悟を決めたのか、予め打ち合わせていた通り、命令を出した。
「そうだな……ラザファム卿に伝えよ。攻撃を開始せよと」
後ろに控えていた通信兵がラザファムの司令部に連絡する。
すぐにラウシェンバッハ騎士団が動き始めた。
防御重視の第三連隊が巨大な盾を掲げて前進し、その後ろに第一連隊と第二連隊が続く。三つの連隊の左右のやや後ろに第四連隊が二つに分かれて配置されていた。
形としては扁平した魚鱗の陣に近い。
「第一連隊だけでも充分だと思うのだけど、兄様は慎重ね」
敵は八千ほどだが、幅二キロメートルの城壁に分散しているため、精鋭であるラウシェンバッハ騎士団なら一個連隊一千名でも充分に城門を奪うことができると私たちは考えていた。
「損害を最小限にしようとしているんだろうね。時間はたっぷりあるし、マルクトホーフェン騎士団の兵たちに絶望を与えるという点ではうまいやり方だと思うよ」
マルクトホーフェン騎士団の兵は基本的に農民兵だ。弓兵には魔獣狩人もいるようだが、強い弓を扱える者は少なく、運が悪い者がまぐれ当たりを引いてしまう程度で大きな損害を被ることはないだろう。
「敵が矢を放ち始めたようだ」
ジークフリート王子が望遠鏡を覗き込みながら呟いている。
私たちもそれに倣って望遠鏡を覗く。
高さ十五メートルの城壁の上からパラパラという感じで矢が放たれているが、目標を定めずに漫然と放っているため、矢の密度は低い。
「あれでは矢の無駄ね。第一連隊と第二連隊が攻撃するみたいよ」
味方に視線を向けると、二つの連隊の兵士が弓を構えていた。この弓は複合弓で、小型ながらも膂力に優れた獣人族でなければ使えない強力なものだ。
ラウシェンバッハ騎士団から一斉に矢が放たれる。
その矢は南門の上に集中し、望遠鏡がなくても矢が見えるほど密度が高い。
「射撃はこうやってやるのよ」
イリスが満足げに呟いている。
ラウシェンバッハ騎士団の兵士は弓の訓練も受けているが、エッフェンベルク騎士団の長弓兵と異なり専門ではない。そのため、強力な弓を使えるものの命中精度は低い。
その命中精度の低さを、集中して撃ち込むことでカバーするのだ。
精密射撃を点への攻撃とすれば、集中射撃は面への攻撃だ。ある程度の場所に撃ち込めるなら、充分な戦果を挙げられる。
「第四連隊が城壁に取り付いたようだね」
もっとも身軽な第四連隊が鉤爪付きのロープを使って城壁を登っていく。十五メートルもの高さがあるとは思えないほど素早く、既に城壁の上に到達した者すらいた。
「エッフェンベルク騎士団も射撃を開始したわ。これで終わったわね」
第四連隊が城壁に上り切るタイミングで、エッフェンベルク騎士団の長弓兵による精密射撃が行われた。下に注意を向けていた敵兵は矢を受けて次々と落ちていく。
「我々も前進しましょう」
私の言葉にジークフリート王子が頷く。
「前進せよ」
王子は気負うことなく、命令を出した。
我々はゆっくりと前進していく。
すぐに門の上にエッフェンベルク家とラウシェンバッハ家の旗が立った。
門以外の城壁からも兵士たちが次々と姿を消しており、敵わないと見て撤退し始めたようだ。
「順調のようですね」
王子に話し掛けた時、後ろに控えていた通信兵が声を掛けてきた。
「ラザファム卿から通信が入っております」
通信兵が魔導具を操作しながら、器用に馬を寄せてくる。
「馬上で通信できるほど馬術に自信はないんだけど……」
そう言いながらも受話器を受け取る。
このタイミングで通信を入れてきたということは、ラザファムが判断できないほど突発的な事態が起きたということだからだ。
『こちらラザファム。城壁の内側でマルクトホーフェン騎士団と市民が小競り合いをしているらしい。指示を願う。以上』
「マルクトホーフェン騎士団が市民を攻撃しているということか? 以上」
『エレン・ヴォルフ連隊長からの情報では、市民たちが逃げようとしたマルクトホーフェン騎士団を襲っているらしい。これ以上の情報はこちらにも入っていない。以上だ』
どうやら市民たちが虐殺事件を起こしたマルクトホーフェン騎士団に報復しているらしい。
「まずは南門の確保を優先せよ。余裕があれば、第一連隊と第四連隊を派遣し、市民たちに手を引くように命じつつ、マルクトホーフェン騎士団を追い立てよ。以上」
ラザファムはすぐに了解と返し、通信を切った。
「王都内で市民とマルクトホーフェン騎士団が戦っていると聞こえたが?」
ジークフリート王子が聞いてきたので、簡単に説明する。
一緒に説明を聞いていたイリスが表情を曇らせていた。
「市民たちが暴走しなければいいのだけど……下手をしたら市街戦になってしまうわ。そうなったら街に大きな被害が出るわ」
王都の平民街は大通りはともかく、他は狭く入り組んだ街路が多い。そのため、迷った敵兵が自暴自棄になる可能性があり、大通りに追いやって、そのまま王宮の方に向かわせるつもりでいた。
しかし、市民たちが報復のために残党狩りのようなことを始めると、敵兵はその場で応戦せざるを得ず、スムーズに撤退できなくなる。
そこで私はジークフリート王子を見た。
「市民たちに声を掛けていただく必要があります」
「私が? 卿の方が王都では馴染みがあると思うのだが」
「確かに私の名は知られていますが、王族として殿下に語り掛けてほしいのです。王都の民は王家に親しみを感じていますし、上手くいけばマルクトホーフェン騎士団の兵も投降するかもしれませんから」
私の説明に王子は頷いた。
「王家の者としての義務ということだな。分かった。何を話せばいいのかだけ教えてほしい」
やる気を見せている王子の横にいるイリスは、私の目的に気づいたようでニヤリと笑っていた。
私はこの機を利用し、王都民にジークフリート王子の名を刻ませようと考えたのだ。
これまで王子は北の辺境に隠れていたため、民衆はほとんど彼のことを知らない。今後のことを見据えれば、ここで慈悲深さを見せておくことは有利になると考えたのだ。
私はすぐにラザファムに連絡を入れ、準備を依頼した。
『了解だ。第一連隊と第四連隊は市民を守るべく王都内に送り込んだ。できるだけ早く殿下の声を聴かせるべきだ。以上』
私たちが馬を速めると、南門が開かれた。