第二十八話「法国工作員、国王と侯爵の間に楔を打ち込む」
統一暦一二一五年六月十日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、北離宮。レヒト法国工作員クレメンス・ペテレイト
私は王都内で暴動が発生したという情報を聞き、元王妃アラベラを煽っていた。
「先ほど使用人から聞いたのですが、グレゴリウス陛下の即位に反対した者たちが大規模な暴動を起こしたようです。侯爵閣下の手の者が平民街に鎮圧に向かったそうですが、酷いありさまで、無関係の者を含め数百人の死者が出たと聞きました」
「それがどうしたのかしら? 愚かな民が暴れて死のうが構わないでしょ」
数百人の死者が出たというのに、アラベラは興味なさそうだ。
「その通りですが、この話を聞けば、グレゴリウス陛下がどう思われるかと思ったのです」
「どういうことかしら?」
かわいい息子の話ということで、彼女の目が光る。
「陛下は剛毅な方ですが、心根の優しい面もお持ちです。自らの即位に反対した者だけでなく、無関係の市民まで犠牲になったことで、心を痛められるのではないかと。それにマルクトホーフェン騎士団が手を下したのであれば、更に陛下の評判は悪くなります。そのことにも気を病まれることでしょう」
アラベラは憂い顔で頷いた。
「それはありそうね。でも、だからと言って、私にできることはないわ。ここから出ることができないのだから」
「そのようなことはございません。警護の者は私が何とかします。今、陛下をお慰めできるのはアラベラ様のみ。子を思う母の心ほど心強いものはないのですから」
私の言葉でアラベラは立ち上がった。
「そうね。あの子とミヒャエルの間に隙間風が吹いているという話もあるし、母である私が動かなければ駄目ね。クレメンス、王宮まで連れていってくれるかしら」
「はい、喜んで」
こうして北の離宮を出るが、ここの警備の者は既に懐柔してあり、邪魔をする者はいない。
王宮に入るが、文官たちが慌ただしく走り回っており、私たちに気づいても見て見ぬふりをしている。
暴動の始末で王宮内が混乱していることもあるようだが、宰相ですら平気で殺すアラベラの前に立てるほどの、気概を持った者がいないからだろう。
国王の執務室の前に衛士がいたが、彼らも一度止めたものの、アラベラに一喝されて扉を開けている。命懸けで止めるほどの忠誠心を持った者は配置されていないようだ。
中に入るとグレゴリウスが一人で座っていた。マルクトホーフェンは暴動の後始末のための協議を行っているらしく不在だった。
私は目立たないところで立ち止まり、アラベラたちの会話を楽しむことにした。
アラベラの姿を見つけたグレゴリウスが不機嫌そうな目を向ける。
「母上がどうしてここにいるのだ? 北の離宮から出ぬように命じたはずだが」
「あなたが大変なことになると思って無理を言って出てきたのです」
「大変なこと? 何の話をされているのだ?」
マルクトホーフェンたちは暴動のことを隠していたらしい。
「先ほど離宮の使用人から王都で大規模な暴動が起き、数百人の民が犠牲になったという話を聞きました。その民たちの一部はあなたの即位に反対した者だそうですが、大半はたまたま居合わせただけ。そして、その民を殺したのがミヒャエルの手の者だったそうです。その話を聞き、あなたがどれほど落ち込んでいるかと……」
「待ってくれ、母上! 暴動で数百人が死んだとおっしゃったのか! そのような話は聞いていない!」
グレゴリウスは立ち上がって叫ぶ。
「嘘は言っていません。王宮内も騒がしかったようですし、調べればすぐに分かることです」
ここに来る途中、アラベラにこう答えるように仕込んでおいて正解だった。この女の頭ではグレゴリウスに問われてもまともに答えられなかっただろう。
「誰かある! すぐに宮廷書記官長を呼べ!」
その命令で侍従の一人が走り出した。
近くの部屋にいたのか、すぐにマルクトホーフェンがやってきた。
アラベラがいることに驚くが、私については気づくそぶりもなかった。
一応面識はあるが、私が部屋の片隅に立っていたこともあり、使用人の一人とでも思ったのだろう。
「至急のお呼びとのことですが、何かございましたか?」
余裕の笑みを浮かべようとして失敗したのか、マルクトホーフェンの顔が引き攣っている。
「今母上から聞いたが、王都での暴動は数百人の死者を出す大きなものだったそうだな。発端は俺の即位への反発。それは真か、叔父上?」
「現在調査中でございます。ですが、既に暴動は収まり……」
「ミヒャエル! あなたは何をしているのですか! 陛下にお仕えしながら情報も碌に伝えないなど、宮廷書記官長としても宰相としても失格ではありませんか!」
アラベラが感情的に叫ぶ。
これも事前に唆しておいたことだ。マルクトホーフェンにとって、邪魔ばかりする姉に痛いところを指摘されることほど屈辱的なことはなく、これで冷静さを失うと思ったからだ。
「姉上にそのようなことを言われる筋合いはない! 第一、なぜここにいらっしゃるのか!」
思惑通り、マルクトホーフェンは逆上した。
「黙りなさい! 陛下の母として見過ごせなかったのです! そのようなことをより、なぜこれほど重大なことを陛下にお伝えしなかったのですか!」
しかし、アラベラはその程度の罵声でたじろぐような女じゃない。
彼女の剣幕にマルクトホーフェンがたじろぐが、グレゴリウスが割って入る。
「そのことは俺も聞きたいが、今は暴動がどうなったかを知らねばならん。本当に収束したのか? それともこれまでと同じように、俺を傀儡にするために蚊帳の外に置いておく気か?」
「傀儡ですって!」
アラベラが叫ぶが、グレゴリウスが「母上は黙っていてくれ!」と一喝すると、口をパクパクするだけで静かになる。マルクトホーフェンとは大違いだ。
まだ十八歳にもなっていない若者だが、王者の威厳があると素直に感心した。
(覇気だけは見事なものだな。これで優秀な家臣が付いていれば、そこそこマシな国王になれたことだろう……もう少し煽っておかなければならないな……)
グレゴリウスが主導権を握れば、ラウシェンバッハと和解する恐れがある。しかし、マルクトホーフェンと反目し合えば、家臣を持たないグレゴリウスは孤立し、動けなくなるからだ。
マルクトホーフェンは取り立てて有能ではないが、保有する兵数は王国一だ。ラウシェンバッハといえども、マルクトホーフェンとやり合えば無傷ではいられない。
グレゴリウスが動けなければ、マルクトホーフェンから歩み寄ることはあり得ないから、ラウシェンバッハの戦力を削ることは可能だ。
最も警戒すべき敵の戦力を削ることができれば、我が国に大きな利益をもたらす。
「もう一度問うぞ、叔父上。暴動がどうなったか、正確な情報を教えよ」
マルクトホーフェンはその気迫に負けたのか、真実を話し始めた。
「陛下の即位に反対する者が民衆を煽りました。それを抑え込むためにマルクトホーフェン騎士団一千名を投入しましたが、民衆から投石が行われ、それをきっかけに戦闘に発展したのです……」
事実に即しているように見えるが、微妙にニュアンスを変えている。実際にはマルクトホーフェン騎士団が先に抜刀し、それに民衆が反応したのだ。
「……現在分かって範囲では死者約七百名、負傷者一千名とのこと……」
「ま、待て! 王都内で暴動を鎮圧しようとしただけで千七百もの犠牲者が出たというのか! いや、今分かっている範囲ということは更に増えるということか!」
「これ以上増えるかは分かりませんが、これほど犠牲者が出た理由は扇動者がいたためです。法国、帝国、あるいはラウシェンバッハの手の者が民を煽ったために、これほど大きな事態となったのです」
マルクトホーフェンは表情を変えずに説明する。
(なかなかやるものだな。証拠など何もないのに情報操作を駆使するラウシェンバッハをさりげなく貶めている。いや、証拠も捏造する気だろう。だが、それは悪手だな……)
我が国か帝国に罪を擦り付けるなら発覚はしないだろうが、ラウシェンバッハに対して情報戦を仕掛けるなど愚の骨頂だ。ぐうの音も出ないほどの反証を突きつけられ、窮地に陥るだけだろう。
「ラウシェンバッハがやったと言いたいのか?」
「その可能性があるというだけです。少なくとも善良な市民だけではなく、扇動した者がおります。そして、ラウシェンバッハはこのような手を他国で使ったと言われています。それ以上のことは現時点では申せません」
これも上手い言い回しだ。嘘ではないし、断定もしていない。
情報が遮断されているグレゴリウスは、何が正しいのか見極めることは困難だ。しかし、こう言っておけば、ラウシェンバッハに対して疑念が生じるかもしれない。
「まあいい。それで民たちの様子はどうなのだ」
「我がマルクトホーフェン騎士団への反発は非常に大きいようです。そのため、我が騎士団は早々に引き上げさせ、現在は王国騎士団が対応しており、落ち着きを見せ始めていると報告を受けております」
「では、王国騎士団に直接報告させよ。現場にいた指揮官も同行させるのだ。異論は認めん」
グレゴリウスが先に釘を刺したため、マルクトホーフェンは言葉に詰まる。
「どうした、叔父上。事態の収拾に当たっている王国騎士団に報告させるのだ。何も問題はないだろう」
「はっ。では、明日の朝にでも」
「いや、どれほど遅くなってもよい。今日中に報告させよ。明日の朝いちばんに王としての声明を出したいからな」
グレゴリウスもここが正念場と思ったのか、ずいぶんと攻めていた。
「承りました」
マルクトホーフェンも諦めるしかなかったようだ。
そこでグレゴリウスはアラベラを見る。
「母上、今回のことは助かった」
「母として当然のことをしたまでよ」
そう言って勝ち誇った顔をするが、グレゴリウスは冷たい目でアラベラを見ている。
「だが、王の命令に逆らったことも事実。今後はどれほど重要な事態であっても、俺の許しなく離宮から出ることは許さない」
「えっ? あ、その……」
「一人になりたい。全員下がれ!」
私は満足していたが、アラベラを気遣うような表情を無理やり浮かべながら、王宮を出ていった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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