第二十五話「イリス、偽装を行う」
統一暦一二一五年六月八日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、駐屯地。イリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人
私は今日、王都に向けて出発する。
二日前、マティたちがヴィントムントに向かった後、私は兄様とハルト、弟のディート、義弟のヘルマンに、マティの策について説明した。
『今回の作戦の目的は無傷での王都の奪還よ。そのためにマルクトホーフェンたちを油断させる必要があるわ』
私の説明に四人が頷く。
王都の奪還だけど、今の私たちの戦力なら、それほど難しい話じゃないわ。レヒト法国軍は補給線が不安だから停戦協定が結ばれれば、すぐにでも引き上げるし、マルクトホーフェンの軍は数が多くても実力的に脅威にならないから。
しかし、王都奪還後のレヒト法国軍との戦いを考えると、少しでも損害は減らしたい。それにマルクトホーフェン軍の兵士は農民がほとんどだ。政権奪取後の国内の安定を考えると、敵兵もあまり殺したくなかった。
そのために将であるマルクトホーフェンらを油断させるのだ。
『油断させるためにあえて兵力を少なく見せる。具体的にはグランツフート共和国への援軍である、ラウシェンバッハ騎士団、エッフェンベルク騎士団、突撃兵旅団、エッフェンベルク伯爵領義勇兵が王都に向けて出陣することを、大々的に発表するわ。総司令官は兄様、ヘルマンとディート、そしてハルトがそれぞれを率いて出陣すれば、それで全軍だと思うはずだから』
共和国に出陣したのは約一万二千。
それに対し、マルクトホーフェン侯爵派の兵力は二万五千から三万になると見ている。同数なら敵も警戒するだろうが、半分以下であれば、マルクトホーフェンも腹心のヴィージンガーも油断する可能性が高い。
ハルトが頷きながら聞いてきた。
『その後にお前が自警団を率いて王都に向かうんだな』
『基本的にはその通りよ。私は領地で義父様と一緒に後方支援をしているように見せかけるわ。その上で大陸公路を使わず、裏街道を使ってオーレンドルフに向かう。その際、自警団は数百人単位で移動し、傭兵団に見せかける。既に補給物資の手配は終わっているし、距離も五十キロほど短いから、後から出発しても兄様たちと同じくらいのタイミングで到着できるはずよ』
オーレンドルフは王都から東に約百キロメートルの位置にある交易都市だ。ラウシェンバッハとは大陸公路で繋がっているが、ドライフェルス平原の小さな町や村を経由する裏街道でも結ばれている。
『私が率いる部隊だと一万二千弱だな。残り八千ほどが裏街道を使うことになるか……かなり多いが、マルクトホーフェンに悟られないか?』
兄様が質問してきた。
追加で出陣する自警団員は兄様の言う通り八千人。あと五千人ほど出撃可能な戦士がいるが、兵站面で問題にならないギリギリの人数に設定した。
『問題ないわ。オーレンドルフまでの裏街道は、ずいぶん前から傭兵団が行き来しているから』
『傭兵たちは大陸公路を使わずに裏街道を使っているのですか? それはなぜなんですか、姉上』
ディートが聞いてきた。
常識的には宿泊や補給が容易な大陸公路を使うから、疑問に思ったのだ。兄様たちも興味深げにこちらを見ている。
『マティが噂を流していたからよ。大陸公路は軍事物資の輸送に使われているから、宿泊費が高騰している。それにヴィントムントは共和国に援軍を送っていないから傭兵は余っていて仕事がない。その代わり、王都で大きな戦になりそうだから、傭兵の需要はある。そんな話を広めたの。実際、ヴォルフタールで敗れた貴族領軍に多くの傭兵が使われていたわ』
叡智の守護者の情報分析室が調べたところ、千人近い傭兵が貴族領軍に参加していたらしい。
『ずいぶん前から噂を流していたんですね』
弟が呆れているが、実際、共和国に向かう頃、つまり三ヶ月くらい前から噂を流している。
もっとも、その頃はマルクトホーフェンと戦うためではなく、北方教会領軍が進軍してくる可能性を考えていたけど。
『話を戻すわ。既にマティがフリードリッヒ殿下のために軍を派遣すると大々的に発表しているはずよ。兄様たちはそれに従っているとみんなに思わせてくれればいいわ。そうすれば、監視の目もそっちに向くから』
『それは分かったが、八千の兵を誰が指揮するんだ? 行軍は小部隊でもオーレンドルフで合流すれば、最大の兵力になる。ヘルマン、ディート、ハルトはそれぞれ部隊を率いているし、お前だけでは軍として訓練が行き届いていない自警団を率いるのは難しいと思うのだが』
兄様が懸念を伝えてきた。
『その点は私たちも理解しているわ。だから、自警団は基本的にジークフリート殿下の直属という形にして、王都での戦いでは予備兵力とするの。指揮は本陣にいる私とマティが執ることになるわ』
『八千の兵を使わないのはもったいない気がしますね。彼らの実力なら王国騎士団よりよほど使えますから』
自警団の実力を間近で見ているヘルマンが残念がる。
『王都での戦いでは使わないけど、その後の法国軍との戦いでは使うつもりよ。行軍中になるけど半月くらいは時間があるわ。だから、ある程度使えるようになると思う。その時は私とハルトが率いることになるわ』
これもマティと考えたことだ。
自警団は戦士としての能力は高いが、軍事行動という点では訓練が行き届いていない。そのため、突撃兵旅団と同じように最終局面で投入することになる。
今の段階では戦場がどこになるかは分からないが、戦術を駆使するための戦力はラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団で、突撃兵旅団と自警団は目の前の敵を撃破することに集中させる。
これならば、ランダル河での突撃兵旅団と同じように、個々の兵の能力で押し切ることができるから。
そんな話をした後、兄様たちは領都ラウシェンバッハの民衆に見送られながら、王都に向けて進軍を開始した。
私は義父様と一緒に後方支援を行うように見せかけながら、情報操作を行った。
商人たちが領主館を訪れた際、こんな話をしていた。
『夫や兄が指揮するのだから一万二千でも充分すぎるわ。共和国での実績を見たら分かるでしょうけど、近代化されていないマルクトホーフェンの軍など敵ではないのだから』
『法国軍がいると聞いていますが?』
商人たちも王都の情報は気にしており、特に法国軍を警戒している。
『法国軍はヴェストエッケに引き上げるわ。マルシャルクは無能ではないから、敵中に長期間いる危険性を軽視しない』
『なるほど。天才軍師であるマティアス様とイリス様がおっしゃるのだから、これで王都を取り返せますな』
私の言葉に納得した商人たちは噂を広めていく。直接話を聞いたという自慢もしたいため、私が話した日の夜には広まり始め、翌日には領都で知らぬ者がいないほどになっていた。
領都で広まれば、すぐにヴィントムントに伝わるし、ヴィントムントから王都には毎日何艘もの船が出ているから、五日ほどでマルクトホーフェンたちも知ることになる。
そして今日、獣人族の居留地を訪問するという名目で領都を離れる。
共和国で戦死した兵の家族を慰問するためという触れ込みだ。こうしておけば、五日前後は私が不在でも違和感はないし、噂になるのは更に数日後だから、敵の油断を誘うことに支障はない。
駐屯地ではいつもの目立つ白い装備ではなく、傭兵が使うような武骨な革鎧に身を包み、ヘルメットを深く被ることで偽装する。駐屯地には領都から商人たちがよく来るためだ。
駐屯地を出発したが、オーレンドルフまでの裏街道は村々を結ぶ細い道だから、馬車がすれ違うのも大変なほどだ。しかし、食糧などの物資は予め各村に送り込んであり、我々は身体一つで移動できる。
私と一緒にいる自警団員たちも町や村に入る時はフード付きのマントを着て、その特徴的な身体をできる限り隠している。完全に隠すことは難しいが、傭兵団に獣人族がいることはそれほど珍しくないため、多少見られても問題はないと思っている。
(身体強化が使える獣人族だから五日ほどで到着できるけど、普通の傭兵では倍は掛かりそうな道ね。補給物資を運んでくれたモーリス商会には感謝しかないわ……)
食糧などの輸送はモーリス商会に依頼した。
モーリス商会が動けば、私たちが依頼したと思われる可能性はあるけど、短期間で物資を用意できるところは少なく、また、他の商人では情報が漏れる可能性があったからだ。
(フレディが上手くやってくれたから、私たちが用意したとは思われていないようだけど……)
商会長の長男フレディ・モーリスは、私たちからの依頼を聞いた後、ある計画を公表した。
それはラウシェンバッハとオーレンドルフを結ぶ街道の整備で、そのための調査を行うと発表したのだ。
ラウシェンバッハからオーレンドルフまでの間はドライフェルス平原と呼ばれる豊かな土地だが、輸送に使える大きな河川がないことから、あまり開発されていない。
しかし、近い将来、大消費地となるラウシェンバッハ子爵領に近く、今後開発が進められる可能性が高い。
開発するためには街道の整備が不可欠だが、裏街道は難所などの情報が少ない。その調査の一環として馬車を大量に送り込み、実際にどの程度の困難さがあるのか、どの程度投資が必要かなどを調べると発表した。
その結果、モーリス商会の荷馬車が大量に移動していても、誰も不思議に思わなかったらしい。
私は獣人族戦士たちと共に、裏街道を通常より速い速度で進んでいった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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