第二十二話「第三王子、王位継承を提案される」
統一暦一二一五年六月六日。
グライフトゥルム王国東部ヴィントムント市、迎賓館内。第三王子ジークフリート
兄フリードリッヒに会いに王国の高官が使う迎賓館の中庭にいた。
そこでグレゴリウス兄上の即位と停戦協定の調印が無効であると主張するために、フリードリッヒ兄上に直談判にきたが、兄上はあまり乗り気ではなかった。
そこでマティアス卿が兄に王位を継承せず、平穏な暮らしを約束するというと、フリードリッヒ兄上はそれに飛びついた。
「では、お話しさせていただきます。まずフリードリッヒ殿下のお命を守るためには王位継承権を放棄していただく必要がございます。殿下が王位継承権をお持ちのままであれば、マルクトホーフェン侯爵やグレゴリウス殿下だけでなく、ゾルダート帝国も謀略を仕掛けてくるでしょうから」
「それは分かるが、それだけで大丈夫なのか? 王家の血が流れているというだけで狙われるはずだが」
兄上は自分でも考えていたのか、すぐに否定する。
「確かにその通りです。王位継承権を放棄するだけでは難しいでしょう」
「ならば……」
兄がまだ何か言おうとしたが、マティアス卿は目でそれを制して話を続ける。
「王位継承権を放棄していただいた後、グライフトゥルム市に入っていただきます。叡智の守護者の本拠地であり、闇の監視者が厳重に守っている土地ですので、暗殺者や間者が入り込むことは不可能です。ですので、絶対に安全だと断言できます」
グライフトゥルム市は叡智の守護者の塔があるから真実の番人や夜の暗殺者たちが入り込むことはできない。
「グライフトゥルムか、なるほど……しかし、王位継承権を放棄した者を闇の監視者が守ってくれるのか?」
私にも兄上にも陰供が付いているが、それは王位継承権を持つ王子だからだ。
ちなみにグレゴリウス兄上には闇の監視者の陰供は付いていない。グレゴリウス兄上にも以前はいたのだが、マルクトホーフェン侯爵が真実の番人の護衛だけにしたためだ。
「その点はご安心ください。私が大賢者マグダ様に直談判し、必ず認めていただきますので。それに大賢者様も戦友であった初代国王フォルクマーク一世陛下の子孫を無下にはされますまい。殿下が野心を持たぬ限り、守っていただけるでしょう」
「卿は大賢者の弟子であったな……私に野心などない。生きてさえいられれば、それだけでよいのだ」
「殿下がお望みであれば、家庭を築いていただくこともよいのではないかと思います。公爵としての収入があれば、ご家族と健やかに過ごすことはできると考えております」
王位を継げなかった直系の王子は公爵になる。但し、野心を持たないように領地や兵はなく、俸給のみが与えられる。
このことはマティアス卿から教えてもらったが、まさかフリードリッヒ兄上の話で出てくるとは思わなかった。
兄上は家庭を持てるということに強く反応する。
「結婚できるというのか? 王位継承権を放棄するとしても王家の血は流れているのだ。そのようなことが可能だと……」
「殿下が野心を抱かず、お子も同様であれば可能です。さすがに旅行などは無理ですが、グライフトゥルム市で暮らしている限りは、ある程度自由に過ごしていただけると考えております」
「自由で安全な暮らし……それが本当に手に入るのか……」
そこで兄はあることに気づいたようだ。
「私が王位継承権を放棄するとして、次の王はグレゴリウスではあるまい。ジークフリートに王位を渡せと卿は考えているのだな」
「その通りでございます。グレゴリウス殿下がマルクトホーフェン侯爵の思惑に乗り、王国の領土を売り渡したのですから、王としての資格はありません。いえ、それ以前に王太子殿下を無視して、即位を宣言されました。これは謀反といってもいいでしょう。ですので、ジークフリート殿下に次の王として秩序を取り戻していただきたいのです」
「私が王に……」
思わず呟いてしまった。
マティアス卿は私の呟きを無視して話を続ける。
「フリードリッヒ殿下にグライフトゥルム市で家庭を持っていただくのは、王家のためでもあります」
「王家の血を残すためだな。グレゴリウスを排除した後、万が一ジークフリートに何かあれば、直系の血が途絶えてしまう。それを防ぐためということだろう」
父フォルクマーク十世には姉が二人いたが、いずれも流行り病でなくなり、子供がいない。王家に近いのは私の祖父に当たる先々代の国王の弟であったヴァインガルトナー公爵だが、既に家督を譲っており、直系から遠くなっている。
「はい。ですので、我々が殿下の敵に回ることはありません。殿下が野心を持たなければという条件は付きますが」
マティアス卿の笑みに凄みが増した気がした。同じことを感じたのか、兄上は僅かにたじろいだ。
「そ、そのようなことは絶対にない! 私の望みは平穏な生活だ。母上を殺された後から心安らかに過ごせたことなど一度もなかったのだ! それが叶うのであれば、王位などいらぬ!」
「それを聞き、安心いたしました。では、この方針でよろしいでしょうか?」
「それでよい」
「ジークフリート殿下。私は臣下でありながら、王統に介入いたしました。これは本来許されざることです。やっていることはマルクトホーフェン侯爵と同じですから」
私は首を横に振る。
「マルクトホーフェンは私利私欲のためにグレゴリウス兄上を王にした。しかし、卿は違う。王国を守るために最善の手を打ったのだ。それに対して罰を与えることはできない」
「目的は違えど、王統に介入したことは同じ。悪しき前例となるのです。もっともこれまで全くなかったわけではないので、一例が増えたというだけですが」
「では、こうしよう」
そう言って兄上が話し始める。
「私がラウシェンバッハに王位継承権の放棄について相談した。その結果、簒奪者であるグレゴリウスではなく、ジークフリートに王位を譲りたいという意向を示した。実際、私が望んでいたことと同じなのだ。これならば、ラウシェンバッハに咎はない」
「私も兄上のお考えに賛成です。ですが、私に王が務まるのかという問題はありますが……」
正直な思いだ。
この国難にあって、マルクトホーフェンを排除し、レヒト法国軍を追い出して国土を回復する。更に来るであろう帝国の脅威にも対応しなければならない。
そんなことが私にできるのかと不安が大きいのだ。
「お前にならできる。千里眼のマティアスを得たお前にしかできん」
兄上は晴れ晴れしい表情で私の手を取った。
兄上とは今後について更に話し合った。
直ちにグレゴリウス兄上の即位を認めないという声明を出し、マティアス卿らがマルクトホーフェンに勝利した後に王都に戻り、フリードリッヒ兄上が王位に就く。
その上でグレゴリウス兄上が調印した停戦協定を無効と発表する。
その後、レヒト法国の北方教会領軍を撃破し、ヴェストエッケを奪還した後に、マティアス卿ら王都に帰還したところで、兄上は退位を宣言、私が即位するという筋書きだ。
「法国軍からヴェストエッケを取り戻すまでにどれほどの時間が掛かるのだ? それがならなければ、退位できんのだが……」
兄上が憂い顔で聞く。
「三ヶ月ほどで決着を付けます。秋には退位し、グライフトゥルム市に行くことができるでしょう」
マティアス卿が自信をもって断言したため、兄上の表情が明るくなった。
「千里眼が断言するのだから、秋までの我慢ということだな。それならばよい」
兄上の表情は明るくなったが、私の心は少し重い。
(秋には私が国王になるということか……まだ十七歳に過ぎないんだが……)
若いだけではなく経験もない私が王になっていいのかと悩む。
その想いが顔に出たのか、兄上が声を掛けてきた。
「私と違い、お前にはラウシェンバッハやエッフェンベルクがいる。王位から逃げる私がいう言葉ではないが、信頼できる者がいるお前なら立派な王になれるだろう」
兄上の意外な言葉に思わず見つめてしまう。
「父上が心から信頼できた家臣はホルクハイマーくらいだったはずだ。それに比べれば、お前の方が恵まれていると言えるだろうな」
ホルクハイマーは父の守役で、子爵であるにもかかわらず、近衛騎士の長である第一騎士団長に任命され、最後は父を守ろうとして戦死している。七十歳になっても父が離さなかったほどだが、誠実さや忠誠心はともかく、能力的にはマティアス卿やラザファム卿に遠く及ばない。
「そうですね。私も自分が恵まれていると思っています。彼らと一緒なら何とかなりそうな気がしてきました」
「もっと前にこのように胸襟を開いて話したかった。同じ父と母を持つ兄弟なのだから」
私も同じことを思ったが、過去には戻れない。
沈黙が場を支配した。それをマティアス卿が破る。
「では、今回の話し合いで決めた方針で進めるということで、お二方ともよろしいですね」
私と兄が同時に頷く。
「フリードリッヒ殿下には私が信頼する家臣、黒獣猟兵団を護衛に付けます。彼らと陰供がいれば、殿下が危険に及ぶことはございません」
その言葉に兄上が大きく破顔する。
「では私は将来のことを考えるとしよう。今まではいつ殺されるのか不安で、将来のことなど考えられなかったからな」
兄上の言葉に私たちは笑顔で頷いた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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