第十話「宮廷書記官長、ランダル河殲滅戦の結果を聞く」
統一暦一二一五年五月十日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮内。宮廷書記官長ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
国王フォルクマーク十世が出征してから二十日以上が過ぎた。
王宮での仕事は国王がいなくなっても大きく変わることはなく、いつも通り、私に反発する宰相オットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵を無視して仕事を進めるだけだ。
しかし、大きく変わったことがある。
それは姉である第二王妃アラベラが北の離宮から王宮に戻ってきたことだ。
『陛下がいらっしゃらないのだから、私が戻っても問題ないでしょ。さすがにあの離宮にも飽きたわ』
国王を法国に始末させるために出陣させたが、そのことは姉には言っていない。恐らく、何も考えていないのだろうが、勘だけはいいようだ。
何か仕出かさないか警戒しているが、今のところ問題は見つかっていない。但し、突発的にとんでもないことをやる女なので、警戒を緩めるつもりはない。
もう一つ変わったことは王太子フリードリッヒが国王のように振舞い始めたことだ。
一応、国王不在の間は王太子が摂政となって国政に関する決裁権限を持つ決まりだが、御前会議でも積極的に発言するようになり、グレゴリウス殿下の邪魔をし始めた。
まだ、まともなことを言えず、会議の進行を妨げるだけで、あの無能なメンゲヴァインですら迷惑そうだ。しかし、野心を持ち始めたことが気になっている。
そんな日が続いた今日、あと少しで執務が終わるというところで、緊急の招集があった。
呼び出した侍従に聞いても、「どのような話かは聞いておりません」と要領を得ないため、仕方なく謁見の間に向かう。
いるのはいつものメンバーで、王太子、グレゴリウス殿下、宰相、軍務卿のテオーデリヒ・フォン・グリースバッハ伯爵、王国騎士団長の代理である総参謀長ヴィンフリート・フォン・グライナー男爵だ。
「緊急とのことですが、何があったのですかな? 宮廷書記官長たる小職が知らぬというのはいかがなものかと思いますが」
恐らく王太子が仕組んだことなので、一応嫌味を言っておく。
「それは済まなかったな。グライナーから良い知らせがあったのだ。皆で聞いた方がよいと思い、集まってもらった」
そこで全員の視線がグライナーに向く。
「先ほど共和国に派遣したエッフェンベルク伯爵から、情報が届きました……」
どうやらグランツフート共和国での戦いの結果が届いたようだ。
「……去る五月一日、グランツフート共和国とレヒト法国の国境であるランダル河において、両軍合わせて十万を超える大規模な会戦が行われ、王国と共和国の連合軍が大勝利を収めました。法国軍は戦死者約四万、捕虜約二万と脱出した者は僅かに五千のみ。一方の連合軍側は戦死者三千八百と敵軍の十分の一以下となっております」
その言葉に既に聞いていた王太子を除く全員が驚きのあまり言葉を失っている。
(法国軍の戦死者が四万……圧勝ではないか……負けぬとは思っていたが、これほどの勝利を得るとは……)
私も驚き、目を見開くことしかできなかった。
「王国史上最高の勝利と言えるだろう! エッフェンベルク伯爵とラウシェンバッハ子爵の両名はまことに見事! そうは思わぬか!」
王太子が陽気な声でそう言うが、誰も反応しない。
そこで私は我に返り、無邪気に喜ぶ王太子に釘を刺す。
「グランツフート共和国の宿将ケンプフェルト元帥が指揮を執ると聞いております。我が国の戦力がどれほど役に立ったかは、共和国からの報告を受けねば分かりますまい」
私の意見にグリースバッハが頷いている。
「叔父上の言う通りかもしれぬが、半月前のヴェストエッケ陥落の衝撃を打ち消すよいニュースであることは間違いない。民の不安を解消するために大々的に発表すべきと思う。兄上はどう思われますか?」
グレゴリウス殿下が王太子に問いかける。
「その通りだ。宰相、民にこの事実を発表しておいてくれ」
「承りました」
宰相はそう言って頭を下げるが、その顔には勝ち誇ったような笑みが張り付いていた。エッフェンベルクとラウシェンバッハは我がマルクトホーフェン侯爵家に敵対する勢力であり、そのことで喜んでいるのだろう。
執務室に戻ると、腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガー子爵が聞いてきた。
「どのようなお話でしたか?」
簡単に説明すると、エルンストは考え込む。
「いささかまずい状況です。すぐに帰国するかは分かりませんが、最速の場合、六月に入る頃には王都に戻ってくるでしょう。そうなると、グレゴリウス殿下の即位を邪魔しにくることは間違いありません」
我々は法国のニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長と共謀し、国王を戦場で始末する計画を立てた。大規模な会戦で総大将が討ち取られることは十分にあり得る話であり、疑われる可能性が低いと考えたためだ。
そして国王が死んだと知れば、小心者のフリードリッヒなら法国軍を恐れて、王都から逃げ出すことは間違いない。その後は国難にあって逃げ出すような者は国王の資格なしとして、グレゴリウス殿下を即位させる計画だ。
しかし、ラウシェンバッハらが戻ってくると分かっていれば、王太子が王都に篭城して彼らを待つという選択を採る可能性がある。
「確かにまずいな。王太子は最近調子に乗っている。宰相辺りが唆したら、王都から逃げ出さないかもしれないな」
「はい。王太子が逃げ出したとしても、ラウシェンバッハらが王太子を旗印にして戻ってくる可能性は否定できません。そのことをグレゴリウス殿下がお考えになり、即位を承諾されないこともあり得ます。何と言ってもラウシェンバッハの名は大きいですから」
今回の法国との戦いでも奴が策を立て、勝利に導いた可能性が高い。まだ詳細が分からないと言ったが、正確な情報が入ると、更に王太子が希望を持つだろう。
「いずれにしても奴が戻る前に計画を完遂させる。そろそろマルシャルクが王国騎士団と戦っているはずだ。奴に予定が早まりそうだと連絡を入れておけ。それから姉上への監視は緩めるな。王太子が邪魔だと思い込み、刺客を送り込み兼ねんからな」
王族の暗殺は大賢者マグダから禁じられている。万が一姉が王太子を暗殺した場合、彼女が処刑されることは一向に構わないのだが、その後、グレゴリウス殿下が叡智の守護者の支援が受けられなくなることは致命的だ。それを防ぐ必要がある。
「承知いたしました」
「ラウシェンバッハにはマルシャルクの相手をしてもらわねばならんが、早すぎても困る。さすがに我らの計画まで見通してはおらんだろうが、油断はできんからな」
今回の計画ではマルシャルク率いる法国軍に国王を殺させ、王太子を逃げ出させる。そして、グレゴリウス殿下に即位していただく。
しかし、それだけでは王国の西方域の領土を失うことになるから、ラウシェンバッハとエッフェンベルクに勅命を出して法国軍を追い払わせる。
ラウシェンバッハは稀代の戦略家であり、エッフェンベルクも戦術家として秀でている。彼らがラウシェンバッハ騎士団やエッフェンベルク騎士団、更にノルトハウゼン騎士団など優秀な貴族領軍を率いれば、法国軍からヴェストエッケを奪還することは難しくないだろう。
マルシャルクも無能ではないから、ラウシェンバッハたちの戦力が消耗することは間違いない。仮にラウシェンバッハがマルシャルクに及ばず、ヴェストエッケを取り戻せなくとも共和国に王国騎士団を送り込み、東方教会領を奪えば、交渉で取り戻すことができる。
これを考えたのはエルンストだ。
国外の敵に国内の敵をぶつけることで、双方の力を落とし、領土の回復を図りつつ、国内の主導権を得る。話を聞いた時にはよく考えられていると感心したものだ。
懸念はゾルダート帝国だ。
法国との戦いが長引けば、王国の東部に帝国軍が殺到しかねない。その際、王国騎士団もラウシェンバッハ騎士団もいないようだと、ヴェヒターミュンデやリッタートゥルムと言った要衝を奪われかねず、今回より厳しい状況に追い込まれてしまうのだ。
もっとも、秋に入る前、つまり帝国との国境であるシュヴァーン河の渇水期になる前に、事態を収拾できれば、国内の引き締めに忙しい帝国が攻め込んでくる可能性は低いと考えている。
もう一つの懸念はラウシェンバッハがマルシャルクを追い出した後、国政に介入してくることだ。
王太子を旗頭にし、即位したグレゴリウス殿下に退位を迫ってくることは十分に考えられる。
それに対しては、王太子とラウシェンバッハの間に楔を打ち込むことで対処する予定だ。
ラウシェンバッハは第三王子のジークフリートの指導を始めた。これを利用するのだ。
王太子の最大の弱点は側近がいないことだ。
ジークフリート王子は今のところ野心を見せていないが、十年間放置されていたことを恨み、自身が簒奪するつもりだと王太子に吹き込めば、相談相手がメンゲヴァイン程度しかいない王太子が信じる可能性は高い。
いずれにしても面倒な奴らは互いに戦わせて潰す。
これが我々の戦略方針だ。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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