第九話「ヴォルフタール渓谷の戦い:その九」
統一暦一二一五年五月八日。
グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長
ヴォルフタール渓谷での戦いが終わった。
王国軍の最高司令官マンフレート・フォン・ホイジンガー王国騎士団長を討ち取り、それによって組織的な抵抗が終わったためだ。
ホイジンガーは青狼騎士団の兵が見守る中、オイゲン・ケストナー千狼長と二十分に渡り一騎打ちを繰り広げた。その姿に我が軍の者たちは尊敬の念を抱いたようだ。
(私に言わせれば無能なだけの将に過ぎん。全軍を預かる総司令官が自ら剣を振るうなど愚の骨頂だ。まあ、少しでも味方を逃がそうと時間を稼いだことだけは評価してやるが……)
しかし、兵たちに向けてはホイジンガーを称えるような発言をしている。
『敵将の覚悟は見事だった。それを討ち取った青狼騎士団も賞賛に値する。ケストナー千狼長の功績に対し、必ず報いると約束しよう』
本心とは違うが、兵たちの士気を高めるために必要だからだ。
ホイジンガーを討ち取った後、赤狼騎士団と黒狼騎士団が追撃に入ろうとしたが、最後の戦闘の時に掘られた落とし穴が邪魔で、埋め戻すのに一時間以上を費やすことになった。
大した穴ではないのだが、穴を避けながらの移動は時間が掛かることと、思った以上に怪我人が出たため、埋め戻した方がいいと判断したのだ。
街道は元に戻ったが、追撃は取りやめた。
(王国軍に罠を仕掛ける余裕があるとは思わんが、闇の中では落とし穴程度でも被害は馬鹿にならん。それにこの戦いでの目的である国王とホイジンガーは討ち取っている。焦る必要はない……)
彼我の損害だが、我が北方教会領軍は戦死者約三百、負傷者約千五百でしかない。一方の王国軍は戦死者約五千、負傷者数は不明だが、戦死者と同数以上はいるはずだ。
更に王国軍の主力である王国騎士団の能力が、想定した以上に低いことが分かったことも大きい。
(あの実力なら倍の数であっても勝利は難しくない。特に指揮官の質が低いことが致命的だ。問題はラウシェンバッハの戦力だが、戻ってくるのは早くとも夏。それに東方教会と西方教会の連合軍六万五千を相手に、無傷ということもあるまい……)
ラウシェンバッハの動向については捕虜から聞き出している。
彼らの話ではグランツフート共和国の救援のために、ラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団、ヴィントムント市の義勇兵が三月後半に共和国に向かったらしい。
(三月の後半に出陣しただと……やはり奴の千里眼は侮れぬな。早くとも四月の半ばにしか出陣できぬと思っていたのだが……まあいい。それでも問題はないからな……)
想定より迅速な出陣に驚いたものの、戦場への移動だけでも一ヶ月半、六万五千の大軍を追い払うにしても一ヶ月程度は掛かる。つまり、往復で四ヶ月は必要だから、七月の中旬頃に戻ってこられたら最速だ。
一方、こちらはここから王都シュヴェーレンブルクまで六百五十キロメートルだから、六月初旬には到着できる。シュヴェーレンブルクは城塞都市だが、人口が多い分、長期の篭城には不向きだ。
一ヶ月もあれば開城できるから、ラウシェンバッハが戻ってくる前に決着を付けられるだろう。
その日は昨日王国軍が野営した広場まで進み、休息を摂った。
翌日、赤狼騎士団と黒狼騎士団を送り出すが、野営地には無数の死体が山積みにされ、更に物資なども放置されている。
その処理について頭を悩ませていると、餓狼兵団のグィード・グラオベーア団長が提案してきた。
「死体の処理と物資の整理は我が兵団が行います。神狼騎士団の方々には雑事に構うことなく、進軍していただければと」
その言葉に青狼騎士団の者たちが安堵の表情を見せる。
三千ほどの死体から鎧などを使えるものを回収するだけでも大変な作業だが、更にそれだけの数の死体を埋める穴を掘らなければならない。
私の目論見では、ここから二百キロメートルほど東にあるライゼンドルフの町までを我が国の領土とするつもりだ。敵国内なら死体を放置して疫病が発生しても気にしないが、自国になるならきちんとした処理が必要になる。
グィードはこの先、王都までは自分たちの出番がないため、雑用をこなすことで神狼騎士団からの心証をよくしようと考えたようだ。
「助かる」
このグィードの考えは思った以上に効いた。
青狼騎士団だけでなく、先行している赤狼騎士団と黒狼騎士団もこの話を聞き、“獣人族は自分たちの立場を理解している”と自尊心をくすぐられたのだ。
(この意識は早めに変えねばならんな。この事実をラウシェンバッハが知れば、必ず利用してくるだろう。奴と戦う前には餓狼兵団が戦友なのだという意識を確固たるものにせねばならん……)
そんなことを考えながら、私も白狼騎士団と共に東に向けて出発した。
■■■
統一暦一二一五年五月九日。
グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。グィード・グラオベーア餓狼兵団長
ヴォルフタール渓谷の戦いの翌日、俺は戦場の後始末を買って出た。
主な目的は神狼騎士団に対して遜ることで、彼らの自尊心を刺激し、我々餓狼兵団に反感を抱かせないようにすることだ。
もう一つの目的は、白狼騎士団長であるマルシャルク閣下が我々に同情するように仕向けることだ。
閣下は我ら獣人族を役に立つ戦力と考えているが、あの方もトゥテラリィ教の聖職者であり、我々のことを切り捨てる可能性は否定できない。
我らが少しでも傲慢に見えれば、閣下の心証が悪くなる。そうなったら、使い潰すという選択を採るかもしれない。
しかし、我々が常に普人族に対して必要以上に遜れば、閣下は我らが気を使っていると考え、そこまでしなければならないのかと同情してくれる可能性が高い。
だから、我ら名誉普人族は役に立ち、更に普人族より下であると見せ続けなければならないのだ。
このやり方に兵団の仲間たちは不満を持った。
『なんで俺たちだけが貧乏くじを引かされるんだ? 昨日全く戦っていない兵士もいたはずじゃないか』
『自分から引き受けても普人族の奴らは感謝などせんぞ』
それに対し、俺はマルシャルク閣下を出汁にして説得していた。
『ここで俺たちが率先してやれば、マルシャルク閣下なら必ず報いてくださる。それに今回のことでマルシャルク閣下の株は大きく上がったはずだ。どの団でもやりたくない仕事を、俺たちにやるよう閣下が仕向けたと思ってくれるはずだ』
俺の説明で仲間たちも何とか納得し、面倒な死体処理を始めた。
俺自身も死体から鎧を剥ぎ、武器や防具から血糊を落とす作業をやっていく。団長である俺がやっているのだからと不満があっても作業に取り掛かってくれるからだ。
結局、今日一日では終わらなかった。
夜になり、作業をやめ、食事を摂る。
王国軍が放棄していった食糧や調理器具が多くあったため、普段より豪華な夕食を作り、兵たちの士気を高めておく。もちろん、ここに残されている騎士団の負傷者たちにも温かい食事を用意し、甲斐甲斐しく世話をすることで、我々の評価を上げておくことは忘れない。
食事を摂っていると、若い獅子人族の兵士が話しかけてきた。
「騎士団は王国軍を捉えたんですかね」
「どうだろうな。マルシャルク閣下は敵を殲滅することに拘っていらっしゃらなかった。恐らくだが、最後まで戦った兵をある程度逃がすことで、恐怖に負けて逃げていった部隊と仲違いをさせるつもりだ」
「よく分からねぇんだが、それはどういうことなんですか?」
「王都まで大きな都市はない。つまり、次の戦いは王都シュヴェーレンブルクの攻略ということだ。敵は弱兵揃いだが、城に篭られたら面倒だ。仲違いさせておけば、一致団結して防戦には当たれないだろうからな」
若い兵士は俺の推論を聞いて目を丸くしている。
「なるほど。団長は閣下からその話をいつ聞いたんですか?」
「そんな話は聞いていない。だが、閣下の戦い方を見ていれば、何か意図があると分かる」
「そんなもんなんですかね。俺にはさっぱり分からないですよ」
俺の周りにいた兵士たちも聞き入っており、感心している者が多かった。
「だから、追撃に参加しても俺たちに戦いが回ってくることはないということだ」
戦いに参加できないことに不満を持っていた連中も、この話を聞けば、ある程度納得するだろう。
結局、死体の処理に二日掛け、俺たちは騎士団を追いかけるべく、街道を東に向かい始めた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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