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第八話「ヴォルフタール渓谷の戦い:その八」

 統一暦一二一五年五月八日。

 グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長


 敵は餓狼(フングリヒヴォルフ)兵団(トルッペ)に怯え、混乱している。

 もっとも餓狼兵団は奇襲を行っておらず、後方に潜んで鬨の声を上げているだけだ。


 これは三時間ほど前に帰還した餓狼兵団長グィード・グラオベーアが提案してきたことだ。

 彼は国王フォルクマーク十世の首級を私に献じると、周囲には聞こえない声で話し始めた。


『山から見る限り、王国第二騎士団には優秀な指揮官と兵がまだ残っております。この地形では少数とはいえ、精鋭に街道を塞がれれば、神狼騎士団といえども短時間での突破は難しいと思います。そうなると、王国軍の多くが撤退するだけでなく、神狼騎士団の活躍の場を失うことにもなりかねません』


 グィードは荒々しい見た目とは異なり、様々な配慮ができる逸材だ。そのことを知る者は少ないが、私は可能な限り、彼の意見を聞くようにしていた。


『言わんとすることは理解する。このままでは餓狼兵団が手柄を独占することになるからな。それで何か提案があるのか?』


 彼は小さく頷くと、説明を始めた。


『餓狼兵団はまだ山の中で待機しております。街道に降れば邪魔になるからですが、我々なら暗闇の中でも移動できますし、敵の側面や後方に回り、混乱を与えることが可能です』


『混乱を与えるか……そこで活躍すれば、騎士団からやっかみを受けることになるぞ』


『我々は直接攻撃に加わりません。団長閣下の命令で山の中から声を張り上げるだけです。これならば、閣下の機略によって敵が混乱しただけですから、我らの功績には当たらないでしょう』


『確かに有効な策だな。だが、済まんな。本来ならお前の功績だが、それに対して正当な評価を与えてやれぬ』


 グィードはにこりと笑って首を横に振る。


『閣下のために働けることこそが我らの喜びです。それではこの策を実行いたします』


 それだけ言うと、再び山に入っていった。

 昨夜から険しい山の中を二十キロメートル近く行軍し、更に戦闘まで行った上に帰還したところだ。頑健な獣人族といえども疲労は激しいはずだ。


 それでも彼らを止めることはしなかった。

 私が高い地位にある限り、彼らの功績は認めてやれる。ならば、私が出世することが彼らに報いることだ。


 敵の混乱は収まる気配がない。

 この機を生かすため、命令を発した。


「青狼騎士団に伝令! 敵が混乱している隙を突き、一気に殲滅してしまえ! 赤狼騎士団、黒狼騎士団は夜間の追撃に備えて休養しておけ!」


 私の命令を受け、青狼騎士団が味方の犠牲をものともせずに突撃を開始した。

 敵の前線が混乱していたこともあり、一気に五十メートルほど前進した。


 これでなんとかなったなと思ったが、すぐに前進が止まる。

 副官に確認に行かせると、すぐに理由が分かった


「ホイジンガーが殿(しんがり)で指揮を執っております。直属の精鋭らしく、青狼騎士団の突撃が阻まれたようです」


 ありがたいことにホイジンガーが自ら死にに来てくれた。


「ホイジンガーを討ち取れば、敵の抵抗は終わる! 青狼騎士団の猛者たちに王国の最高司令官を討ち取れと伝えよ!」


 こう言っておけば、これまで鬱憤が溜まっていた青狼騎士団もよりやる気になるだろう。


■■■


 統一暦一二一五年五月九日。

 グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵


 アルトゥール・フォン・グレーフェンベルクと話していた時、敵の精鋭、餓狼(フングリヒヴォルフ)兵団(トルッペ)が後方に奇襲を仕掛けてきた。

 そのため、兵士たちが混乱し、戦線が崩壊しそうになった。


 私は直属の大隊と共に街道に防御陣を張り、逃げてくる味方を収容しつつ、敵を待ち受ける。


「私は王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵である! これ以上、我が国への侵略はさせぬ!」


 あえて名乗り、敵を挑発する。

 こうしておけば、餓狼兵団も後方ではなく、ここを目がけてくると考えたためだ。


「周囲にも気を配れ! 山だけでなく、谷から上がってくる奴がいるかもしれん! 何としてでもここで止めるのだ!」


 指揮している大隊は私の直属で、以前は戦闘工兵大隊と呼ばれていた。

 戦闘工兵はマティアスの騎士団改革で制定された兵種で、工兵として陣地を構築したり罠を設置したりするだけでなく、最終局面での予備兵力として優秀な歩兵が集められている。


 マティアスが騎士団を去った後、マルクトホーフェン侯爵派の参謀たちが“栄えある王国騎士団に穴を掘る工兵部隊は不要”と言い出し、司令部直属の重装歩兵大隊と名を変えた。

 しかし、戦闘工兵時代の名残として、兵士たちはスコップを背中に括りつけている。


「閣下! 敵が通りにくいように道に穴を掘ってもいいですか! 後方にいる者が掘るだけでも、敵の騎兵には嫌がらせになりますが!」


 大隊長が叫ぶ。

 彼らもここが死に場所だと考え、自分たちが撤退する際に邪魔になるはずの落とし穴の設置を提案してきたのだ。


「許可する! 但し、敵の矢には注意しろ!」


 こうして前線では重装歩兵が盾を構えて壁を作り、その後ろではスコップを使って道に穴を掘っていく。


 踏み固められた道は土が硬く掘りにくいはずだが、兵士たちはもの凄い勢いで穴を掘り、その土を谷に捨てる。


(なるほど。松明の光だけでは穴があるかすらほとんど分からん。それに穴に嵌まれば、後ろから来る兵に圧し潰されるかもしれん……)


 兵たちは嬉々として穴を掘っている。


(戦闘工兵という名に誇りを持っていたのだな。今になってようやく気づいた……)


 一個中隊が敵を押しとどめていたが、敵もここが正念場と考えたのか、それまで以上に強引な攻撃を繰り返し、三十分ほどで中隊は全滅する。


「後退せよ! 自分たちが掘った穴に落ちるな! だが、迅速に下がれ!」


 兵士たちは足元に注意しながら下がっていくが、すぐに敵に追いつかれてしまう。

 しかし、敵は落とし穴に嵌まり、大混乱に陥った。


「なんだ!」


「落とし穴があるぞ!」


「押すな!」


 先頭を走っていた兵士の列で転倒者が相次ぎ、そこに後続の兵士が折り重なるように倒れていく。

 その間に二百メートルほど距離を取り、そこで命令を出した。


「もう一度穴を掘れ! 飢えた狼たちを罠にかけてやるのだ!」


 一時は大混乱に陥った敵だが、短時間で掘れる穴の数と深さは知れており、すぐに戦列を組み直して進撃してきた。


「第二中隊! 敵を留めよ! 第三中隊は穴を掘り続けるのだ!」


 大隊長が命じ、それに従って兵士たちが動き始める。


「姑息な手を使う! 堂々と戦え!」


 敵の将らしき人物が吠えている。


「愚かな狼を罠に掛けただけだ! いや、狼の方がまだ賢いな! この程度の穴に落ちることはないからな! ハハハハハ!」


「愚弄するな!」


 思いっきり嘲笑すると、敵将は怒りの声を上げていた。

 冷静さを失わせるために嘲笑したのだが、それでも効果は薄いと思っていた。


(これで稼げる時間は知れているな……)


 私の予想通り、第二中隊も一時間ほどで全滅する。


「戦闘工兵大隊よ! 私と共に最後の一兵までここを死守するぞ! 頼んだぞ!」


「「「オオ!」」」


 私が戦闘工兵大隊と呼んだことで、兵士たちが嬉しそうに声を上げる。


 ここに来て、私は何を間違えていたのか気づいた。


(マルクトホーフェン侯爵派は平民である兵たちを仲間として見ていない。しかし、クリストフとマティアスがやってきた騎士団改革では、国を守るために平民たちが自ら戦う気持ちになることが重要だとされていたな。今の彼らを見れば、確かにその通りだと思う。死が避けられない状況でも笑いながら剣を掲げられるのだから……)


 マティアスは、王国騎士団を“国民軍”に変えることが重要だと説いていた。その意味するところを私は理解していなかった。


(私はマルクトホーフェン侯爵派との派閥争いを避けるという言い訳で、彼らのことを見ていなかった。あれほどマティアスに言われていたにもかかわらずだ……それにマティアスとマルクトホーフェンの抗争は権力争いの一環だと思っていた。しかし、今なら分かる。マルクトホーフェンを排除しなかったがために、陛下を死に追いやり、王国を危機に陥らせたということが。マティアスの目にはこれが見えていたのだろう……)


 そんなことを考えている間にも、戦闘工兵たちが次々と命を落としていく。


「青狼騎士団千狼長オイゲン・ケストナーだ! 王国騎士団長! 正々堂々、俺との一騎打ちに応じろ!」


 先ほど叫んでいた将が名乗りを上げた。

 既に我が方の兵士はほとんど討ち取られているにもかかわらず、殊勝なことに私に一騎打ちを申し出てきたのだ。


「いいだろう! グライフトゥルム王国、王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガーだ!」


 名乗りを上げた後、すぐに振り返る。


「たとえ敵がだまし討ちをしてきたとしても、他の者は手を出すな!」


「そのようなことはせぬ! 青狼騎士団の者たちよ! 俺が討ち取られようとも絶対に手は出すな!」


 私の挑発に乗ってくれた。

 相手の力量は分からないが、一対一なら多少は時間を稼げるだろうと思ったのだ。


「参る!」


 ケストナーはそう叫ぶと、馬から降りて走り出した。

 こちらが騎乗していないため、合わせてくれたようだ。敵にも騎士道が分かる将がいるらしい。


 松明の光だけではよく分からないが、三十代半ばくらいの大柄の騎士で、最も脂が乗っている世代のようだ。

 対する私は五十歳を目の前にし、衰えが隠せない。


(どのくらい時間を稼ぐことができるかな? もう少し鍛錬をやっておけばよかったな……)


 私も鍛錬は続けていたが、デスクワークが多く、剣の腕は以前より確実に落ちている。

 しかし、自分を鼓舞するため、鞘から剣を引き抜き、声を上げる。


「掛かってこい!」


 私は敵兵が見守る中、剣を構えて待ち受けた。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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ホイジンガーは反省してばかりだな。出てくる度に反省する。 記憶ではこれ迄にも二度三度反省してたと思うが、そのくせに殆ど活かされてる様子も無い。
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