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第七話「ヴォルフタール渓谷の戦い:その七」

 統一暦一二一五年五月八日。

 グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。大隊長アルトゥール・フォン・グレーフェンベルク伯爵


 日が落ちて辺りは暗くなっている。しかし、敵と味方が用意した松明が煌々と照らし、戦いに支障はない。

 そんな中、私はこの絶望的な状況で、必死に部下を鼓舞していた。


「敵は短時間しか身体強化を使えない! 敵の攻勢は盾兵が防ぎ、長槍兵は長さを生かして敵にダメージを与えよ! あと三十分で第二大隊に交代できる! それまでは諦めず、辛抱強く対応するのだ!」


 私が指揮するのは第二騎士団第一連隊第三大隊だ。今年の一月に大隊長に就任し、ようやく部下を掌握し始めたところで、今回の出撃となった。


 まだ二十二歳にもならない若造が僅か二年で大隊長に昇進したのは、士官学校を次席で卒業したこともあるが、名門グレーフェンベルク伯爵家の当主であることが大きい。


 マルクトホーフェン侯爵派が爵位を有する者を大隊長以上に昇格させようと画策したため、反マルクトホーフェン侯爵派である私も大隊長に昇進できたのだ。


 ラザファムさんのように勲章を得たわけでもないため昇進を断ったが、団長であるホイジンガー伯爵から受けるように言われた。


『マルクトホーフェン侯爵の息が掛かった者が大隊長以上を独占すれば、我が騎士団は目も当てられんことになる。本来なら私が対処せねばならんのだが、手の打ちようがない。君のような優秀な者が上に上がってくれた方が私も、そして兵たちも安心できる……』


 ホイジンガー閣下は父クリストフと騎士団改革で意気投合した関係から、私が幼い頃からよく知っている。しかし、父亡き後、マティアスさんを遠ざけ、騎士団の弱体化を招いたことから、壁のようなものを感じていた。


(マティアスさんがいらっしゃれば、こんなことにはならなかった……二月に王都に戻られた時に総参謀長に復帰するよう閣下が働きかければ、マティアスさんも断らなかったはずだ……)


 この思いは私だけではなく、マルクトホーフェン侯爵派に不満を持つ者なら皆同じ思いだ。

 特にこの絶望的な状況では口に出すことはできないが、愚痴りたくなっても仕方がないだろう。


 そんなことが頭によぎるが、前線で戦う兵士たちに指示を出し続けている。


「第二小隊! 第三小隊と交代しろ! 第三小隊! 槍を構えろ! 第三中隊! 曲射準備!」


 戦場は、北側はラーテナウ川が流れる谷、南側は山が迫り、幅十メートルほどと狭く、一個小隊三十名が戦うだけでもいっぱいいっぱいだ。その狭い街道で小隊を入れ替えるのはタイミングが重要だ。


「第二小隊! 攻撃!」


 私の命令で第二中隊の第二小隊が傷つき疲労した身体に鞭を打って前に出る。


「今だ! 第三小隊、前へ! 第二小隊、槍を捨てて下がれ! 第三中隊! 射撃開始!」


 私の命令で一斉に兵たちが動き始める。

 第三中隊は弓兵のみで構成されており、山なりに矢を放ち始めた。敵兵の鎧は我が軍の物より頑丈だが、狭い道に百本の矢が降り注ぐとさすがに足が止まる。


 私は今回の出撃に際し、独自に長さ四メートル近い長槍を用意させていた。これはマティアスさんが作った教本にも書いてあるもので、戦場となる西方街道では役に立つと思い、騎士団の倉庫で埃を被っていたものを持ち出してきたのだ。


 嵩張る槍を見て、マルクトホーフェン侯爵派の隊長たちが嫌味を言ってきた。それだけではなく、兵たちも行軍中に文句を言っていたようだが、この槍のお陰で他の大隊に比べて損害が少ない。兵たちも今は感謝していることだろう。


 しかし、この長槍を装備しているのは私の大隊だけだ。もちろん、出陣前に司令部の参謀たちに提案している。


『あの長槍は重くて、取り回しが難しい。迅速な動きの邪魔になり、多様な戦術を阻害しかねない』


 参謀がそう言ってきたが、今回の我々の戦略目的は進軍してくる北方教会領軍を足止めすることだ。多様な戦術というが、狭い街道では戦術を駆使しようにもできない。それなら、敵より攻撃範囲が大きな長槍の方が有利であることは明白だ。


 もっとも彼らが言っていることにも一理ある。実際、これを持ったまま逃げることは難しいためだ。そのため、敵に奪われることになってもいいので、撤退時には捨てるように命じていた。

 そのお陰もあって、無事に小隊を入れ替えることに成功する。


「第三中隊、後退し第二大隊に場所を開けろ! 第二小隊もご苦労だった! 後方に下がって治療を受けろ!」


 その後、何とか第二大隊に場所を譲り、後方に下がることができた。


「ご苦労だったな、アルトゥール」


 後方に下がっていく時、ホイジンガー閣下が声を掛けてきた。


「ありがとうございます。ですが、敵の攻撃が厳しくなっています。そろそろ交代できなくなりそうですので、何らかの対策が必要になると思います」


 私の報告に閣下の顔に苦渋の色が広がる。


「あとどれくらいもたせられると思うか?」


 閣下は周囲に聞こえないように小声で聞いてきた。


「山側から攻撃がないのであれば、まだまだ戦えます。ですが、既に兵たちの心は折れかかっています。この状況で山側から餓狼(フングリヒヴォルフ)兵団(トルッペ)が攻めてきたら、前線だけでなく、後方でも恐慌に陥り、蹂躙される可能性が高いと考えます」


「やはりそうか……」


 閣下も私と同じ懸念を抱いていたようだ。


「閣下に提案がございます」


「何か?」


「野営地で迎え撃つべきです。街道側の出口を抑えつつ攻撃すれば、兵の交代が効率よく行えますし、山側を警戒しておけば、餓狼兵団が奇襲を仕掛けてきても対応できます。このままでは少しずつ消耗していくだけです。もし、どこかの隊が恐慌に陥って撤退すれば、雪崩を打ったように全軍が潰走してしまうでしょう。少しでも希望が持てる場所で迎え撃ちつつ、時間を稼ぐべきです」


 我が大隊の兵はまだ戦えるが、マルクトホーフェン侯爵派の貴族が隊長の隊は前に出るだけで磨り潰されるように討ち取れ、士気は最悪だ。このままではその下がった士気が全軍に広がりかねない。


「それしかないか……だが、参謀たちはリスクが高すぎると言っているのだ。今のままなら時間を稼ぐことができるとな」


 長槍のことでもそうだったが、王国騎士団の参謀は質の低下が著しい。

 現在の総参謀長は以前作戦部長だったヴィンフリート・フォン・グライナー男爵だ。グライナー男爵は有能な参謀だが、その他の参謀がマルクトホーフェン侯爵派の貴族に代わっている。唯一の希望とも言えるグライナー男爵も、ホイジンガー閣下の命令で王都に居残りだ。


 その参謀たちだが、士官学校すら出ていない者も多く、私が参謀をやった方が遥かにマシと思えるほどで、机上の空論としか思えないことを平気で言ってくるのだ。


 ホイジンガー閣下がそんな連中を追い出してくれればよかったのだが、閣下はマティアスさんの色を少しでも薄めたいとでも思ったのか、そんな連中を受け入れ、優秀な参謀たちが絶望して辞めることを止めなかった。


 その無能な参謀たちが今の状況をよしとしているのは、兵たちが消耗したとしても、街道を封鎖できていれば、自分たちだけは逃げられると思っているからだ。このくらいのことはホイジンガー閣下も分かっているはずで、それでも押し切れないことに苛立ちが募る。


「我が大隊が殿(しんがり)で時間を稼ぎます。その間に迎撃態勢を整えてはいかがでしょうか? 第二大隊と我が大隊で二時間程度は稼げると思います」


「そんなことをすれば、君が戦死してしまう。クリストフに顔向けできん」


 閣下はすっかり弱気になっている。


「父がそのようなことで非難するとお考えですか? それよりも無為無策のままズルズルと消耗することの方を非難するのではないでしょうか」


「確かにそうかもしれんな」


 何らかの策が必要だと考えているようだが、まだ煮え切らない。


「時間がありません。餓狼兵団が奇襲を仕掛けてくれば、我々はなすすべもなく敗北するのです。王国の未来を考えれば、少しでも兵を生き延びさせるべきです。そうすれば、マティアスさんが、いえ、ラウシェンバッハ子爵が何とかしてくれるはずですから」


 閣下の機嫌が悪くなると思ったが、発奮してもらうため、あえてマティアスさんの名を出した。


「言うようになったな、アルトゥール。さすがはマティアスの弟子の一人だ」


「私はマティアスさんの弟子ではありませんよ。多少は個人的に指導していただきましたが、私が士官学校に入った時には参謀本部次長になっておられましたし、騎士団に入った時には療養生活を送っておられましたから」


 ラウシェンバッハ子爵邸にいたフレディ・モーリスと初等部時代に友人関係になっていたことから、個人的にマティアスさんとイリスさんに学んでいるが、当時は知識がなく、基礎的なところを教えていただいたに過ぎない。


「知識はそうかもしれんが、私に厳しく諫言する姿勢はマティアスを彷彿とさせる……分かった。ここは君に任せる。私は野営地で……」


 閣下がそこまで話した時、周囲がざわめいた。


『敵襲!』


『獣人族だ!』


 どうやら間に合わなかったようだ。


「アルトゥール・フォン・グレーフェンベルク大隊長。卿は後方に向かい、混乱を抑えよ」


 閣下の雰囲気が一気に変わった。それまでの優柔不断な雰囲気が消え、以前の武人らしい顔つきに変わっている。ここまで来たら迷うこともないので開き直ったのだろう。


「はっ! 後方の混乱を収めます!」


 今更と思わないでもないが、無為に兵を失うよりマシだと素直に頷く。


「混乱を収めた後は退路を確保しつつ、友軍を誘導せよ! これは命令だ!」


 閣下は私を逃がそうと考えたようだ。


「し、しかし!」


「復唱はどうした! 少しでも兵を生かすなら、後方の混乱は致命的だ! それに対応して見せよ!」


「はっ! 第一連隊第三大隊は退路の確保のため、西方街道の掃討を開始します!」


 悔しいが、ここで議論して時間を潰すより、すぐに行動した方がよい。


「通信兵! 各連隊長、大隊長に連絡! 第一連隊第三大隊が退路を確保する! 第二騎士団の精鋭が無様な潰走を見せるな! 殿(しんがり)は私が直属大隊と共に務める! 秩序をもって後退せよ! 通信兵は第三騎士団に合流し、シュタッフェルトの指揮下に入れ!……」


 閣下の命令が続いているが、私は命令を実行するため、すぐに走り出した。


(閣下はここで死ぬつもりのようだ。死に場所を探していたのだろうか……)


 そんなことを考えながらも、後方の混乱を収めるべく、部下たちに命令を出していった。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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ホイジンガーは出てくるたびに経験値がリセットされたような言動をしている。 マティアスやグレーフェンベルクと話すたびに、今まで一度も話し合いや相談をしたことがない様子で、生きたキャラクターと言うより物語…
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