第五話「ヴォルフタール渓谷の戦い:その五」
統一暦一二一五年五月八日。
グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵
午前中に始まった戦いは一進一退の攻防を続けている。
正確に言うなら、敵の進軍は阻んでいるものの、こちらの損害が圧倒的に大きいという状況で、とても互角とは言えない。
それでも法国軍の精鋭である神狼騎士団を相手に一歩も引かず、時間を稼いでいる。
当初は大隊長以上の質が落ちていることから、戦線を維持することが難しいのではないかと思っていた。しかし、僅か数メートルの幅しかない街道での戦いでは、精々小隊単位でしか戦えないことから、優秀な小隊長や下士官たちが残っていたため何とかなっているらしい。
(これならケッセルシュラガー侯爵軍が到着するまで時間を稼げそうだな……)
敵を発見したという報告を受けた後、情報部に属する影をケッセルシュラガーに急行させた。
彼らの足なら明日の朝にはケッセルシュラガーに到着できるから、最短で四日ほど耐えれば挟み撃ちにできる。
決定的な勝利は難しいかもしれないが、ケッセルシュラガー侯爵軍が後方を遮断すれば、補給線を断つことができ、進軍は止まるはずだ。そのまま持久戦に持ち込めば、補給を受けられない敵が音を上げて撤退していくだろう。
午後に入り、連隊ごと交代させるためにはどうすべきと考えていたところに、通信兵の影が静かに近づいてきた。
「第一騎士団より、野営地が敵襲を受けているとのこと。第一騎士団と貴族領軍は混乱し、大至急救援を願っております」
「な、なに!」
周囲に混乱を与えないためか、小声で報告してきたのだが、私の方でそれの配慮を台無しにしてしまった。
「声を抑えていただきますようお願いします」
そこでようやく状況が頭に入ってきた。
「山の中を軍が移動したというのか?」
「そのようです。敵は獣人族主体とのことでしたので、餓狼兵団と思われます。このままでは陛下が危険です。また、全軍が崩壊する可能性も否定できません」
それだけ言うと、静かに待っている。
(餓狼兵団が後方に回っただと……我らは袋のネズミではないか……いや、それよりも陛下のお命が危ない! しかし、どうすれば……)
対応策が思いつかず、沈黙してしまう。
(とりあえず、ここを死守しつつ、陛下をお守りせねばならん。問題は第四騎士団だ。ハウスヴァイラーにこの混乱を収拾することができるとは思えん……)
第四騎士団長アルマント・フォン・ハウスヴァイラー伯爵はマルクトホーフェン侯爵派だ。ラザファムが辞任した後に第四騎士団長に就任している。
マルクトホーフェン侯爵派の指揮官を連隊長や大隊長に推薦するなど、勝手な行いが多かった。また、自らを知将と思い込んでいるようで、マティアスを勝手にライバル視しているが、能力は低く、第四騎士団の弱体化を招いている。
ハウスヴァイラーは信用できないが、他に選択肢はなく、すぐに通信兵に指示を出す。
「第四騎士団に野営地に向かうよう伝えよ! 第三騎士団はその場で待機。状況によっては後方を優先すると伝えよ」
命令を出した後、司令部の幕僚たちに状況を説明し、協議に入る。
私が手短に説明すると、幕僚たちの顔色が真っ青になった。それでも何とか意見を具申し始める。
「まずは後方の敵を排除すべきです。餓狼兵団であれば最大でも五千。貴族領軍と第四騎士団でも二倍。慌てる必要はないかと」
一人の参謀が意見を言うと、反対の意見が出てきた。
「いや、餓狼兵団は精鋭と聞きます。万が一、陛下の身に何かあれば、我が軍の士気は一気に落ちます。そのような状況になれば、練度の低い貴族領軍は戦力として数えられないでしょう。第四騎士団だけでは対応しきれず、輜重隊を失うことにもなりかねません。直ちに第三騎士団も向かわせるべきです」
「第三騎士団を向かわせると言っても、街道は狭い。野営地の入口を封鎖されれば、身動きが取れなくなる。まずは第四騎士団に任せ、様子を見るべきだ」
「陛下のお命が危ういのだ! そのような悠長なことを言っている場合ではなかろう!」
参謀たちは激しく議論しているが、結論が出ない。
(マティアスがいればこのような議論にはならなかったのだが……いや、そもそも彼がいればこのような危機的状況に陥ることはなかったはずだ。山の中にも警戒線を敷いただろうし、陛下にご出陣を願うこともなかっただろう……今はそんなことを考えている時ではないな。ここは私が決めた方がよい……)
無駄な時間を掛けるよりは私が決めた方がよいと割り切り、命令を出す。
「第二騎士団はここを死守。第四騎士団は強引でもよいから野営地に突撃し、陛下をお守りする。第三騎士団はそれに続いて野営地に入り、敵を排除。各騎士団長には兵たちが動揺しないよう、注意せよと命じよ」
通信兵たちが命令を伝え始めると、司令部に落ち着きが戻った。
しかし、すぐに衝撃的な情報が入ってくる。
「ホルクハイマー第一騎士団長の奮戦虚しく、国王陛下、お討ち死に! ハウスヴァイラー第四騎士団長閣下がご命令を願っております!」
「陛下が……ご崩御されただと……間違いないのだな」
「はい。餓狼兵団の兵士が国王陛下の御首級を掲げているとのことです」
その言葉に愕然とするが、すぐに我に返る。
「ハウスヴァイラー伯爵に命令! 陛下の御首級を何としてでも奪い返せ! シュタッフェルト伯爵に連絡! 第三騎士団も第四騎士団に合流せよ!」
第三騎士団長はベネディクト・フォン・シュタッフェルト伯爵だ。私が第三騎士団長時代の部下で、私の後任に指名している。しかし、戦術家としては有能だが、私と同様に奇策や突発的な事象に弱い。
敵もこちらの動揺を感じたのか、攻勢を強めてきた。
「前線からの情報です! 敵の攻勢に耐え切れません! 支援をお願いしたいとのことです!」
その要請にすぐに答えられない。支援と言われてもこの狭い街道で前線の兵の入れ替えは容易なことではないからだ。
これまでは敵も適度に交代していたため、そのタイミングに合わせてこちらも入れ替えていたが、猛攻を仕掛けられるとそれもできない。
「兵の数は足りている! 前線の判断で兵を入れ替えよ!」
気休めにもならない命令しか出せない。
この状況に私の心は絶望に支配されていく。
一時間ほどじりじりとした状況が続いたが、参謀の一人が走ってきた。
「敵餓狼兵団、撤退しました。第一騎士団はほぼ壊滅。貴族領軍も負傷者多数。第四騎士団が撤退を開始しました。第三騎士団にて負傷者の応急処置を行っておりますが、シュタッフェルト閣下より指示を願うとのことです」
「第四騎士団が撤退しているだと! それは真か!」
「事実です。ハウスヴァイラー閣下に確認したところ、狭い街道で大軍が停滞すれば、身動きが取れなくなるとおっしゃっておられます」
その言葉に怒りが爆発する。
「陛下の御首級も奪い返さず、友軍の負傷者も見捨てて逃げ出すとは何事だ! すぐにハウスヴァイラーと繋げ!」
怒りに任せて叫ぶが、通信兵は首を横に振る。
「指揮に専念するため、通信には出られないとおっしゃっておられます」
「総司令官たる私の命令を聞きたくないということか! 王都に戻り次第、必ず処断してやる!」
そこまで言って、自分が王都に戻る可能性が低いことに気づく。
(第二騎士団が殿だ。神狼騎士団を抑えつつ、六百キロ以上撤退することは現実的には不可能だな……)
そこまで考えたことで少し頭が冷えた。
(ハウスヴァイラーのことなどどうでもよい。今は少しでも兵を逃がし、王都を奪われぬようにせねばならん……)
私は腹を括った。
主君を討たれ、大敗北を喫した総司令官として、今後のために何ができるかを考えた。
「第二騎士団は殿となる! 少しでも味方に撤退の時間を与えるのだ!」
シュタッフェルトに命令を出す。
「第三騎士団は負傷者と輜重隊を守りつつ、王都に向かえと伝えよ。合わせて、これ以降はシュタッフェルト伯爵が王国軍の指揮を執れと伝えるのだ。急げ!」
私はそれだけ命じると、シュタッフェルトに指揮権を委譲したことと、ハウスヴァイラーの命令違反を犯したことを記した公文書を急いで作り、伝令に渡す。
伝令を見送った後、剣を握り直す。
(ここで死ぬだろう。それも王国を危機に追いやった無能な将として……あの世ではクリストフに叱られるのだろうな。何をやっていたのだと……私にはそれだけの能力がなかったのだと頭を下げよう……)
盟友であった前王国騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルクのことを思い出し、思わず笑みが零れた。
「一兵たりとも通すな! 王国の精鋭、王国第二騎士団の意地を見せよ!」
私の言葉に多くの兵が歓声を上げる。
(ここで私に付き合わせるには惜しい兵たちだな……)
そんなことを思ったが、すぐに戦場に集中した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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