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第四話「ヴォルフタール渓谷の戦い:その四」

 統一暦一二一五年五月八日。

 グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。国王フォルクマーク十世


 突然敵襲に余は混乱していた。

 近衛である第一騎士団長ピエール・フォン・ホルクハイマー子爵は余を逃がすために配下の騎士と敵に立ち向かっているが、どこに逃げたらよいのか、気持ちだけが焦っている。


『ホルクハイマー団長、お討ち死に!』


 そんな声が聞こえてきた。


「陛下、早くお逃げください!」


 陰供(シャッテン)の一人が余の手を引く。

 しかし、すぐに周囲で戦闘が起き、身動きが取れなくなった。


『国王を見つけたぞ!』


『我ら餓狼(フングリヒヴォルフ)兵団(トルッペ)の手柄とするのだ!』


『絶対に逃がすな!』


 そんな声が四方から上がっている。

 幸いなのかどうか分からないが、第一騎士団の兵たちが余と同じように右往左往しており、そのお陰で敵は近づいてこれない。


「どうすればよいのだ……」


 陰供(シャッテン)に手を引かれながら走るが、どこに行っても敵兵がいるため、野営地の中をうろうろと走り回る。


「貴族領軍の中に逃げ込みます。こちらです!」


 別の陰供(シャッテン)が北西を指さしている。


『逃がすな! 回り込め!』


 何分走っているのか分からないが、肺が熱くなり、心臓の鼓動が煩い。


「もう走れぬ」


 膝から崩れるように倒れ込んでしまった。


「陛下! 諦めてはなりません! まだ希望はございます!」


 陰供(シャッテン)が必死に励ましてくれるが、もうどうでもよくなってきた。余のような素人でも逃げ場がないことが分かるほど周囲は敵だらけで、これ以上走っても無駄だと諦めたのだ。


「ここまでのようだ。そなたらは余の死をフリードリッヒに伝えよ。これは命令だ」


 陰供(シャッテン)は「し、しかし……」と言って手を引こうとするが、それを振り払う。


「そなたらでも、余を連れてこの囲みは突破できん。余に付き合って無駄死にする必要はない」


 不思議なことに死ぬことが恐ろしいと思わなかった。

 これまであれほど死を恐れていたのに、死が現実のものとなって逆に開き直ったのかもしれない。


「フリードリッヒに余の死を伝えた後、そなたらはジークフリートを守ってくれ」


 余の言葉に普段感情を一切見せない陰供(シャッテン)が目を見開いて驚いている。


「それが大賢者の望みであろう。目的は分からんが、大賢者がジークフリートを守り、育てようとしていることくらいは分かる」


「どうしてお分かりになられたのでしょうか?」


 驚いた表情の陰供(シャッテン)に、余はおかしさを感じていた。そのため、自然と笑みが浮かぶ。


「エッフェンベルクにラウシェンバッハ、あの逸材を育て上げ、そしてジークフリートの下に赴かせたのは大賢者であろう。その程度のことなら余でも分かる」


「……」


 愚鈍な王である余が気づいていたことに驚いているようだ。


「大賢者の目指すことのために、そなたは生き延びねばならん」


 余の命令には従う必要はないが、大賢者マグダのためと言われて、迷っているように見えた。

 そこで余は表情を引き締める。


「エッフェンベルクとラウシェンバッハ、そして大賢者に伝えてもらいたいことがある」


 余の遺言ということで陰供(シャッテン)も真剣な表情に変えて頷いた。


「ジークフリートを王にするのはよい。フリードリッヒに王は務まらぬからな。だが、フリードリッヒはジークフリートと同じマルグリットの子でもある。できるなら命は奪わず、どのような形でもよいから、生を全うさせてやってほしい。あの者たちならできるはずだ。それからフリードリッヒには面倒な状況で玉座を引き継ぐことを申し訳なく思っていると、そして、無理はするなと伝えてくれ。あれは余と同じく心が弱いからな」


「はっ! 必ずや」


 余の言葉が意外だったのか、少し間が空く。

 そのことが少しおかしく思えたが、別のことが頭に浮かんだ。


「最後にそなたの名を聞かせてくれぬか。ここまで仕えてくれた者のことを知らずに死ぬのは味気ないからの」


 陰供(シャッテン)は小さく頷くと、顔の造形が変わっていく。


闇の監視者(シャッテンヴァッヘ)二の組(ツヴァイ)の小頭、闇森人(ドゥンケルエルフェ)のイェフ・ザカと申します」


 それまでの普人族(メンシュ)の特徴のない若い男から、褐色の肌の整った顔に変わっていた。


「そのような顔であったのか……」


 そんな話をしていると、更に周囲が騒がしくなってきた。


「イェフ・ザカよ! 行け! これは命令だ!」


「はっ! フリードリッヒ殿下に陛下のお言葉を伝え、ジークフリート殿下をお守りいたします。マグダ様、ラザファム卿、マティアス卿に陛下のお言葉を必ずお伝えいたします」


「頼んだぞ」


「陛下、これをお使いください。苦痛はほとんど感じぬはずです」


 陰供(シャッテン)たちはそれだけ言うと、一本の小さなビンを手渡してきた。どうやら安楽死用の毒のようだ。

 イェフは余の言葉を聞くことなく、兵たちの間に消えていく。


「国王フォルクマークだな。覚悟してもらおう!」


 熊獣人らしい大男が余の前に現れた。

 これで最後かと思い、こっそりとビンに口を付ける。一口で飲めるほどの量しかなく、すぐに飲み切った。


 しかし、効くまでにどのくらいの時間が必要か分からない。せっかくの心遣いを無にするのも癪だったので、時間を稼ぐため、会話を試みる。


「余の首を獲る、そなたの名を聞かせよ」


 名を聞かれると思っていなかったのか、意外そうな表情を浮かべる。しかし、すぐに素直に名乗った。


名誉普人族(エーレンメンシュ)のグィード・グラオベーア。では、覚悟を……」


 毒が効いてきたのか、ふわふわとした気持ちになってくる。


「マルグリット……」


 そして、幸せだった頃のことが思い出され、愛する妻の姿が見えた気がした。



■■■


 統一暦一二一五年五月八日。

 グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。グィード・グラオベーア餓狼兵団長


 国王を討ち取った。

 本来なら兵団長である俺ではなく、部下の誰かに手柄を上げさせるべきだが、マルシャルク閣下から指示されていたからだ。


『無理をする必要はないが、可能であるなら、そなたが国王を討ち取れ。雑兵が偶然討ち取ったと思われるより、将自らが前線に出て討ち取ったとした方が餓狼(フングリヒヴォルフ)兵団(トルッペ)の評価を上げられるからな』


 確かに逃げ惑う国王を名もない兵が討ち取るより、兵団長であり、ある程度名が通り始めている俺が討ち取った方が話として広めやすいだろう。


 だから俺は国王を討ち取った後、積極的にそのことをアピールしている。


「国王フォルクマーク十世は餓狼兵団長グィード・グラオベーアが討ち取った! 首を奪い返したくば、掛かってこい!」


 そう叫びながら国王の首を掲げる。

 マルシャルク閣下がおっしゃった通り、後方にいた王国兵は練度の低い弱兵ばかりで、俺が挑発しても掛かってくる者はほとんどいない。


 俺が挑発したことで、兵団員たちの士気が上がる。


「いいぞ、団長!」


「王国兵は自分のところの王様の首も取り返す気がないのか? 呆れ果てた奴らだ!」


 士気が上がるのはいいのだが、この場をどうするかで悩んでいる。


 マルシャルク閣下からの命令では、国王の首を獲ったら適当なところで引き上げることになっている。これは兵団の損失を極力減らすためだが、今も逃げ惑う敵を殺しているだけで、倒された兵団員は見当たらない。


(もう少し戦ってもいいだろう。問題はどこまで戦うかだな。敵が逃げるなら放置してもいいのだが、神狼騎士団が手柄を上げられるように多少遅らせた方がいいだろう……)


 マルシャルク閣下以外の騎士団長は我々餓狼兵団のことを見下している。その我々が大戦果を挙げ、騎士団が大した功績を上げられないとなると、感情的になる可能性が高い。それを防ぐためには王国軍の撤退を遅らせ、騎士団の活躍の場を少しでも作った方がいい。


(面倒な話だ。だが、閣下の地位を確固たるものにするには、騎士団の支持は強い方がよい。このようなことを考えることになるとは思っていなかったが……)


 既に餓狼兵団は王国の第一騎士団と貴族領軍の半数程度、三千人ほど討ち取っている。野営地は大混乱に陥っており、街道に入っていた主力が戻れない状況だ。

 これをもう少し長引かせれば、追撃戦で大きな戦果を挙げてくれるだろう。


「街道を封鎖し、敵を袋のネズミとするのだ! 隊ごとに集まり、ゆっくり後退しろ!」


 俺の命令が伝えられるが、興奮した兵たちはなかなか動かない。

 しつこく命令を出し、何とか後退するが、獣人族(セリアンスロープ)が集団戦に向かないことを嫌というほど実感した。


(戦いで興奮すると、目の前しか見えなくなるという感じだな。“千里眼(アルヴィスンハイト)のマティアス”は凄いものだ。俺たちのような連中を王国一の精鋭に育て上げ、あの帝国軍を翻弄したのだから……)


 マティアス・フォン・ラウシェンバッハのことは餓狼兵団が作られる時に知った。彼が法国内の獣人族を奴隷として購入し、王国に連れ帰って自由と平穏を与えたと聞き、なぜ俺たちの村には来てくれなかったのだと思ったものだ。


 これは兵団の者たちのほとんどが同じだった。

 もっとも話があったとしても、素直に信じたかは微妙なところだ。あまりに美味すぎる話で、騙されるものかと断った可能性が高い。


 そんなことを考えていると、王国軍が秩序を取り戻し始めていた。騎士団の本隊が野営地に入ってきたようだ。


「いい加減に引き上げるぞ! 命令に従わない奴は置いていく! 聞こえた奴は周りの連中に伝えろ! 引き上げ開始!」


 俺は強引に来た道を引き返していく。

 周りにいた兵たちが慌てて俺の後に続き、ようやく撤退することができた。

 俺は山の中から王国軍の様子を見ていた。


(マルシャルク閣下が簡単に撤退を許すはずがない。王国軍の撤退戦のお手並み拝見といったところだな……)


 俺の予想通り、王国軍は神狼騎士団の本隊に追い立てられるように東に向かい始めた。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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― 新着の感想 ―
へいかぁぁぁ!!
更新ありがとうございます。 フォルクマークは腐っても王でしたか…… さあ、これから王国はどうなるのか?
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