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第二話「ヴォルフタール渓谷の戦い:その二」

 統一暦一二一五年五月七日。

 グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷内。国王フォルクマーク十世


 余は不安を感じながら用意された天幕の中で横になっていた。

 王都を出てから二十日、これほど長く馬に乗って移動するのは初めてで、行軍が終わると座っていることさえできないほど疲労しているからだ。


(ホイジンガーはそろそろ敵とぶつかると言っているが、どうなのだろうか……ケッセルシュラガーが上手くやってくれれば、このままヴェストエッケまで行けるのだが……これは虫のよすぎる話だな……)


 正直なところ、今すぐにでも逃げ出したい。

 しかし、ここで逃げ出せば、我が王国の命運が尽きることは、余のような凡庸な者でも理解できる。


 だから現実逃避を重ねることしかできないのだ。


(こんなことならフリードリッヒに出陣させた方がよかった……いや、あの者は余より小心者ゆえ、逃げ出そうとして軍の士気を下げていたはず。マルクトホーフェンが何を言おうが、やる気を見せたグレゴリウスに出陣させれば、このような思いをすることはなかった……)


 御前会議の場ではアラベラの子に玉座譲り渡すことになりかねないと、グレゴリウスを余の名代にしなかった。しかし、あのマルクトホーフェンが反対したのだから、名代にしてもよかったのではないかと思い始めている。


(今日も眠れそうにない……このような日があとどれだけ続くのだろうか……)


 そのようなことを考えながら、簡易寝台で横になっていた。

 結局、満足に眠れないまま、朝を迎える。


 朝食を摂り、装備を整えていると、王国騎士団長のマンフレート・ホイジンガー伯爵が副官と共に慌てた様子で現れた。


「陛下に申し上げます! レヒト法国軍を発見いたしました。距離はおよそ十キロメートル。我が軍はこの先の街道に陣を張り、敵を迎え撃つこととなります。陛下におかれましては、第一騎士団と共に後方から督戦していただきたいと考えております」


「敵が来たというのか……」


 恐怖のあまりごく当たり前のことを聞いてしまう。


「ご安心ください。ここヴォルフタール渓谷は両側を山に挟まれておりますから、我が騎士団が前方で戦っている限り、敵が陛下のところにやってくることはございません。万が一、我が第二騎士団が突破されたとしても、第三騎士団、第四騎士団、貴族領軍が控えておりますので、御身が危険に晒されるようなことはないでしょう」


 横で聞いている第一騎士団長のピエール・フォン・ホルクハイマー子爵も頷いている。


「王国騎士団長のおっしゃる通りです。この場所では長期戦になる可能性が高いですから、あまり気を張り詰めないようにした方がよいでしょう」


 ピエールは七十歳を超える老将だ。

 本来なら子爵に過ぎない彼は近衛騎士団と呼ばれていた第一騎士団の団長にはなれないのだが、余の守役であったことからその忠誠心を買って、余が即位した時に近衛騎士団長に指名したのだ。


 ピエールの言葉で余も少し落ち着いた。


「王国騎士団の活躍に期待する」


 ホイジンガーは副官と共に頭を下げる。


「はっ! ここで時を稼げば、ケッセルシュラガー侯爵の軍が後方を脅かしてくれます。陛下におかれましてはじっくりと腰を据えてお待ちいただければと思います」


 ケッセルシュラガー侯爵軍は十日ほど前に北方教会領軍に戦いを挑み、戦死者二千、負傷者二千という大きな損害を受け、撤退している。


 戦いに疎い余でもホイジンガーがいうほど楽観的でないことは分かっていた。

 それでも余にできることはない。


「頼んだぞ、ホイジンガー」


 余の言葉にもう一度頭を下げ、ホイジンガーは前線に向かった。


(時を稼げばとホイジンガーは言ったが、どのくらい待てばよいのだろうか……)


 ピエールに聞いてもいいのだが、彼は忠誠心こそ高いが、グレーフェンベルクやラウシェンバッハのような将才はなく、答えは期待できない。

 そんなことを考えていると、ピエールが注意を促してきた。


「後方とはいえ、戦場であることに変わりはありません。決して油断なされぬように」


 余の様子を見て、心ここにあらずと見たようだ。


「油断も何も余にできることなど何もなかろう。この狭い道では前線に激励に行くわけにもいかぬのだからな」


 野営地であるこの場所は東西四百メートル、南北三百メートルの草地だが、渓谷内の道は広いところで幅十メートル、狭いところでは五メートルほどしかなく、一歩間違えば深い谷に落ちてしまう。


「確かにその通りですが、戦場では何が起きるか分かりません」


「卿の言いたいことは理解した。余は疲れぬように天幕の中におる。何かあれば、すぐに知らせろ」


 余はそれだけ言うと、折りたたみ椅子に深く座った。


■■■


 統一暦一二一五年五月八日。

 グライフトゥルム王国西部ヴォルフタール渓谷北、森林内。グィード・グラオベーア餓狼兵団長


 夜が明けた。

 俺たち餓狼(フングリヒヴォルフ)兵団(トルッペ)は険しい山の中を既に八時間近く歩いている。


 体力に自信がある俺たちも山を登り、深い森の中を徹夜で歩いていると、さすがにバテてくる。


 それにただ移動すればいいだけじゃない。

 俺自身は戦っていないが、オーガやトロルなどの魔獣(ウンティーア)が時折襲ってくるため、その対応も必要だからだ。


「団長、まだ先ですかね」


 小休止の時に犬人(フント)族の若い部下が聞いてきた。


「地図がないから正確なところは分からんが、あと二時間といったところだろう」


「うへぇ、まだ二時間もあるのかよ……」


「あくまで俺の勘だからな。その倍ってこともある。覚悟だけはしておけ」


 俺の言葉にガックリと肩を落とし、普段ピンと経っている耳が少し垂れている。


 その様子を見て笑みが零れそうになる。

 兵団ができた頃は部族同士で固まり、兵団長である俺にも積極的に話しかけるような者はほとんどいなかった。


 まあ、俺が四十過ぎの強面ということもあるのだろうが、最初の頃は途方にくれたものだ。

 発足から一年半ほど経ち、ようやくわだかまりがなくなったというところだ。


 それから小休止をもう一度挟み、ゆっくりと山を下っていく。

 街道が見える尾根から見下ろすと、王国軍が連なっており、目的地が近くなってきたからだ。


 正午頃に偵察隊を出し、国王の位置を確認した。


「ここから北西一キロメートルくらいのところに野営地がありました。東側には全く警戒していません。このまま街道に降れば、奇襲を仕掛けられます」


 敵の後方に上手く回り込めたようだ。


「よくやった」


 そう言って偵察隊を労うと、今度は伝令に指示を出す。


「ここで一時間ほど休み、街道に降りる。一旦隊列を組みなおし、そこからは全力で走って敵の本陣を襲う。国王を討ち取れば、間違いなく勲功第一位だ。気合いを入れていけと各部隊に伝えろ」


 俺の命令を受けた伝令が走っていく。


(ここまではマルシャルク閣下の計画通りだ。何としてでも国王を討ち取る。俺たちの、そして子供たちの未来のために……)


 俺は携帯食である干果を齧りながら、そんなことを考えていた。


 街道に降りると、隊列を組み直した。

 そして、隊長たちを集める。


「狼人族と犬人族は敵の撹乱だ。虎人族と獅子族は本陣を狙え。熊人族は野営地の出口を封鎖。猫人族と兎人族は森に逃げ込む奴を仕留めろ。国王だけは絶対に逃がすな。それに獲った首を騎士団の連中に奪われんよう、国王を討ち取った奴はすぐに森の中に入れ。団長閣下に直接お渡しするからな」


 俺の言葉に隊長たちは皆頷いている。

 神狼騎士団の連中なら、俺たちの手柄を横取りすると思っているからだ。


「出陣する! 国王の首を獲れ!」


 俺の言葉に戦士たちは無言で武器を掲げ、狼人たちが一斉に走り出す。

 俺は勝利を確信すると、愛用のメイスをしっかりと握り締めた。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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