第二十三話「軍師、王子に戦場の現実を見せる」
統一暦一二一五年五月一日。
レヒト法国東方教会領東部、ランダル河西岸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
戦闘開始から五時間ほど経った午後四時頃、レヒト法国軍とグライフトゥルム王国・グランツフート共和国連合軍との戦いが終わった。
撤退していた東方教会領軍だが、ゲルハルト・ケンプフェルト元帥率いる共和国軍の追撃と、ラザファム率いるラウシェンバッハ騎士団と突撃兵旅団の待ち伏せ攻撃を受け、遂に降伏した。
最後の戦いは連合軍側が一方的に攻撃し、一万三千人ほどを捕虜にしていた。
最終的には五千人ほどを取り逃がしているが、捕虜は二万四千人、法国軍の戦死者は三万六千人と戦死者は全体の五十五パーセントを超えている。
また、捕虜には重傷者が多く、明日の朝日を見られない者が三千人以上いると報告を受けているから、戦死者の割合は六割を超えるだろう。
これほど多くの戦死者が出たのは連合軍側がなかなか降伏を認めなかったからだ。これは捕虜にしても使い道が少なく、解放すれば、再び共和国に侵攻してくる兵となり得るため、窮鼠となって手が付けられなくなる直前まで、法国兵を殺し続けたためだ。
現在、王国軍が捕虜の武装解除と監視を行い、共和国軍は更に進撃している。これは脱出した敵兵を追撃しているわけではなく、東方教会領軍の出撃拠点であるクルッツェンの町を占領するためだ。
クルッツェンはここから五十キロメートルほどあるため、共和国軍は明日か、明後日の午前中に到着する予定だ。ちなみにこの進撃の目的は恒久的な占領ではなく、今回の侵攻軍の物資の奪取だ。
事前に調べたところでは、東方教会は六万五千という大軍を食わせていくために、三万トン以上の穀物、五万トン近い飼葉を用意していた。他にも共和国内を占領した際に使用する現金や工具類、予備の武具や靴などの消耗品も大量に準備してあると聞いていた。
それらの物資の一部はラウシェンバッハ騎士団の第四連隊が確保した物資集積所にもあり、正確な量はまだ把握できていないが、数千トンの穀物と同量の飼葉、一千輌の荷馬車、大量の天幕が保管されていたと報告を受けている。
物資集積所には軍官僚、荷馬車の御者、料理人、職人ら二千人ほどの非戦闘員がおり、それらも捕虜にしている。更に二百名のトゥテラリィ教団の聖職者が治癒魔導師として同行していたため、御者たちと一緒に捕らえていた。
物資集積所には護衛の傭兵が五百名ほどいたらしいが、少し戦っただけで第四連隊の強さに驚き、逃げていったらしい。
ちなみに集積所の外には三百名近い娼婦がいたが、それは見逃している。下手に捕虜にすると、トラブルになりかねないと思ったためだ。
クルッツェンを占領する目的は他にもある。
それは法国との交渉カードとすることだ。
共和国は東方教会領の東部の領土にあまり興味を持っていない。草原地帯ではあるが、農地として有望とはいえず、精々放牧にしか使えない。また、共和国側の都市から遠く離れていることから、商業活動でもメリットは少なく、奪ったとしても旨みはほとんどない。
更にクルッツェンの先まで領土を奪うための拠点とするとしても、住民はすべてトゥテラリィ教の信者であり、改宗させるか、元の住民を放逐して、入植者を募らなければならない。共和国内に土地が余っている状況で、領土を切り取るメリットはほとんどないのだ。
仮にクルッツェンを恒久的に占領すれば、最前線の町となり、最低一万の兵を駐屯させ続ける必要がある。旨みの少ない土地に大量の兵を送り込まねばならず、軍事費の増大を招くだけであるため、共和国は最初から恒久的に占領するつもりはなかった。
一方、東方教会領はほとんどの戦力を失っており、共和国が全面的な攻勢に出ることを恐れている。そのため、前線基地となり得るクルッツェンを共和国が確保していれば、法国は危機感を持ち、外交交渉を有利に進められる可能性が高い。
それらのことは予めケンプフェルト元帥に伝えてあり、共和国軍は物資を奪取した後も一万程度が駐屯し続ける予定だ。
その共和国軍だが、今日は物資集積所に入って野営する予定だ。そのため、治癒魔導師や輜重隊を派遣している。大勢が決した午後三時頃に出発しているため、日が落ちる前には合流できるだろう。
そして今、私はジークフリート王子と共に戦場であったランダル河の川岸に立っている。
これは勝利に貢献し、現在も捕虜を監視しているエッフェンベルク騎士団を労いたいと王子が言ってきたからだが、私にも目的があった。それは王子に戦場の現実を見せることだ。
連合軍の大半が追撃したため手が回らず、ランダル河には多くの死体が残されていた。連合軍側の遺体は回収してあるが、法国軍の死体はそのまま放置されており、その多くが無残な状態で苦悶の表情を浮かべている。
「これが戦場なのか……戦場にいるつもりでいたが、城壁の上からは全く想像できなかった……」
想像以上の状況に、王子の顔は真っ青になっていた。
十六歳の少年には衝撃的だっただろうが、気丈にも嘔吐することも目を逸らすこともなかった。
「彼らは我々にとって憎い敵です。ここで食い止めなければ、多くの町や村で目を覆いたくなるような悲惨な光景を見ることになったでしょう……」
軍律が厳しいゾルダート帝国軍や共和国軍はともかく、法国軍は兵士が略奪を行うことを認めている。というより、トゥテラリィ教団や世俗領主から支払われる金だけでは全く割に合わず、略奪できるから兵士たちは素直に命令に従ったのだ。
「ですが、彼らも故郷に戻れば、よき父親であり、よき息子なのです。我が国から見れば略奪を行う野盗のような存在だとしても、このように屍を晒してよいわけではありません。このような結果をもたらした法国の上層部はその責任を取るべきなのです」
「マティアス卿の言いたいことは分かる。王家に生まれた私には民に対して責任があるということだな。ただ、父上も兄上たちもそのことを理解されていない。それが問題だと、卿は言いたいのだな」
彼の言う通りだが、微笑むだけで明確には答えない。彼自身に考えてほしいからだ。
「マティアス卿は以前、戦争は悪だと教えてくれた。例えそれが祖国を守るためであっても、戦争は極力行うべきではないと。その時はよく分からなかったが、今回のことで理解できた気がする。勝っても負けても不幸をもたらす。負ければ当然自分たちに、勝ったとしても不幸の向かう先が味方ではなく、敵になるだけだ。物事は一面を見るだけではいけないということも実感した」
私の言いたいことを理解してくれたようなので馬を進めて、西方教会領軍の捕虜を監視するエッフェンベルク騎士団のところに向かう。
王子が現れたということで、兵士たちが直立不動で出迎える。
「ラムザウアー男爵、そして、死力を尽くして戦ってくれたエッフェンベルクの兵士諸君! 今回の働きは見事であった!」
馬から降りると、王子は拡声の魔導具を使って話し始めた。
城壁を出る時にどのような話をしたらいいのかと相談を受けたが、自分の感じたままに話せばいいとだけ言い、具体的なことは助言していない。
「王家の一員として、諸君らの働きに必ず報いると断言する! しかし、その褒賞を直接受けられない者たちがいる。武運拙く、戦死した者たちだ……」
そこで王子は目を伏せる。
「王国を守るためとは言え、異国の地で命を落とした勇士たちにどのような言葉を掛けるべきか、未熟な私には思いつかない。愛すべき家族と会うことなく、命を落とした。どれほど無念であったかと考えると、言葉にならないのだ……」
王子の声が震えていた。
兵士たちも王子の率直な言葉に涙を流している者もいる。
「しかし、これだけは言える! 彼らの死は決して無駄ではなかったと! いや、私が責任をもって無駄にしない!」
力強い宣言に兵士たちが目を見開いている。
「もちろん私にはそのような能力はない。だが、ここにいるマティアス卿や諸君らの主君ラザファム卿といった有能な者たちが私に力を貸してくれる。だから、彼らの死を無駄にすることは絶対にないと断言する! これは諸君らにも言えることだ! 王国は今まさに存亡の瀬戸際に立たされている! 祖国のために諸君らの力を再び貸してほしい!」
王子はそう言うと、大きく頭を下げた。
王族が頭を下げたことで、兵士たちは驚いているが、その真摯な言葉に感銘を受けたように見える。
(王となる資質は充分にあるな。民を労わる心と国を守るという強い意志を持っている。王太子やグレゴリウス王子とは違う……帝国から国を守るためには、彼に王になってもらう必要があるな……)
そんなことを考えていると、兵士の中から声が上がった。
「グライフトゥルム王国、万歳! ジークフリート殿下、万歳!」
その声が兵士の間に広がっていく。
「「「グライフトゥルム王国、万歳! ジークフリート殿下、万歳!」」」
ジークフリート王子はそのような事態になるとは思っていなかったのか、困惑したような表情で私を見る。
「彼らに応えてあげましょう」
「そうだな」
そう言って頷くと、王子は兵士たちの間に入り、同じように万歳と声を上げていた。
「マティアス様はこれを狙っていたのですか? ジーク様が兵士の心を掴むことを」
ジークフリート王子の陰供、ヒルデガルトが聞いてきた。
「狙ってはいませんよ」
そう言って微笑む。
「そうでしょうか? わざわざ戦場の現実をお見せになり、敵にも家族がいるとおっしゃられました。ジーク様もそれでお考えが変わったように感じましたが?」
「違いますよ。殿下は元々心優しい方です。少しだけ視野を広げてもらっただけで、いずれご自分でも気づかれたでしょう」
「そうですね。あの方は常にお優しい方でした」
私の言葉でヒルデガルトも納得したようだ。
彼女の表情が影にしては柔らかすぎることが気になった。
(ヒルダさんは殿下に傾倒しすぎている気がするな。影はカルラさんやユーダさんのように常に冷静であるべきなのだが……有力な神候補だから仕方がないのかもしれないが……)
そう感じたものの、彼女には言わなかった。
エッフェンベルク騎士団の兵たちの興奮も収まり、ジークフリート王子が戻ってきた。
「行軍中や演習で兵たちと交わっていたつもりだったが、どこか壁のような物を感じていた。しかし、同じ戦場に立ったことで戦友として認められたらしい」
十六歳という年齢に相応しい、はにかむような表情を浮かべていた。
年明けに私の下に来てから背伸びしている感じがあったので、少し安堵している。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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