第二十話「ランダル河殲滅戦:その十二」
統一暦一二一五年五月一日。
グランツフート共和国西部ズィークホーフ城、城壁上。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
レヒト法国軍の西方教会領軍が降伏した。
当初は二万の兵力を誇ったが、降伏時にまともに立っていられた兵は半数にも満たない。
「エッフェンベルク伯爵に繋いでくれ」
通信兵の一人に命じると、すぐにラザファムが通信の魔導具に出る。
「ご苦労さま、ラズ。捕虜にした西方教会領軍だけど、エッフェンベルク騎士団と義勇兵に管理を任せたい。以上」
『了解だが、私を含め、他はどうしたらいいのだろうか? 以上』
「君にはラウシェンバッハ騎士団と突撃兵旅団を率いて、十キロメートルほど西に走ってもらいたい。共和国軍に追われた敵兵をそこで仕留めてもらうためだ。以上」
聖竜騎士団を中核とする東方教会領軍はゆっくりと後退し始めている。しかし、総司令官であるデュオニュース・フルスト白竜騎士団長が戦死したにもかかわらず、士気の低下は思っていたより少ない。
『了解だ。では、すぐに出発する。ハルトとヘルマンにはそちらから連絡してくれ。以上だ』
ラザファムは声の感じから少し疑問を持ったようだが、私を信頼しているためか、時間を無駄にすることなく、すぐに通信を切る。そして麾下の騎兵とラウシェンバッハ騎士団の第一連隊を率いて西に向かった。
私も同じように時間を無駄にせず、ハルトムートと弟のヘルマンに指示を出した後、残された形のエッフェンベルク騎士団長ディートリヒ・フォン・ラムザウアー男爵に連絡を入れる。
「エッフェンベルク騎士団には我が軍の負傷者の治療と捕虜の監視を頼みたい。但し、東方教会領軍がそちらに向かう可能性は否定できないから、長弓兵は街道側に配置し、警戒は怠らないように。以上」
『了解です、義兄上。優先順位は街道側の警戒、我が軍の負傷者の治療、捕虜の武装解除の状況の確認と指揮官の隔離、捕虜の負傷者の応急手当でいいですか? 以上』
「それで問題ない。以上」
さすがは義弟だけあって、私の意図を正確に見抜いていた。
私としてはレヒト法国軍の捕虜はできるだけ減らしたいと考えている。身代金を得られる可能性も低いし、降伏を受け入れた以上、処分することもできないからだ。
そのため、負傷している法国軍兵士を積極的に見殺しにつもりはないが、治療が間に合わずに死んでくれても構わないと思っている。人道的にどうなのだと言われそうだが、他国に喜んで侵略しに来るような兵士を同情する気はない。
但し、捕虜は一定数確保しておく。これは王国西部のヴェストエッケ守備兵団が降伏したことから、捕虜交換の駒とするためだ。といっても、法国軍全体の四分の一程度、一万五千人程度で充分だと考えているため、西方教会領軍で一万人もいれば充分すぎる。
東方教会領軍だが、黒竜騎士団が中心となり、左翼に青竜騎士団と白竜騎士団、右翼に赤竜騎士団と世俗騎士軍という配置のまま、ゆっくりと後退していた。
追撃する側のグランツフート共和国軍は、中央にゲルハルト・ケンプフェルト元帥率いる第三師団、右翼側にロイ・キーファー将軍率いる第一師団、左翼側にフランク・ホーネッカー将軍率いる第二師団が整然と並び、更に第二師団からは騎兵五千が側面から攻撃を加えている。
法国軍の全体指揮は黒竜騎士団のヘンリク・ブフナー団長が執っているようだが、名将ケンプフェルト元帥と渡り合いながら、見事な撤退戦を行っていた。
総司令官であったフルスト団長の時より東方教会領軍の動きがよく、側面に回り込まれ、一時は敗走すると思われた世俗騎士軍まで踏みとどまっている。
「フルスト団長より堅実な戦い方ですね。黒竜騎士団のブフナー団長ですが、将軍はご存じですか?」
総司令官代行のダリウス・ヒルデブラント将軍に話し掛ける。
「昨年黒竜騎士団長に就任したばかりで、確か四十五歳と団長としては比較的若かったはずです。千竜長時代には大胆な指揮をする戦術家とは思っていましたが、あれほど手堅い指揮を見せられると思っておりませんでしたな」
ヒルデブラント将軍は感心しているが、その声と表情に余裕があった。
「東方教会領の新たな英雄になりかねませんね。できればここで討ち取っておきたいものです」
私にはライバルを育てるような趣味はないので、強敵に育つ前に確実に倒しておきたい。
「そろそろですな」
ヒルデブラント将軍が満足そうに頷いていた。
■■■
統一暦一二一五年五月一日。
レヒト法国東方教会領東部、ランダル河西岸。ヘンリク・ブフナー黒竜騎士団長
既に負け戦、それも歴史的な大敗であることは確定している。
しかし、少しでも多くの騎士や兵を逃がさなければ、我が軍は立ち直れない。いや、最悪の場合、東方教会領をグランツフート共和国に奪われてしまうだろう。
「北の王国軍は無視しろ! 奴らも西方教会領軍を放置するわけにはいかんのだ!」
「世俗騎士軍には我ら聖竜騎士団の後方に回るように命じろ! 但し、ゆっくりとだ! 少しでも急かせれば、兵たちが逃げ出してしまうからな!」
「青竜騎士団と赤竜騎士団に、我が黒竜騎士団が殿となり、ケンプフェルトを抑えると伝えよ!」
矢継ぎ早に指示を出していく。
青竜騎士団長のグロピウス殿も赤竜騎士団長のドリーセン殿も私より先任であり、本来なら私が全軍の指揮を執るべきではないのだが、ケンプフェルトと対峙している関係から殿となることは自明であったため、指示を出したのだ。
「敵軍が押し出してきます!」
副官の焦った声を聞き流しながら、命令を出す。
「引き付けてから押し返せ! ケンプフェルトの旗があるところに集中的に矢を撃ち込むのだ!」
私の命令に対し、部下の反応が鈍くなりつつある。
(兵たちは後ろを気にし始めているな……ケンプフェルトは命に代えても止めて見せるが、ホーネッカーの騎兵部隊が厄介だ。それに王国軍の動向も気になる。情報が入ってこないのが痛い……)
前線の指揮に集中しているため、周囲に目を配りづらい。また、副官に周囲の確認をさせているが、こういったことに慣れていないためか、的確な答えが返ってこないのだ。
「世俗騎士軍の速度が上がりました! 敵騎兵部隊が後方に回り込んできます!」
危惧していたことが現実のものとなる。
「ケンプフェルトが出てきました!」
前線を見ると、大型の剣を無造作に振る戦士が三十人ほどの部下を引き連れて我が騎士団の戦列を斬り裂いていた。その後ろには元帥旗がなびいており、我が軍の兵たちが動揺している。
「奴を討ち取れば、逆転も可能だ! 敵の数は少ない! 押し包んでしまえ!」
命じたものの、それが可能だとは思っていない。それで討ち取れるような相手なら、何十年も前に討ち取っているからだ。
私の命令が前線に届くと、勇敢な兵たちがケンプフェルトとその直属兵に突撃していく。しかし、その果敢な攻撃は壁にぶち当たったかのように止まり、その直後に血飛沫が上がるだけで終わる。
「ゆっくり後退せよ! 青竜騎士団と赤竜騎士団が側面を、白竜騎士団が後ろを守ってくれる! 正面にだけ注意するのだ! 数では負けていない! 精鋭としての意地を見せよ!」
しかし、私の叱咤も空しく、世俗騎士軍の一部がズルズルと後退し始めた。
前方ではケンプフェルトの猛攻による兵の悲鳴が、後方では世俗騎士軍の農民兵を追い回す敵騎兵部隊の馬蹄の音が響いている。
「閣下! 白竜騎士団が撤退していきます!」
副官が非難の声を上げている。
「あれは敵の騎兵に向かっているのだ! 戦いに集中しろ!」
副官を叱責するものの、指揮官を失った白竜騎士団が敗走し始めたことは誰の目にも明らかだった。
(三十分だけ何とかできれば、半数程度は逃がせると思ったのだが、それも難しそうだな……そもそもこの作戦には無理があったのだ……)
フルスト団長がこの話を総主教猊下に持ち込んだ際、私は反対している。
『確かに補給計画は完璧ですし、ヴァルケンカンプにいる共和国軍より圧倒的な戦力で攻め込めます。ですが、西方教会領軍との共同作戦など何十年もやっておりません。一つの躓きで歯車が大きく狂うこともあり得るのです。それに世俗騎士軍の農民兵の能力を高く見積もりすぎていますし、王国軍の実力も過小評価しております。なにとぞ、ご再考を』
しかし、総主教猊下も乗り気であり、若輩者の私の意見は考慮されなかった。
もっとも反対した私もここまで危機的な状況に陥るとは思っていなかった。ヴァルケンカンプ市付近での補給の躓きや共和国の首都防衛軍による後方撹乱を警戒した程度だからだ。
(今はそんなことを考えている時じゃないな……)
現実逃避しそうになる思考を無理やり引き戻す。
(唯一の手はケンプフェルトを討ち取ることだ。ここで奴を討ち取れば、一時的に共和国軍に乱れが生じる。それしかない!)
自暴自棄と言われればそれまでだが、ここまで追い込まれたらやれることは少ないと腹を括った。
「ケンプフェルトを倒す! 私に続け!」
私は直属の兵を率い、前線に向かった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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