第十九話「ランダル河殲滅戦:その十一」
統一暦一二一五年五月一日。
レヒト法国東方教会領東部、ランダル河西岸。オトマール・カルツ黒鷲騎士団長
『敵将フルストを討ち取ったぞ!』
敵陣からそんな声が聞こえてみた。
「馬鹿な!」
周囲では疑う声が上がり、我が西方教会領軍の兵士たちが動揺している。
しかし、白竜騎士団にそれまでの勢いはなく、敵に突破を許した後、戸惑ったように止まっているから、フルスト殿が討ち取られたことは事実だろう。
「狼狽えるな! 敵の攻撃が緩んでいる! 今のうちに陣形を立て直すのだ!」
兵士たちを叱咤する。
実際、先ほどまでは半包囲に近い状況で攻撃を受けていたが、今はランダル河を挟んでの攻撃のみであり、一息付けている。
(フルスト殿が戦死したなら、東方教会領軍が崩れるのは時間の問題だ。我が軍も大きな痛手を負っているとはいえ、まだ半数以上は戦える。今のうちに撤退も視野に入れておくべきだろう……)
正直なところ、王国軍がここまで手強いとは思っていなかった。
(どうやら一番危険な敵が押し付けられたようだな。フルスト殿とマルシャルク殿に嵌められたか……)
今回の侵攻作戦を聞いた際、白狼騎士団長のニコラウス・マルシャルク殿は、敵は共和国軍三万のみであり、二倍の戦力なら勝利は間違いないと断言した。
実際、グライフトゥルム王国の王都からここまでは千三百キロメートルもの距離がある。これだけの距離を行軍するには最短でも三ヶ月は必要だ。我々が出陣したのがちょうど三ヶ月前の二月一日。
敵が知るのは最短でも一ヶ月後だから、間に合うはずがないのだが、どこかで情報が漏れていたのだろう。
フルスト殿は自分たちが最も手強いケンプフェルト率いる精鋭を引き受けると言っていたが、このような事態になることを分かっていたのではないかと勘繰りたくなる。
(今はそんなことを考えている時ではないな……正面の敵を防ぎつつ、後方に回り込んだ王国軍を突破しなければならない……)
二正面作戦になるが、幸い後方の敵は二千ほど。殿に負傷者を含む七千ほど置き、残りの六千で後方の敵を突破すれば、負傷者を連れていたとしても脱出は難しくないだろう。
「これより後方の敵を排除する! 黒鷲騎士団と世俗騎士軍は我に続け!」
こう言っておけば、逃げるようには聞こえないだろう。実際、後方の敵を放置するわけにはいかないのだから。
黒鷲騎士団四千と世俗騎士軍二千の六千が後方の敵に向かう。
「敵は少ない! 一気に踏みつぶせ!」
敵の位置は五百メートルほど。陣形を再編しているためか、うろうろと動いている兵士の姿が見える。
(早く決断して正解だったかもしれん。敵が陣形を整える前に突破すれば、東方教会領軍に向かう。それで脱出できる……)
僅かな距離であるため、すぐに敵に迫る。
先ほどはあれほど好戦的だったエッフェンベルクの部隊だが、白竜騎士団との戦闘で傷ついたのか、戦意は乏しく、我々から逃げるように北に向かい始めた。
「逃げる敵は無視しろ! 青鷲騎士団に連絡! 我らに続け!」
これで部下たちも私が撤退を狙ったと気づくはずだ。
エッフェンベルクの部隊の横を通り抜けるが、攻撃してくる気配がない。
(やはり疲労しているようだ。頑健な獣人といえども、あれだけ激しい戦いをすれば動けなくなってもおかしくはない……)
後ろを振り返ると、青鷲騎士団三千と世俗騎士軍の二千、負傷者二千が撤退を始めていた。
その後ろはよく見えないが、味方に混乱が見られないことから、全滅するようなことはなさそうだと安堵する。
敵を突破し、五百メートルほど走ったところで速度を緩める。
幸いなことに後方の敵は渡河に手間取ったようで、青鷲騎士団の損害もそれほど多くなかった。
東方教会領軍とは既に一キロメートルほど離れているが、今更支援に向かう気はないので問題はない。
「陣形を再編せよ! 青鷲騎士団には追撃してくる敵がいるかもしれんが、今は撤退を優先するように伝えよ!」
伝令を走らせたところで、副官が恐怖に怯えたような声で叫ぶ。
「ぜ、前方から敵です! 最初に奇襲を仕掛けてきた獣人部隊です!」
振り返ると、三百メートルほど先にあの暴風のような獣人部隊がいた。
『『『前進せよ!』』』
あの忌まわしい声が聞こえてきた。
「北からも敵が迫ってきます! ご命令を!」
北に目を向けると、エッフェンベルクの部隊がこちらに向っていた。
私はここに来て、敵に嵌められたと気づいた。
後方である西側をあえて手薄にして撤退を促し、東方教会領軍からある程度離れたところで三方向から攻撃する。その罠に嵌ってしまったのだ。
私はなすすべもなく、敵を見ていることしかできなかった。
■■■
統一暦一二一五年五月一日。
レヒト法国東方教会領東部、ランダル河西岸。ハルトムート・イスターツ将軍
マティアスから連絡が入った。
『西方教会領軍が撤退を開始した。突撃兵旅団は敵の正面から攻撃を仕掛けてほしい。ラズの部隊は一旦北に避難させたが、側面から攻撃する。ラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団が追撃するから三方向から叩けるぞ。以上』
頭の中で整理していく。
(敵の数は一万二千から三千。俺たちが二千弱、ラズの部隊も同じくらい。ヘルマンとディートが合わせて五千ほどを率いているから数では劣るが、敵はまともな陣形を作れていない。ここで一方的に叩けということか……)
すぐに通信の魔導具で了解を伝える。
「了解した。ここで西方教会領軍を叩き、東方教会領軍の戦意を喪失させるんだな。以上」
『その通りだけど、あまり無茶はしないでほしい。突撃兵旅団にはこの後、東方教会領軍にも対処してもらいたいからね。以上』
「了解だ。だが、うちの兵たちに中途半端なことは無理だからな。その点は了承してくれ。以上だ」
それで通信を切り、命令を出す。
「西方教会領軍が逃げ出した! 奴らをぶちのめせ! 前進せよ!」
「「「前進せよ!」」」
兵たちが武器を上げて応えた。
五百メートルほどしか離れていないため、走り出せばすぐに敵とぶつかる。
「遠慮はいらん! 手当たり次第にぶちのめせ!」
突撃兵旅団に細かい命令は出せないが、ある程度は制御できる。
前進と命じれば敵がいようがいまいが、ひたすら突破しようと前進していくが、手当たり次第にぶちのめせと命令しておけば、足を止めて殲滅しに掛かる。
思惑通り、大型の武器を持った獣人たちが、こちらに向いている騎兵部隊を叩き潰し始めた。
「絶対に逃がすな! 確実に討ち取れ!」
俺の命令に“前進せよ”と叫んで応えている。
前進は命じていないんだがと思うが、最前列で戦うアレクサンダー・ハルフォーフが敵を斬り倒しながら進んでいるため、彼に引っ張られている形だ。
「中央突破になると敵が南に逃げ出すわ。敵を逃がさないように南に向かうように指示を出すべきね」
参謀であるイリスが助言する。
今の場所は西公路から北に七、八百メートルほどのところで、街道側である南にはこちらの部隊はおらず、敵は圧力のない南に徐々に押し出されていた。
「右に向かいながら敵を倒せ! 敵を逃がすな!」
この命令で何とか突撃兵たちの針路を修正した。
「兄様の部隊も敵にぶつかったそうよ。ディートとヘルマンも攻勢を強めているわ」
俺のところから戦況は分からないが、マティアスからの情報が適宜イリスに入っているらしい。
(俺なら突撃兵旅団とラズの部隊の間を強引に突破して西に脱出するんだが、そんなことに気づく余裕もなさそうだな……)
うちの部隊が南に向きを変えたことから、北から攻撃するラザファムの部隊と隙間が大きくなりつつあったのだ。
西方教会領軍は三方向からの猛攻を受け、混乱の極みにあった。
兵士たちは逃げ惑い、中には恐怖のあまり武器を捨てて這いつくばっている者までいる。そんな敵兵を突撃兵たちは容赦なく殺していく。
「降伏を促さないのか?」
その胸糞が悪くなる光景を見て、思わずイリスに尋ねた。
「あと十分したら兄様が降伏を促すそうよ。それまではできるだけ敵を減らしてほしいって」
既に西方教会領軍は軍隊と言えないほど混乱しており、ここで降伏を促せばすぐにでも武器を捨てるはずだ。
「えげつないな。本当に徹底的に潰す気なんだな」
「もちろんよ。捕虜にしても我々にとってメリットはないんだから」
「確かにその通りだな。奴らも略奪ができるから徴兵に応じたんだ。自業自得というやつだ」
世俗騎士軍の兵士は徴兵された農民がほとんどだ。
しかし彼らは純朴な農民ではない。マティアスが調べたところでは、西方教会領の領都を出る時には圧倒的な戦力で勝利し、裕福なヴァルケンカンプ市で略奪ができると喜んでいたらしい。
十分後、西方教会領軍の降伏が伝えられた。
戦場には法国軍の兵士の死体が無数に転がり、血と内臓の匂いで咽そうになるほどだ。
「突撃兵旅団よ! 戦闘を中止せよ!」
獣人兵たちはすぐに止まらなかったが、イリスが声を張り上げて戦闘中止を伝えたことで、戦闘の喧騒は収まっていった。彼らもマティアスの妻であるイリスの命令には逆らえないのだ。
「法国軍の兵士に告ぐ武器を捨て、両手を頭の上に置き、跪け! 応じない者はすべて殺す!」
この命令に対し、西方教会領軍の兵士は次々と武器を捨て、頭の上に両手を乗せて跪いていく。
「負傷者の応急処置を行え! 但し、警戒は怠るな! まだ東方教会領軍が残っているのだからな!」
ランダル河方面に視線を向けると、東方教会領軍がゆっくりと下がり始めているのが見えた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。