第十八話「ランダル河殲滅戦:その十」
統一暦一二一五年五月一日。
グランツフート共和国西部ズィークホーフ城、城壁上。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
「エレン・ヴォルフ連隊長より連絡です! 敵将デュオニュース・フルスト白竜騎士団長を討ち取ったとのことです!」
通信兵の弾んだ声が城壁の上に響く。
レヒト法国軍との戦いに、終わりが見えてきたようだ。
「やりましたな!」
連合軍の総司令官代行、ダリウス・ヒルデブラント将軍が満面の笑みを浮かべて、私の手を取る。
「ありがとうございます。各前線指揮官にフルスト団長を討ち取ったと伝え、前線の兵たちにその旨を叫ばせましょう。これで上がっていた敵の士気も下がるはずです」
「承知した。通信兵! 敵将フルストをラウシェンバッハ騎士団が討ち取った! その旨を全軍に通達せよ。また、敵にそのことを知らしめよ!……」
ヒルデブラント将軍が指示を出している間にジークフリート王子が質問してきた。
「先ほどの指示について聞きたいのだが、ラザファム卿にはフルストを討ち取れるなら討ち取り、難しいならいなせと卿は言っていた。一方でヴォルフ連隊長には無理をせずに西に向かえと命じている。その結果、フルストを討ち取ったようだが、卿にはフルストが脱出することが最初から分かっていたのだろうか?」
王子の言う通り、私が出した指示でフルストを討ち取ることができたように見える。
「“千里眼”などと言われていますが、私には未来のことなど見えませんよ」
苦笑気味に答えると、更に聞いてきた。
「では、あの命令の意図は何だったのだろうか?」
「それは私も知りたいですな」
ヒルデブラント将軍まで興味深そうに聞いてくる。
「大した理由ではないのですよ」
そう言って笑ってから説明する。
「ラザファムに助言した後、エッフェンベルク伯爵領の獣人族が憎い聖堂騎士団の大物を見逃がすだろうかと思ったのです。もしそうなら、ラザファムの命令を無視してでも敵に突っ込んでいくことは容易に想像できます」
ラウシェンバッハ子爵領の獣人族戦士は自警団の兵士であっても、命令には絶対に従うように闇の監視者の影によって厳しく教育されている。
しかし、エッフェンベルク伯爵領には影が派遣されておらず、そこまで教育は徹底されていない。
また、ラザファムはエッフェンベルク伯爵領に獣人族が入植した頃、王国騎士団の役職にあり、その後も北の辺境ネーベルタール城にいたため、獣人たちとあまり交流していない。
だから、彼らを完全に心服させているとは言えず、自分たちを虐げていた象徴、聖堂騎士団の団長を見れば、暴走するのではないかと考えたのだ。
「ラザファムにそのことを伝えなかったのは、攻撃の直前過ぎて余計な混乱を招くと考えたからです。そのため、後方にいて時間的に余裕があるエレンに指示を出しました」
もう少し早く気づいていれば、ラザファムに助言できたのだが、既に攻撃態勢に入っていたため断念したのだ。
「ラザファムの性格なら敵の間、すなわち東側をすり抜けるように通り、その後白竜騎士団の歩兵部隊の前を通り抜けて、西側のどこかで陣形を整えるはずです。第一連隊が同じように敵の間をすり抜けるには獣人族部隊がラザファムの命令通りにスムーズに動く必要がありますが、そうでないなら、最初から西に向かった方が混乱しないと考えたのです」
ラザファムが接触した時、騎兵部隊と歩兵部隊の間は二百から三百メートルほど開いていた。彼の命令通りに獣人たちが動けば問題なかっただろうが、そうでない場合、第一連隊が敵中に孤立することもあり得た。
「さすがはマティアス卿だな。ラザファム卿の考えを読み切り、更に味方の兵士の状況や敵との距離を勘案して、あの短時間で指示を出したのか……」
ジークフリート王子が感心しているが、そこまで深く考えたわけではないのでくすぐったい。
「それにエッフェンベルク伯爵の部隊が敵の西側、すなわち後方側に展開すれば、前線で戦う部隊に焦りが生じます。エッフェンベルク伯爵もそうですが、マティアス殿もそこまで考えて指示を出している。さすがは王国軍の俊英たちですな」
ヒルデブラント将軍も過大評価している。
「いずれにしても、敵は総司令官を失いました。まだ敵は崩れていませんが、きっかけがあれば潰走するはずです。そのために仕込みをしておきましょう」
それだけ言うと、通信兵を呼び、弟であるヘルマン・フォン・クローゼル男爵に繋いでもらう。
『ヘルマンです。何かありましたか? 以上』
すぐにヘルマンが通信に出る。
「第四連隊の状況を聞きたい。渡河は完了しているのだろうか? 以上」
ラウシェンバッハ騎士団の第四連隊は敵の別動隊が後方に回り込んでくることを阻止するため、ランダル河の北に配置されている。
『既に渡河を完了し、西方教会領軍の側方を攻撃できる位置にいます。以上』
「了解。西方教会領軍は無視していいから、敵の物資集積所に向かわせてくれ。目的は物資の奪取と潰走してきた敵を更に追い詰めること。詳細は集積所到着後にこちらから伝える。それと西側に展開していた第一大隊にもこちらから合流するよう連絡を入れておく。以上だ」
法国軍はここから二十キロメートル西に物資集積所を作っている。
六万五千人分の補給物資を前線に送り込むためには、多くの輜重隊が必要となる。そのため、敵は前線に近い場所に後方基地を作り、そこからピストン輸送するつもりだったのだ。
第四連隊の第一大隊だが、突撃兵旅団を支援するため、敵の斥候隊の排除を行っており、ランダル河の西側に分散していた。
『了解しました。直ちに向かわせます。以上』
本来ならグライフトゥルム王国軍の主将であるラザファムが命令を出すべきだが、ラザファムが前線に出ている以上、副将である私が命令を出しても指揮命令系統的には問題はない。
「それから敵の総司令官を討ち取ったことに対し、私が満足していることを皆に伝えてくれ。ヘルマン、お前もよくやっている。以上だ」
ヘルマンは嬉しそうに「ありがとうございます」と礼を言い、通信を切った。
第四連隊の第一大隊にも指示を出し終えると、ジークフリート王子が聞いてきた。
「ずいぶん部隊を分散させているのだが、問題はないのだろうか?」
戦力の集中が戦略の基本と教えたことを思い出したようだ。
「今回に限れば問題はありません。その理由ですが、部隊を分散させることのリスクはいたずらに遊兵を作り、各個撃破されて戦力を消耗することです。しかし、敵は総司令官を失い、戦力を適切に配分しての各個撃破を行うことができません。それに分散させたのは機動力のある部隊です。通信の魔導具によって敵の動きを伝えられますから、各個撃破を受ける恐れはありません」
「なるほど。基本は重要だが、それに拘るだけではいけないということだな」
王子がそう言って頷いていると、ヒルデブラント将軍も感心していた。
「さすがですな。敵の状況を正確に把握し、次の手を打っておく。勉強になります」
その言葉に面映ゆい気持ちになる。
すぐにでも潰走すると思われた法国軍だが、意外にしぶとかった。
団長を失った白竜騎士団は混乱したまま動きを止めているが、黒竜、青竜、赤竜の三騎士団はケンプフェルト元帥らの猛攻に耐えている。
「意外に粘りますな」
ヒルデブラント将軍が呟いている。
私も同じ感想を持っていた。
(聖竜騎士団が精鋭だったということだろう。それが心の支えになって、世俗騎士軍も西方教会領軍も耐えているという感じだ。共和国軍の負傷者が増えていることが気になるな……)
共和国軍の将兵も焦れ始めたのか、強引な攻撃が増え、その分負傷者が多くなっている。
ケンプフェルト元帥ら共和国軍の指揮官が優秀であるため、戦死者の数はそれほど多くないが、負傷者を後送するため、徐々にだが、戦線の厚みが減っていることが気になっていた。
そんなことを考えていると、北で動きがあった。
「西方教会領軍が後退を開始しました! クローゼル男爵とラムザウアー男爵が指示を求めておられます!」
通信兵の言葉を受け、すぐに指示を出す。
「了解。両騎士団長には無理な攻撃は行わず、じっくり攻めるように伝えてくれ」
更にラザファム隊、突撃兵旅団、第四連隊の位置を確認し、それらにも指示を出していく。
ラザファム隊はランダル河の西五百メートルほどの場所で再編作業を行っていた。予想通り、エッフェンベルク伯爵領の獣人族部隊の損害が大きく、約千五百人のうち、三百人近くが戦死し、五百人ほどが負傷している。
また、エッフェンベルク騎士団の騎兵とラウシェンバッハ騎士団の第一連隊にも負傷者が出ており、戦力は七割程度にまで低下していた。
彼らには牽制と追撃のみを指示し、無理はさせない。
突撃兵旅団も戦死者が二百、負傷者が三百ほど出ているが、早くに戦場から離脱していることから、負傷者の多くが応急手当てと治癒魔導師による治療により復帰している。
こちらは主戦場の西、一・五キロメートルの場所に待機しており、命令を受け次第、敵を蹴散らすよう命じている。突撃兵旅団にも無理はさせたくなかったが、彼らにはその選択肢がないため仕方がない。
第四連隊は現在移動中で、あと一時間ほどで物資集積所に到着する予定だ。
「我が軍は敵の撤退を妨害しますので、追撃の主体は共和国軍にお願いします。可能な限り、敵を討ち取り、後顧の憂いを無くしましょう」
「承った」
ヒルデブラント将軍が力強く頷いた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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