第五十五話「軍師、大いに悔む」
統一暦一二一七年六月十七日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府軍兵舎内。国王ジークフリート
マティアス卿たちと今後のことについて話し合っていた。
その中で神狼様が私を覚醒させるために魔神を逃がしたという話を聞いた。そのことに私は強い怒りを覚えた。
マティアス卿はそれを防ぐことができたはずだと悔んでいる。
私には彼に責任があるとはとても思えなかった。
そのことを言うと、マティアス卿は悲しげな表情で話し始める。
「私には責任があるのです」
イリス卿たちは何を言いたいのか分かったようだが、私には全く思いつかない。
「ほとんどの獣人族の兵士は、私が勧誘して王国に移住してきた者たちです。その勧誘の際、私は彼らに安全を約束したのです。法国で虐げられ、奴隷兵として使い潰されていた彼らを戦争には利用しない、そう考え、彼らにそのことを伝えました。それなのに先の法国や帝国との戦いでも彼らに従軍を強要し、多くの犠牲者を出しています。そして今回は私が適切に対処していれば起きなかった事態です。悔やんでも悔やみきれません」
マティアス卿は沈痛な表情で下を向く。
彼は獣人族を戦場に送ることに消極的だ。もちろん、それしか方法がなければ、決断するが、それでも常に戦死者が極力出ないように作戦を考え、実行してきた。
味方の兵士の損失を極力減らすことは当たり前のことなのだが、事前の情報収集や物資の輸送などの準備を彼ほど綿密に行う軍略家はこれまでいなかった。
「彼らは自分の意思であなたを助けたいと思って戦場に向かったのよ。その意志は尊重すべきだと思うわ」
イリス卿は彼の手を握り、そして、優しい表情で語り掛けた。
「それは分かっている。それに彼らでなければ、間に合わなかったし、陛下が覚醒されることもなく、数十万という規模の死者が出たと思う。でも、防ぐことができたかもしれないと思うと、やりきれないんだ」
マティアス卿は肩を震わせている。
「君ならできたかもしれない。冷たい言い方かもしれないが、君が嘆いても兵たちは戻って来ない。今は前を向いて進むべきだ」
ラザファム卿が感情を排した声で話す。
「俺もそう思う。前線で戦ったが、あいつらはあの魔神を相手に、自分から向かっていった。お前の恩に報いるためだと考えたからこそ、あんな化け物に戦いを挑めたんだぞ。その思いは汲んでやってくれ」
ハルトムート卿もそう言って慰める。
「そうだね……明日の朝にはいつも通りに戻っておくよ。ただ、今はまだ無理かな」
冷徹と言われるマティアス卿がとても弱々しく見えた。
(私は駄目だな。最も信頼する彼のことを見ていなかった。主君として失格だ……)
彼に助けてもらったが、どのような思いを抱いているか想像もしなかった。
「イリス卿、マティアス卿を休ませてやってくれないか」
イリス卿が「はい」と答えたが、マティアス卿は首を横に振る。
「まだ休めません。兵たちに声を掛けないと……」
「これは王命だ。今から休んで、明日の朝に備えてくれ。帝国軍のこともある。それに皇帝が生きているなら、交渉もしなくてはならない。卿の頭脳がいつも通り冴えていないと困るのだ」
彼が何か言う前にイリス卿が頷く。
「陛下のご命令よ。ゆっくり休んでから今後のことを考えましょう」
その言葉にマティアス卿は渋々頷いた。
「ハルトムート卿も大怪我を負っていたはずだ。卿もゆっくり休んでくれ。ラザファム卿、卿に負担が掛かるが、後始末の指揮を頼む」
「承りました」
ラザファム卿が頷くと、彼らは会議室から退出していった。
残ったのは私と大賢者殿、シドニウス殿だけだ。
「大賢者殿にお願いがあります」
「何かの」
「四聖獣様のどなたかにこちらに来ていただくよう、お願いしてもらいたいのです。兵たちの奮闘が無駄でなかったと四聖獣様より伝えていただきたい。そうでなければ、私自身、自分という存在を許せなくなります」
大賢者殿は沈痛そうな表情を浮かべている。
彼女にも私の思いが通じたのだろう。
「そなたの覚醒のために多くの戦死者を出したからか……そうじゃの。一体なら離れても問題なかろう……」
四聖獣様は神霊の末裔の塔があった場所で魔素溜まりの沈静化を行っている。魔神たちを倒せたため、ゆっくり対処しても問題なく、どなたかがこちらに来ていただけるらしい。
「それから今回の奇跡は大賢者殿が起こしたことにしていただきたい。この辺りの話はマティアス卿が元気になってからでもよいと思いますが」
「致し方ないの。ところで力の封印はどうするのじゃ? そのようなことは儂にもできぬが」
「それもマティアス卿と相談します。彼の言うことに従って、あれだけの奇跡を起こせたのですから、封印でもいい考えを示してくれるでしょう」
「そうじゃの。あの者の発想力は子供の頃から秀でておった。落ち着いたら魔素溜まりを封じた方法をマティアスにも聞くつもりでおる。あれもあの者の考えに従ったものであろう?」
大賢者殿はそう言って笑うが、表情はまだ寂しげだ。マティアス卿が落ち込んでいたことを気にしているようだ。
「はい。私ではどうしていいのか、きっかけすら掴めませんでした。ところでマティアス卿の幼少期の話には興味があります」
私が笑みを浮かべてそう言うと、彼女とシドニウス殿が目を見開く。私が隔意を持ち、このような話をしてくると思っていなかったからだろう。
「いろいろとネタはある。儂やシドニウスを何度も慌てさせてくれたからの」
「そうですね。彼が塔に来てから、いろいろ驚かされました」
シドニウス殿も微笑んでいる。
「その話はいつか聞かせてください。マティアス卿は子供の頃の話をしてくれませんから」
大賢者殿の表情が緩んだ。
「そうじゃの。落ち着いたら話をしよう。魔導具の開発の話はなかなか興味深いと思うぞ」
「では、王都に戻った後にでも。私は兵たちのところにいきます」
そう言って会議室を出ていった。
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統一暦一二一七年六月十七日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府軍兵舎内。大賢者マグダ
ジークフリート王が部屋を出ていった。
残っておるのは儂とシドニウスだけじゃ。
「結果としては限りなく最善に近い結果になったの」
「そうですね。ジークフリート様が管理者になってくだされば、もっと良かったのですが」
「そうでもないと儂は思うておる」
「どういうことでしょうか?」
シドニウスが首を傾げている。
「今のままのジークフリートが管理者となっても千五百年前の悲劇を繰り返すだけじゃ。特にマティアスがおらぬようになれば、早々に命を絶つのではないかと思うておる」
先代の管理者は自ら命を絶った。
責任の重さと孤独感に苛まれたのではないかと儂は考えておる。
「ですが、ジークフリート様はまだ十八歳の若者です。管理者となっても、マティアス君に学んでいけば、そこまで悲観することはないのではありませんか?」
「マティアスは無理じゃと考えておるようじゃ。それに神狼のこともある。今ジークフリートが管理者となっても代行者との間で軋轢が起きることは明らかじゃ。仮に神狼が謝罪しても変わらぬであろうな」
今回の神狼の行動は目に余るものがあった。
確かにこのまま時を掛けても、ジークフリートが覚醒する可能性はあまり高くなかった。
そのことを思えば、強引にでも覚醒させるべきだと考えたくなることは分からぬでもない。しかし、人々を犠牲にして覚醒させられたとジークフリートが知れば、儂や代行者たちに不信感を持つことは容易に想像できる。
そんな関係が長続きするはずがない。だから、マティアスはジークフリートが受諾したら何としてでも隠し通せと言ったのじゃ。
「しかし、ジークフリート様の性格なら時間が解決してくれるのではありませんか?」
「無理じゃろうな」
「なぜでしょうか?」
「ジークフリートはマティアスから学ぶのじゃ。あの者は常に目的を見据え、何が最善の方法かを考え、それを実現するために先を見通した行動を採っておる」
「そうですね。マティアス君は恐ろしいまでに先を見ていると、いつも驚きます」
「神狼はその目的を見失った。我らの目的は管理者を復活させることではなく、世界を守ることじゃ。それが管理者を復活させるために世界を危機に陥れたのじゃ。そのような本末転倒な行動をマティアスは決して認めぬ。そして、その弟子であるジークフリートも認めぬじゃろう」
「だから神狼様が変わられる必要があると……」
「そうじゃ。それにあの者は冷徹に見えても、自身に関わった者をとても大切にする。マティアスの眼には今のままの神狼、否、儂や代行者ではジークフリートが不幸になる未来しか見えておらぬはずじゃ。先ほどもジークフリートが管理者になることを受けたら隠し通せと言っておったが、恐らく受けるという決断をしたら反対したじゃろう。もう少し時間を掛けて考えるべきだと言っての」
「マグダ様や四聖獣様が信用できないからでしょうか?」
「信用できぬというより、危ぶんでおるのよ。最後の管理者が身罷られてから千五百年。その長きにわたり儂らは手を拱いていた。何十人という候補者がいたにもかかわらずじゃ。そして、儂らに焦りがあることも気づいておる。じゃから、大陸会議を作り、人族の考えを聞きつつ、我らにも一緒に考えることを求めたのじゃ。今思えば、大陸会議で代行者らに喧嘩を売り、世界を守るために代行者を含むすべての者が考えるべきだと主張したのは、このような事態を危惧したからじゃろうの」
「なるほど。何となく分かってきました。それでマグダ様はどうされるおつもりですか?」
「此度のことは包み隠さず代行者たちに話す。その上で彼らが変わるのを見守るしかあるまい。幸い、大陸会議でマティアスの意見を聞くことができる。代行者らが不甲斐なければ、あの者がそのことを指摘してくれるじゃろう」
儂はそれだけ言うと、ツィーゲホルン山脈に向かうことにした。
「それでは代行者の誰かを連れてくるかの。遅くとも明日には戻る故、そのように伝えておいてくれ」
それだけ言うと、儂は会議室を後にした。
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