第二十五話「南部総督、恐慌に陥る」
統一暦一二一七年六月十二日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府内。アンドレ・サイツ総督
エーデルシュタインは強力な魔獣である一つ目巨人、合成獣、上級悪魔らの攻撃を受けた。
総督府軍の一個大隊、約五百名の兵士が城壁を守っていたが、全く歯が立たず、僅か十分で壊滅的な損害を受けてしまった。
総督府軍を指揮する護民官は増援を送り込もうとしたようだが、町の中に侵入してきた悪魔に上空から魔導による攻撃を受け、増援を送ることができなくなったと報告を受ける。
(総督府軍を配置しても無駄だ。ここで死ぬことになるのか……)
城門が破られれば大型魔獣が雪崩れ込んでくることになる。一つ目巨人が入り込めば、建物ごと潰されてしまうだろうし、合成獣なら吐き出す炎や鋭い爪や牙で、兵も民も皆殺しにされるだろう。
(町の外に逃げても同じだ。生き残る手が何も思いつかない……)
手の打ちようがなく、私自身の命すら危うい状況に陥り、何も考えられなくなった。
突然外が静かになった。
それまでは魔導による爆発音や巨人が城門を殴る低く重い音が響いていたが、それが唐突に止んだのだ。
(何が起きたんだ? 魔獣たちがどこかに行ったのか?)
その後、グライフトゥルム王国軍の獣人兵が魔獣を撃退したという報告が入ってきた。
(大賢者様がおっしゃっていたラウシェンバッハの兵か……助かった……)
一週間ほど前、大賢者様はここを訪れ、陛下の勅書を私に渡すと共に、ラウシェンバッハに救援を頼んだことを伝えてきた。その時は王国からここまでの距離を考え、間に合うはずがないと思ったが、杞憂だったらしい。
助かったことで安堵の息を吐き出すが、そこである考えが浮かんだ。
(魔獣を倒したのがラウシェンバッハの手の者だと知られれば、住民たちが更に反抗的になる。戦闘自体は短時間だった。住民たちも我々が撃退したとしか思わないはずだ。ここは我が総督府軍が撃退したことにしておかねばならん……)
ここエーデルシュタインの住民は元リヒトロット皇国の民だ。そのため、反抗的な者が多かったが、昨年九月にラウシェンバッハが攻め込んできたことから、より反抗的になっている。
「王国軍は入れるな。我が国の兵が守ったと民に思わせねばならん」
私は王国軍を町の中に入れないように軍に命令を出した。
命令を出した直後、ラウシェンバッハが負傷者の手当てをしたいため、町に入れてほしいと言ってきたという報告が入る。
「奴らを入れれば、町を乗っ取られる可能性がある。絶対に入れるな」
私の命令に護民官エリク・プレヴィンが反対する。
「彼らを拒否すれば、ここから立ち去るでしょう。その後に魔獣がやってきたらどうするおつもりか。それに皇帝陛下のご命令に逆らうことになりますぞ」
プレヴィンの言う通り、勅書には王国軍に協力するようにとのご命令が書かれている。
「もう一度襲ってくる……そうかもしれんが、奴はあの旧皇国軍の残党どもの黒幕なのだ。ペテルセン元帥でも対応できないほどの軍略家を町に入れるわけにはいかぬ」
プレヴィンは私の言葉を受けて興奮気味に怒鳴る。
「何をおっしゃっているんですか! 町自体がなくなるかもしれんのですぞ! それでなくとも閣下は住民たちの避難を妨げておるのです! ここが全滅してもよいのですか!」
大賢者様から住民は可能な限り早急に避難させるようにと言われたが、陛下のご指示もなく、魔獣の姿も見えない中、全住民を避難させるなどできない。そのため、周辺の農村を含め、避難指示は一切出していなかった。
私のこの方針に護民官を含め、総督府軍の幹部たちは反発した。
第三軍団が到着するのは早くても一週間後だ。それまでは自分たちでこの町を守らなければならないが、彼らが反発した理由は住民たちの安全を考えてのことではない。
彼らは住民が北に逃げれば、魔獣たちは避難民を追いかけるから、この町が安全になることを期待しているのだ。
「ラウシェンバッハが天才的な軍略家であり、獣人兵が超人的な戦士であっても所詮人に過ぎぬのだ。災厄級や天災級を相手に勝てるはずがない。大賢者様に期待するしかなかろう」
口ではそう言ったが、実際には大賢者様にも期待していない。
彼女自身、広大な範囲を探しながら討伐するので、ここの防衛体制を少しでも強化しておくようにとおっしゃっていたからだ。
私が期待しているのは魔獣たちが別のところに行くことだ。
ここに来るならラウシェンバッハがいようがいまいが、全滅は必死だ。それならば、運よく来なかった時のことを考えておいた方がいいと判断したのだ。
そんな話をしていると、門の守備隊の伝令がやってきた。
「王国軍のラウシェンバッハ大将が総督閣下と話をしたいと言っております。いかがいたしますか?」
奴は皇帝陛下が最も警戒され、あの四聖獣様ですら手玉に取るほどの交渉の達人だ。
私では間違いなく丸め込まれる。これに関しては絶対の自信があった。
「駄目だ」
そこでプレヴィンが割り込んできた。
「いい加減にしてください! 彼らが立ち去ればお終いなのです! 彼らと協力しなければ守り切れません! それとも閣下には彼らなしでもここを守る妙案があるというのですか!」
彼だけでなく、部下の執政官たちも呆れたような表情で私を見ている。
しかし、何も言ってこない。下手に進言して責任を取らされることを恐れているためだ。
私が黙っていると、業を煮やしたのか、机をバンと叩く。
「護民官の権限で王国軍を町の中に入れます! よいですな!」
プレヴィンは精鋭である第一軍団で騎士長を務めていたこともあり、独断専行のきらいがある。上司の命令や定められたルールを順守することが重要だと思っている私とは全く合わない。
「何かあれば、君の責任になるぞ」
「構いません!」
吐き捨てるようにそう言うと、扉を乱暴に開けて出ていった。
「ラウシェンバッハ大将にはどう答えたらよいでしょうか?」
まだ残っていた伝令がおずおずと聞いてきた。
「プレヴィン護民官が対応する」
私がそう言うと、伝令は何も言わずに立ち去った。
残っていた執政官たちは私を一瞥してから消えていく。恐らくだが、自分たちを守ってもらうため、ラウシェンバッハに擦り寄るつもりなのだろう。
(どうしてこんな時期に総督になってしまったんだろう。私は生粋の文官だ。国が危ぶまれるような魔獣と戦うなんてあり得ない……どうして……)
私はこんな時期に総督になった運命を呪っていた。
そもそも私は法務関係一筋にやってきた法務官僚に過ぎない。
確かにエーデルシュタインを含む南部域はリヒトロット市がある中部域と並び、旧皇国軍の活動が活発で、取り締まりに実績がある私は適任だと思った。
しかし、ここに来てはっきりと分かった。
敵はただの不満分子ではなく、世界一の謀略家ラウシェンバッハだったのだ。
政戦両略の天才である皇帝陛下や戦略家と名高いペテルセン元帥ですら持て余す相手に、私ができることはない。
そんなことが分かった頃にこんな大事件が起きたのだ。
(なんてついていないんだ、私は……軍団がいなくなった後に、魔獣だけでなく、ラウシェンバッハまでここに来るなんて……)
これまでエーデルシュタインには正規軍団が常駐していたが、グラオザント会戦が終わってすべての軍団が帝都に戻ってしまった。
もし、一個軍団でも残っていたら、軍団長が指揮を執ってくれたはずで、私が責任を取るような事態にはならなかっただろう。
(今度魔獣が来たらこの町は全滅する。来なくても私は破滅だ……ラウシェンバッハを恐れて陛下の命令を無視したのだから……もう終わりだ……)
私は自分自身でも支離滅裂な考えになっていると分かるほど、恐慌に陥っていた。
それでも私にできることはなく、執務室で頭を抱えていることしかできなかった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。




