第十二話「ランダル河殲滅戦:その四」
統一暦一二一五年五月一日。
レヒト法国東方教会領東部、ランダル河北西。アレクサンダー・ハルフォーフ
俺は今、ラウシェンバッハ領軍の突撃兵旅団と共にズィークホーフ城の北西十キロメートルほどの丘の麓にいる。
ジークフリート殿下の護衛である俺がここにいるのは、昨夜マティアス卿から依頼されたからだ。
『アレクサンダー殿にお願いしたのですが、突撃兵旅団に加わっていただけませんか』
俺は即座に断った。
『俺はジーク様の護衛です。ジーク様から離れるわけにはいきません』
『殿下からもお願いしていただけませんか。アレクサンダー殿はこの城にいるより、別動隊と共に奇襲に加わってもらう方がよいのですから』
ジーク様も疑問に思ったのかすぐに首肯しなかった。
『確かにアレクは一騎当千の勇者だが、彼一人で戦局が動くとは思えない。理由は何なのだろうか?』
これは俺が感じた疑問で、ジーク様の言葉に思わず頷いていた。
突撃兵旅団の戦力は充分と聞いており、わざわざ護衛である俺を送り込む必要性が分からなかったのだ。
マティアス卿はジーク様が確認したことで、満足そうに頷いた。弟子であるジーク様が無条件に要請に従わなかったことが嬉しいらしい。
彼は笑みを浮かべながら理由を説明した。
『アレクサンダー殿は近い将来、殿下の護衛隊の指揮官となります。だから指揮官としてハルトムートの下で学んでほしいのです。それに護衛兵は我がラウシェンバッハ領の獣人族になる可能性が高いですから、彼らの実力を間近で見ておくことも理由の一つですね』
『護衛隊? 私には陰供がいるし、アレクだけでも充分だと思うのだが?』
『平時であれば陰供とアレクサンダー殿で安全は確保できるでしょう。しかし、戦場では何が起きるか分かりませんから、殿下を守る直属の兵が必要です。それもどのような状況にも対応できる精鋭を百名ほど。その部隊を指揮するのはアレクサンダー殿です。個人の武勇に疑問の余地はありませんが、指揮官として獣人兵を率いるには彼らにリーダーとして認められる必要があります』
『つまり、アレクが百人の獣人族を率いることになるから、その力を示せと卿は言いたいのだろうか?』
『その通りです。それにこれはアレクサンダー殿にとっても得難い経験になるでしょう。独立部隊を率いるハルトの指揮を間近で見る機会は滅多にありませんから』
マティアス卿の言わんとすることは理解する。ハルト殿は個人の武勇もさることながら、指揮官としてもあのケンプフェルト閣下が一目置く人物だからだ。
しかし、俺が指揮官になるという言葉には頷けなかった。
『確かに殿下が王都に戻られれば、専属の護衛隊が付くことは間違いない。しかし、その指揮官に俺がなるというのは少し違うのではないだろうか』
王家を守る近衛騎士は騎士爵以上で構成されるが、指揮官は爵位持ち、それも子爵以上が慣例だ。そのため、平民上がりの騎士である俺が指揮官になるというのは、これまでのそれを無視した話になる。
『これから先、グライフトゥルム王家はこれまでの慣例や慣習が通用しなくなるほど厳しい状況に追い込まれます。殿下を確実にお守りするには信頼できるだけでなく、守り切るだけの能力が必要なのです。アレクサンダー殿の武勇であれば、暗殺者の五人や十人は問題ないでしょう。ですが、黒獣猟兵団並みの精鋭が百人ほどで襲い掛かってきたら、貴殿でも守り切れません』
その言葉に僅かに動揺する。千里眼と呼ばれる天才が断言したことに驚いたのだ。
『マティアス卿はそのような状況になるとお考えなのか』
『分かりません。ですが、それに近い状況になることは間違いないでしょう。実際、大賢者様はジークフリート殿下の護衛を増やしておられます』
確かにジーク様の護衛である陰供は大幅に増員されていた。
『そうであったとしても、俺が指揮官になるのは無理ではないだろうか。俺は剣と槍を振るうだけしか能がない』
そこでマティアス卿はニコリと微笑んだ。
『私はアレクサンダー殿に指揮官としての才があると思っていますよ。ラザファムやハルトムートのような大軍を指揮する能力については分かりませんが、前線で戦いつつ、的確に命令を出す能力は充分にあると思っています』
そこでジーク様が嬉しそうな声を上げた。
『マティアス卿に評価されたんだ。凄いじゃないか!』
『しかし……』
俺が更に否定しようとしたが、マティアス卿が遮った。
『今回の戦いで確認すればよいだけではありませんか? 仮に私の見立てが間違っていても、殿下の安全は確保されています。百名の黒獣猟兵団員と十名以上の影がいるのですから。それに私が殿下に危険が及ばないように確実に手を打ちます』
千里眼のマティアス殿が手を打つのなら、ジーク様に危険は及ばないだろう。
『アレク、マティアス卿が無駄な提案をするとは思えない。ここは従ってくれないか』
ジーク様にそう言われて、突撃兵旅団に同行することにしたのだ。
そんなことを考えていたら、ハルト殿が兵たちの前で話し始めていた。
「エッフェンベルク伯爵から連絡が入った! ラウシェンバッハ騎士団が西方教会領軍に奇襲を行い、大きな損害を与えたそうだ! これで共和国軍も盛り返したと聞く! これより我らは敵の後方から奇襲を仕掛ける!」
そこで一度言葉を切り、更に大きな声で叫ぶ。
「我ら突撃兵のモットーはなんだ!」
それに兵たちが応えた。
「「「前進せよ! 前進せよ! 前進せよ!」」」
突撃兵旅団のモットーは“前進”だ。
突撃兵旅団に細かな戦術はない。愚直なまでに前進し、敵を粉砕する。マティアス卿はそれを徹底するように命じていると聞いていた。
「そうだ! 敵は六万以上だが、俺たちの前進を止めることはできん! 前進して敵を粉砕せよ!」
「「「前進せよ! 前進せよ! 前進せよ!」」」
ハルト殿の言葉に兵は熱狂的に応えた。
「前進せよ!」
ハルト殿はそう命じると、先頭に立って走り始める。
突撃兵旅団の獣人族戦士たちはその後に続いて走り出した。
「凄いわね、ハルトは」
俺の横にいたイリス・フォン・ラウシェンバッハ殿が走りながら話しかけてきた。
「確かにこれほど兵を熱狂させられるのは、彼の他にはケンプフェルト閣下くらいのものだろう」
イリス殿ともここまでの行軍で親しくなっている。彼女の方が身分は上、俺の方が一歳年上で、最初のうちは互いに敬語で話していたが、今では同僚のような口調だ。
それから三十分ほど走る。
先頭に立つハルト殿が腕を上げて停止を命じ、兵たちも止まる。
「あと一キロほどだ! これより敵を粉砕する! ホルガー! ロゲール!」
熊人族と猛牛族の若い戦士が一歩前に出る。
二人とも身長二メートルの俺より頭半分ほど大きく、巨大な盾を持っていた。その後ろには同じような巨体の戦士が立っている。
「お前たちは最前列で盾を構えて前進せよ! 立ちふさがる奴はぶちかませ! バルタザル! テオ!」
獅子人族と虎人族の若者が好戦的な笑みを浮かべて前に出た。この二人も俺より長身で、クレイブと大型の両刃斧を持つ。彼らの後ろの同族たちも大型の両手剣や長柄武器などを持っていた。
「お前たちはホルガーたちの開けた穴を広げろ! 他の者たちは目の前にいる敵を倒せ! ヘルメットに飾りの羽根を付けた奴がいたら、そいつが隊長だ。目の前にいたら確実にぶっ殺せ!」
指揮官を狙うのはマティアス卿の指示だ。
通常なら後方にいる指揮官も乱戦になれば自ら剣を取らざるを得ないからだ。
「これより突撃する! 前進せよ!」
彼らの後ろにいた他の獣人族戦士もそれに応えて咆哮を上げる。
「「「前進せよ!」」」
まだ一キロメートルもの距離があるが、奇襲は考えていないかのようだ。
「もう少し近づいた方がいいのではないか?」
参謀であるイリス殿に聞いてみた。
「この距離ならさすがに聞こえないわ。それに敵は戦場である正面に集中しているから静かに近づいても喚声を上げながら走っても、気づくのは五百メートルほどに近づいてからよ。五百メートルまで近づいてから命令を出すために止まるより、勢いを付けて突撃した方がいいわ。彼らならこの程度でへばることはないし、初陣の者も多いから高揚した気持ちのまま戦場に入った方がいいのよ」
「なるほど」
そこまで考えているのかと驚きながら感心する。
「それより私たちもハルトに遅れないようにしないと。このままだと最前線に立ちかねないわ」
確かにハルト殿は紅潮した顔で走っており、そのまま先頭に出かねない勢いだ。
「それでもよいと思っているのではないのか、イリス殿は」
俺が笑いながらそう言うと、イリス殿はクスッという感じで笑い返してきた。
「せっかくだから戦いたいじゃない。でも、私が率先して前に行くと、あとでマティに叱られるの。でも、ハルトに付いていくなら仕方がないって言い訳ができるわ」
イリス殿は見た目や能力に反して、好戦的なのだ。
「では、追いつかねばならないな。俺も最前列で暴れたいから」
久しぶりの戦場に、俺も高揚していた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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