第十話「ランダル河殲滅戦:その二」
統一暦一二一五年五月一日。
グランツフート共和国西部ズィークホーフ城、城壁。第三王子ジークフリート
戦いが始まった。
数千本の矢が何度も放たれ、私が立つズィークホーフ城の城壁にまで矢羽根の音が聞こえてくる。
「正確な射撃ですね。それに威力もなかなかのものです」
隣に立つマティアス卿がグランツフート共和国軍の総司令官代行ダリウス・ヒルデブラント将軍に話し掛けた。その表情は戦場とは思えないほど穏やかだ。
「聖竜騎士団は身体強化が使えますから。そろそろ世俗騎士軍も矢を放ち始めるはずです」
法国軍と長年戦ってきたヒルデブラント将軍も余裕の笑みを浮かべて答えている。
レヒト法国のトゥテラリィ教団に属する聖堂騎士団の兵士は、魔導器を使った身体強化が使えるため、平均的な兵士でも二倍程度の強化が使えるため、強い弓を引くことができる。
ヒルデブラント将軍の言葉通り、二百メートルほどに近づいたところで、左翼側の世俗騎士軍が矢を放ち始めた。
「やはり聖竜騎士団に比べると練度は低いですね。あれでは矢の無駄遣いですよ」
マティアス卿の言う通り、世俗騎士軍の矢は共和国軍の手前に落ちるものや、届いてはいるものの勢いを失っているものが多かった。
「そろそろ、北側でも動きがありそうです」
マティアス卿が笑みを浮かべたまま、のんびりとした口調でそう言った。
その言葉に釣られて視線を向けると、西方教会領軍二万がランダル河を渡ろうと川の中に入っていく。
西方教会領軍は共和国軍が展開していないことから、青鷲騎士団の騎兵を先頭に川に入っていた。騎兵たちは一気に渡ろうと、馬を駆けさせている。
正面でも同じように渡河を開始しているが、こちらは共和国軍が待ち構えていることから、歩兵が盾を構えて慎重に進んでいた。
「無謀ですね。正面に敵がいないのですから、急いで渡る必要はないのですが」
マティアス卿は第三者的な感想を言いながら呆れている。
その直後、青鷲騎士団の騎兵たちが崩れ落ちるように倒れた。
「こうも簡単に引っかかるとは思っていませんでしたぞ」
ヒルデブラント将軍が感嘆の声を上げる。
「川の中にロープが張ってあるとは思わなかったのでしょう。まあ、あの程度の川幅と水深なら渡河はさほど難しくないですから。それに東方教会領軍より早く攻撃を開始できれば、一番槍ですから今後の主導権争いでも優位に持っていけると逸ったのでしょうね」
ランダル河の中には杭で固定されたロープが何百本と張られている。それも流れに沿うような形で張られているため、一見しただけではなかなか見つけられない。
ちなみにこうなることはマティアス卿から事前に聞いていた。
『フルスト団長の性格なら、正面にケンプフェルト閣下の旗があれば、麾下の聖竜騎士団を配置して対応しようとするはずです。そして北側が手薄であると知れば、そこに西方教会領軍を配置するでしょう』
私には理由が分からなかった。
『それはなぜなのだろうか?』
『今回の作戦でフルスト団長が狙っているのはケンプフェルト閣下のお命です。閣下は法国軍にとっては宿敵ともいえる方ですから、閣下を倒せば最大の功績となりますので』
『なるほど』
『それにこの配置ならカルツ団長には有利な位置を提供したと言えます。そして、カルツ団長の性格なら自分たちの手柄を上げるために猪突するでしょうから、罠に気づくことなく引っかかるでしょうね』
彼の言った通りの展開になっている。
そのことに感嘆していると、正面の戦線でも敵が乱れ始めていた。
「正面でもロープに足を取られた者が出始めましたな。矢を気にしなくてはなりませんから、視線はどうしても上に向きます。水中を気にしたとしても、対応しづらいということですか……人の動きを読み切ったよい罠ですな」
ヒルデブラント将軍が感心したように頷いている。
彼の言う通り、正面の東方教会領軍の歩兵も足を取られて転倒し、隊列が乱れている。そこに共和国軍から矢が撃ち込まれ、数十人単位で兵士が倒されていた。
「敵は罠を警戒しなかったのだろうか?」
私がそう呟くと、マティアス卿が振り返る。
「馬防柵が不完全ですから、今朝到着したと思い込んだのでしょう。こちらは戦力も少ないですし、準備不足の今が好機だと考え、一気に攻めてきたのです。有利な状況だと思い込めば、リスクに目を向けることはなかなか難しいものですから」
「しかし、監視部隊が消えているのだから、罠を警戒していたのではないか?」
「彼らも警戒していましたよ。偵察隊からの情報では二百騎近い数の騎兵を派遣し、伏兵もしくは奇襲部隊を探しているようです。ここでは地形を利用した罠は難しいので、奇襲部隊を隠したと考えたのでしょう。まあ、ロープで作った罠は嫌がらせ程度にしかなりませんので、ある意味正しいのですが」
彼の言葉を聞き、視線を戦場に戻すと、混乱は収まりつつあった。
但し、北側の西方教会領軍は勢いを付けて川に入ったことから、未だに混乱は続いている。
「そろそろエッフェンベルク伯爵の出番ですかな?」
ヒルデブラント将軍がマティアス卿に確認する。
「そうですね」
マティアス卿はそう答えた後、後ろを振り返る。
私たちの後ろには三名の通信の魔導具を背負った通信兵が待機していた。
「エッフェンベルク伯爵に連絡。D地点の敵は混乱中。ラウシェンバッハ騎士団による奇襲が可能。突入の判断はお任せする。以上を伝えてほしい」
ランダル河の渡河が想定される地点には南からA、B……という感じで名が付けられ、地図にも記載されている。これは通信兵を使った情報のやり取りで間違いが起きないための措置だそうだ。
通信兵だが、彼らは全員がラウシェンバッハ騎士団の獣人兵で、最も信頼できる兵士だとマティアス卿は説明してくれた。
『通信兵は我が軍の戦術の肝となる重要な兵種です。彼らは激戦の最中でも指揮官の傍らにあり、常に冷静さを保って通信の魔導具の操作を行い、正確に情報を伝達しなければなりません。それだけ重要な任務を任せられる兵士はなかなかいないのですよ』
通信兵の一人が復唱した後、通信の魔導具に向かって指示を伝えている。
それを聞きながら、自分がラザファム卿ならどうするだろうと考えていた。
「マティアス殿ならどのタイミングで突入させますかな」
私と同じようなことをヒルデブラント将軍も考えていたようだ。
マティアス卿は既に考えてあったのか、迷いもなく答えていく。
「騎兵が渡河し終えたタイミングですね。渡河した直後で隊列の整っていない敵をラウシェンバッハ騎士団が攻撃し、その後ろからエッフェンベルク騎士団の長弓兵が渡河中の敵を攻撃する。これで騎兵を分断できますから各個撃破が可能ですし、川岸をラウシェンバッハ騎士団の精鋭が守れば、西方教会領軍は簡単には渡河できなくなります。それに加え、このタイミングで新たな軍、それも王国軍が現れたことを知れば、主力である東方教会領軍も動揺するでしょうから」
なるほどと思いながら聞いていると、通信兵の一人が報告を上げてきた。
「地点12の監視班から連絡。敵斥候隊を排除。現在、地点10から12に敵斥候隊は存在せず。以上です!」
先ほどの渡河地点の番号と同じく、地図には誰もが間違えずに指示や報告ができるように重要なポイントに番号が振られている。
私はマティアス卿の横に置いてある地図に目をやった。
(地点12はここから北西五キロメートルの地点か。ちょうど突撃兵旅団が待機場所から戦場に向かうルートだな。10と11も同じルート上に当たる。これで突撃兵旅団の行動を見られることはなくなったということか……)
マティアス卿はラウシェンバッハ騎士団の第四連隊から一個大隊約三百人を密かに渡河させ、敵の目である斥候隊を潰すことを命じていた。
第四連隊は小柄で敏捷な獣人族で作る部隊で、敵の後方を撹乱したり、斥候隊を排除したりすることを得意としている。
今回は二キロメートル四方ほどの担当区域を決め、九個の小隊を展開している。これは敵の目を潰すとともに、突撃兵旅団の攻撃後に後方撹乱作戦を展開するためだ。
「これで突撃兵旅団の障害はなくなった。エッフェンベルク伯爵に奇襲が可能になったと連絡してくれ」
通信兵は敬礼し、ラザファム卿に連絡する。
「それにしてもマティアス卿が敵でなくて本当によかったと思いますよ。斥候隊を潰された上に通信の魔導具を使って絶妙のタイミングで奇襲を仕掛けてくる。それも最強の兵士で構成された軍が疾風のように襲い掛かってくるのです。こんなことをやられたら、我が軍でも大混乱に陥るでしょうな」
ヒルデブラント将軍が苦笑気味に話している。
「ケンプフェルト閣下なら多少の混乱はあるかもしれませんが、すぐに対応されるでしょう。それよりも正面の戦いが厳しくなってきました。エッフェンベルク伯爵にその旨を伝えましょう」
そう言われて正面に視線を戻すと、聖竜騎士団二万と東方教会領の世俗騎士軍二万五千の半数近くが渡河を終え、三万の共和国軍と激突していた。
「それには及びますまい。我が軍にはまだ余裕がありますので」
ヒルデブラント将軍は断言するが、私には危なげに見えていた。
「私にはずいぶん押されているように見えるのだが、将軍はどの辺りを見て、そう判断されたのだろうか?」
全体の指揮を執る総司令官代行の将軍に質問するのはためらわれたが、どうしても聞きたかったのだ。
将軍は私の質問に笑顔で答えてくれた。
「押されてはいますが、聖竜騎士団の歩兵は長時間身体強化を使うことはできません。ですから、すぐに後退するはずです。その隙を元帥閣下が見逃すことはないでしょう」
そんな話をしていると、前線でぶつかっていた聖竜騎士団の歩兵がジリジリと後退していた。距離があるため、はっきりとは見えないが、その多くが傷を負っているようだ。
下がり始めたところで、共和国軍の後方から矢が放たれた。ちょうど下がり始めた前衛と入れ替わるはずの中衛がランダル河の中で交錯するタイミングであったため、多くの法国軍兵士が矢を受けて倒れている。
「見事なものですね。しかし、貴軍も疲労が溜まっているはずです。そろそろ王国軍が突入すべきでしょう」
「そうですな。この後のことも考えれば、あまり疲労を溜めておくことは得策ではありません。この辺りで敵に混乱を与えてもらえれば、我が軍も一息つけるでしょう」
二人の名将のやり取りを聞きながら、私は戦場を見つめていた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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