第三十六話「皇帝、名将の遺言を聞く:後編」
統一暦一二一七年一月二十五日。
ゾルダート帝国東部、帝都ヘルシャーホルスト、マウラー邸。皇帝マクシミリアン
総参謀長ヨーゼフ・ペテルセンと共に帝国軍の名将ローデリヒ・マウラーを見舞っている。
彼は死に瀕しており、余に遺言を残すつもりで我が国に対する懸念を話していた。
その中で我が国の最大の敵、ラウシェンバッハに対し、無謀ともいえる策を実行してでも裏を掻けてと言ってきた。言いたいことは理解できるが、今の帝国の状況でそれを行うことは自殺行為ではないかと思っていた。
そのことを伝えると、熱く語っていたマウラーが柔和な笑みを浮かべた。
「陛下が冷静で安堵いたしました」
「どういうことだ?」
「ここ数年、陛下が焦っておられると思っておりました。特に内政ではシュテヒェルト殿、バルツァー殿が亡くなった後、無理を重ねているように感じていたのです。ただ、軍人に過ぎぬ私にはどう対応すべきか案もなく、意見を言う権限もありませんでした」
「焦っているか……思い当たる節がないとは言えぬ。我が帝国は余が命じねば、何も動かぬ状態であるからな」
自嘲気味に答えることしかできない。
「軍人である私の目からも有能な文官がいないことは明らかです。ですが、あまりに急進的な政策は先ほどの私の戦略と同じく非常に危険です。こうなるようにラウシェンバッハが誘導していたと言われても違和感を持ちません」
マウラーは無謀な作戦を提案したが、それは余に気づかせるためだった。
「うむ……」
言いたいことは理解したが、納得はしていない。
急進的と言われようとも、このまま何もせずに手を拱いていれば、我が国の財政が破綻することは明らかだからだ。
「陛下が三人の若者に期待したいお気持ちはよく分かります。私も麾下の若い将に期待し、困難な任務を与えたことがあります。ですが、思い出していただきたいことがございます」
「思い出してほしいことだと?」
「あの三人を推挙したのはライナルト・モーリスとダニエル・モーリスです。二人ともラウシェンバッハに近い人物だと先ほどお話ししました」
「そうだな。だが、三人を推挙したのはモーリス商会にもメリットがあるからだろう。それが我が国の発展に反しないのであれば、問題はないのではないか?」
そう話しながらも、心の中に疑念が湧き上がっていく。
「我が国のためになるのであれば問題はございません。ですが、それは彼らの政策が成功した場合だけです。あえて無能な将を褒め称え、司令官に任命させる策は先帝陛下がリヒトロット皇国を相手にお使いになられておられます」
父コルネリウス二世はリヒトロット皇国軍弱体化のために、身分が高いだけで無能な公爵を怖れているという噂を流したことがあった。
「つまり、カーフェンらは我が国に不利益をもたらすために、ラウシェンバッハがモーリス商会を使って帝都に送り込ませた。卿はそう言いたいのか?」
あり得ないことではないが、あの三人を引き上げたのは余だ。矜持が邪魔して、簡単には頷けない。
「私に文官の能力を計ることはできませんので、それは分かりかねます。しかし、偶然にしてはタイミングが良すぎるとは思われませんか?」
確かにこれまで全く無名だった三人が、ダニエルの事業に関わったところでいきなり評価された。
最初から中部総督府に配属されたベーベルはともかく、カーフェンとランゲは帝都にいたことがある。あれほど鮮やかに実績を上げることができる能力があるなら、人材を探している余の耳に全く入らなかったことはおかしい。
「確かに帝都から遠く離れた中部総督府から突然現れた。何らかの思惑が働いていると言われてもおかしくはないな」
「私も三人を否定したいわけではありません。ですが、あまりに拙速に権限を与えてしまったのではないかと危惧しております」
「だから余が焦っていると思ったわけだな」
「御意にございます」
そこでペテルセンが頷く。
「なるほどと思いましたな。千里眼殿は敵の焦りを誘う策を駆使する戦略家です。焦りを誘い、思考を誘導する。何度も痛い目に遭ってきました。そう考えれば、モーリス商会にメリットがある政策を実行させつつ、彼らを使って何らかの罠を仕掛けてきたのかもしれません」
「モーリス商会も自分たちにデメリットがなければ、ラウシェンバッハに協力するということか……」
「充分にあり得るでしょうし、彼らであれば認めるのではありませんか? “我が商会にメリットさえあれば、王国に対する謀略であっても協力する”と開き直られそうです」
「ライナルトもフレディも言いそうだな。彼らは余を怖れておらぬ。ラウシェンバッハは自分たちに十分なメリットを与えてくれるが、帝国は障害にしかならぬ。それならば出ていくだけと、脅すことすらあり得るからな。彼らの目的は長期的に確実に儲けを出すことで、政治に期待するのは自由な商売を保証することだけだ」
モーリス商会の行動原理は分かりやすい。
短期的な利益より長期間にわたり確実に利益を上げることで商会を大きくしている。そのため、商人組合内にも敵は少ないと聞く。
「そこに疑問がございます。本当にモーリス商会は商売を第一に考えているのでしょうか?」
マウラーが疑問を口にする。
「どういう意味だ? 商売を一番に考えねば、生き馬の目を抜く商都のライバルたちに勝ち続けることはできぬと思うが」
「確かに我が国に食い込み、多大な利益を得ております。ですが……上手く言葉にできませんが、それは結果であって目的ではないのではないかと疑問を感じているのです」
「別の目的があって、それを達成するために行動していたら儲かっていたということか?」
「敵の城を奪取する作戦があったとします。城の攻略作戦中、想定より早く敵の援軍が現れ、それを撃破することで絶望した城が降伏したとしましょう。その場合、軍事に精通していない者は敵軍撃破という大きな成果に目を奪われ、これが目的で城の奪取はそのおまけであったと考えることはよくあることです」
「城の奪取がモーリス商会の本来の目的で、敵軍の撃破が儲けか……傍から見れば、確かに勘違いするかもしれぬが、モーリス商会の目的とは何なのだ? それが分からぬ」
余の問いにマウラーが答える。
「王国を守ることではないでしょうか? そのために我が国に混乱を与える。その過程で利益が出ることになった。王国を守るという目的はヴィントムント市を守ることと同義です。先帝陛下の時代からヴィントムント市を手に入れ、帝国を富ませるというのは我が国の基本路線ですので、我が国に謀略を仕掛け続けるラウシェンバッハに協力することは自らを守ることに繋がります」
ペテルセンも賛成する。
「なるほど。グライフトゥルム王国の国政改革には商人組合との協力関係の強化というものがありましたな。その中にヴィントムント市の自治について言及がありません。つまり現状維持。モーリス商会だけでなく、商人組合も王国を守ることに協力するでしょう」
「だとすれば、モーリス商会との関係は見直さねばならんということか。我が国に混乱を与えることが目的の者たちを跋扈させるわけにはいかぬからな」
「それは慎重に考えねばなりませんな。彼らを切れば、我が国の経済が破綻してしまいます。モーリス商会への依存度を下げつつ、時機を見て、我が国への謀略に加担したとして、彼らの資産を差し押さえる方がよいでしょう」
「ペテルセンの言う通りだな。だとすると、カーフェンらの扱いも同じか。彼らが積極的に我が国を裏切っていることはないだろうが、意図せずに混乱を与えるのであれば排除しなくてはならぬ。逆に言えば、我が国に貢献できるなら使うということだ」
「それでよろしいかと」
ペテルセンが頷くと、マウラーが余を見た。
「即位の際に混乱があったため、短期間で成果を上げなければならなかったという事情はございましたが、今もまだそのお気持ちが強いのではないかと思います。即位前の皇子時代の陛下であれば、御身そのものですら平然と賭けて勝負に出ておられました。そのことを思い出していただきたいと思います」
余は強引な方法で即位した。
そのため、三年以内にリヒトロット皇国を滅ぼすと宣言し、それを実行した。しかし、民たちは余に心服しなかった。
「卿の言う通りかもしれぬ。成果を上げようと足掻いていたようだな」
「我が国は大陸一の強国なのです。じっくりと腰を据えて統一を目指せば、焦りを覚えるのは他国の方です。そのことを御心に留めておいていただきたいと思います」
マウラーが言いたかったのはこのことだと感じた。
「卿にはまだ生きていてもらわねばならぬようだ。卿の経験と見識は我が国の宝。そうおもわぬか、ペテルセン」
「御意にございます。私だけでは力不足。マウラー殿のお力が必要でございましょう」
常に飄々としているペテルセンにしては珍しく、真剣な眼差しだ。
「そう言っていただけたことは我が生涯最高の栄誉です。ですが、そのお言葉に従うことは難しいようです」
多くの敵を倒してきた稀代の将に似合わぬ柔らかな笑みを浮かべている。彼の寿命が尽きようとしていることを余は悟らずにはいられなかった。
二日後の一月二十七日の早朝、マウラーが息を引き取ったという知らせが宮殿に届いた。
余は帝都及び帝国軍全軍に対し、三日間の喪に服すよう命令を発した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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