第二十六話「国王、大陸のことを考える」
統一暦一二一六年十二月二十五日。
グライフトゥルム王国中部、王都シュヴェーレンブルク、王宮内。国王ジークフリート
マティアス卿と話をした後、私室に戻ってきた。
そして、ソファに身を預けながら、彼と話したことを思い出している。
(将来、我が国が大陸を統一しうる力を持つ、か……確かにその通りだ。獣人族で編成された軍の有用性や国政改革による国力増強もあるが、それよりもマティアス卿が我が国にいることが大きい……)
王国の軍事力や経済力が今後向上することは間違いない。
それを行ったのは我が師マティアス卿だ。彼がいなければ、我が国はすでに消滅し、帝国の版図に組み込まれていただろう。
そして、彼はまだ三十二歳だ。頑健な身体とは言えないが、今後は身体的に厳しい戦場に行くこともないだろうから、叡智の守護者の手厚い支援があれば、病に倒れる可能性は低い。
(私が彼を師として招聘したのは王国を守るためだった。僅か二年で状況は大きく変わっている……)
これまで我が国の最大の懸案であったレヒト法国とトゥテラリィ教団はマティアス卿がいる限り、野心を見せることはない。
新法王を始めとする上層部はマティアス卿なら四聖獣様を動かし国ごと消滅させることもできると恐れているからだ。
もう一つの課題であった帝国も動けなくなる。
皇帝マクシミリアンはまだ気づいていないようだが、マティアス卿の謀略によって国が潰れるほどの財政危機が迫っている。このような状況で軍を動かすことは自殺行為だ。有能な皇帝ならそのことに必ず気づくからだ。
(だからと言って我が国が大陸を統一するなんてあり得ない……確かに不可能ではないかもしれないが、そんなことを考えたこともなかった。だから彼はあのような話を持ってきたのだろうが……)
マティアス卿は結論を求めなかったが、私に考えさせようとしたことは明らかだ。
(私がすべての国を征服し、人としての頂点に立つという野望を持ったら、彼はどうするのだろうか? 私を助けてくれるのか、それとも私を排除するのか……)
彼は王国を、そしてこの世界を守ることを常に考えている。
その目的はイリス卿たち家族やラザファム卿ら友人を守るためだと聞いた。
(私が大陸統一を目指した場合、彼の目的に合致するのだろうか? いたずらに戦争を行えば、家族や友人を危険に晒すことになる。しかし、この大陸から争いがなくなれば、その危険は根本からなくなる……大陸統一を公言しているゾルダート帝国を排除するだけでも、戦争のリスクは一気に下がるだろう……)
そこまで考えた時にあることに気づいた。
(そもそも大陸を統一する必要があるのだろうか? 確かに統一国家フリーデンは一時的に大陸から争いをなくした。しかし、結局内部から崩壊して平和な時代はほとんどなかったと教えてもらった。それにマティアス卿は人が争うのは本能に近いことだから止めることは難しいと言っていた。私が王として目指す目的が王国の平和なら、大陸統一は逆に悪手ではないのか……)
私はそもそも王になるつもりはなかった。
この国が滅びようとしているのを何とかしたいという思いしかなかったためだ。
しかし、マティアス卿はその思いを実現したいなら、目的と目標をはっきりさせるべきだと強く説いた。
それから私は“何のために”と“どうすれば”ということを常に考えるようになった。
そして、フリードリッヒ兄上から王位を譲られる時、王国を守ること、王国を平和に保つことを目的とした。そのためにレヒト法国とゾルダート帝国という外的とマルクトホーフェンという内なる敵から国を守ることが必要だと考えた。
(そう考えれば、大陸の統一は目的に合致しないな。マクシミリアン帝やマルシャルク白狼騎士団長のような危険な存在を排除できる力があればいい。排除が難しいなら抑える力があるだけでも十分だ。無理に統一しようとして新たな火種を作る必要はない……)
旧リヒトロット皇国領を見れば分かるように、国がなくなってもすべての民がすぐに新たな国家に帰属するわけではない。当然、反発するだろうし、それが新たな紛争を呼ぶことになる。もっともこれはマティアス卿がそうなるように仕向けた部分が大きいが。
(それ以前に大陸の支配者なんて私には似合わない。私のような未熟な者が曲がりなりにも王となり、何とかやっていけているのはマティアス卿やラザファム卿、宰相たちの有能な家臣たちのお陰だ。そのことを忘れないようにしなければ……)
正直な思いだ。
マティアス卿たちが出征している間、私は不安で仕方がなかった。
私が戦場に行っても何の役にも立たないことは分かっているが、彼らが帰って来なかったらこの国はどうなってしまうのかと、不安に苛まれていたのだ。
(そう考えると私は王に向いていないのだろう。当然、大陸の支配者になんてなれない……)
そこで一年ほど前に大賢者殿と話したことを唐突に思い出した。
(そう言えば大賢者殿と神のことを話したな……四聖獣様や大賢者殿が助けてくれるといっても、神はこの世界を守らないといけないんだ。私では想像もできないような苦労があったんだろうな……私なんて国王の責任だけでも圧し潰されそうで、大陸の支配者になってなれないと思っているのに……)
大賢者殿に神の話を聞いたが、非常に強力な魔導師ではあるが、人としての心も持っていたらしい。
四聖獣様と大賢者殿はその神の復活を待っているらしいが、詳しいことは教えてもらえていない。
マティアス卿に聞いても、ふわっとした答えしか返ってこなかった。
『どのような形で復活されるのかは私も知らないのですよ。ただ、四聖獣様はあくまで管理者の代行者なのです。いずれ四聖獣様に代わり、世界を守ってくださる管理者が現れてくれるはずです。それがいつになるかは分かりませんが……』
その話を聞いた時、マティアス卿は神のことをもっと知っているのではないかと感じた。理由は分からないが、何となくそう思ったのだ。
そんなことを思い出していると、唐突にある考えが浮かんだ。
(もしかしたらマティアス卿が神になるのではないか……)
あれほどの知識を持ち、四聖獣様にすら堂々と意見が言える胆力がある。彼ならあの四聖獣様たちを従えることも可能ではないかと。
少なくとも私が大陸を統一するという話より現実味があると思った。
(そうなったら、この世界はよい方向に向かうだろうな。エンデラント大陸以外の広い世界を取り戻すことだってできるかもしれない……だけど、マティアス卿なら神になりたくないと言いそうだな……)
理由はない。ただ、彼ならそう考えるのではないかと思ったのだ。
「ジーク様、難しい顔をしたり、微笑んだりしておられましたが、何を考えておられたのですか?」
侍女姿の影、ヒルダが聞いてきた。
「最初のうちは、我が国は今後どうするのかということを考えていた。マティアス卿がいる限り、我が国が各国より優位に立てるからね。ただ私に何ができるのかと思い悩んでいた」
「ジーク様にもできることはたくさんありそうですけど……その割には楽しそうな表情でしたわ」
マティアス卿が神になるのではないかと考えていた時のことだろう。
「言うと笑われそうなことだよ。君にも言えないくらいの妄想だね」
「そうなのですか? そう言われると余計に聞きたくなりますけど」
ヒルダは以前より雰囲気が柔らかくなった。
ネーベルタール城の時のように、常に気を張っていなくてもよくなったからだろう。
「そのうち話すかもしれないけど、今日はやめておくよ。君なら笑わないと思うけど、私自身が身悶えそうだから」
「それではその機会が来るまで待ちますわ。では、お食事の時間です。エルミラ様がお待ちですから、急いで食堂にまいりましょう」
「そうだな」
私は楽しい気分で食堂に向かった。
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