第三十三話「グラオザント会戦・決戦:その八」
統一暦一二一六年十月六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東、防衛陣地内。皇帝マクシミリアン
夕闇が広がり、松明と灯りの魔導具の光が防衛陣地を照らしている。
「これより敵陣を攻撃する。最初は第二軍団第二師団だ。敵左翼のグライフトゥルム軍に攻撃を集中せよ」
「はっ! 既に準備は完了しております!」
師団長のゲールノート・エーリング将軍が生真面目な表情で答える。
「分かっていると思うが、作戦の目的は敵に主導権を握らせないことだ。それに加え、敵の心を折ることも目的となる。だから夜の間は無理に攻める必要はない。無理に攻めれば、エッフェンベルクらに付け込まれるからな」
「承知しております。敵の気が休まらないようにじっくりと攻めてみせましょう」
エーリングはそう言ってニヤリと笑った。彼も優秀な戦術家であるため、いろいろな手を使って敵を翻弄してくれるだろう。
三十分ほどすると、戦いが始まった。
余は防衛陣地内にある監視用の櫓に上り、戦いの様子を見ている。
(エーリングもなかなかやる……)
敵はグライフトゥルム軍のイリスが指揮する部隊だ。
その部隊を東と北から攻撃を仕掛けているが、大隊単位で敵に接近、攻撃を行い、すぐに下がるという動きを繰り返している。
当初、敵はその動きに釣られて飛び出してきた。
その飛び出してきた敵を本隊まで引き込み、その多くを討ち取っている。
(敵に中級指揮官がいないことを上手く利用しているようだな。騎兵だけでなく歩兵の指揮も上手い。次の元帥候補だな……)
エーリングは今年四十一歳と比較的若い将だ。
我が帝国軍には七十歳を超えている第一軍団長のローデリヒ・マウラーを始め、元帥や将軍の中には父の代から活躍している者が多く、そろそろ世代交代が必要だと考えている。
ちなみに最年長のマウラーだが、彼自身は退役したいと言っているが、名将と名高く軍の精神的な支柱になっていることと、余が即位する際に後ろ盾となった関係で、ラウシェンバッハに掻き回されている現状では認めることができないでいる。
(敵将イリスもなかなかやるな。すぐに修正して無謀な追撃が収まっている。それに共和国軍との連携も見事なものだ。前線に出て指揮しているのなら討ち取る絶好の機会だが……)
イリス・フォン・ラウシェンバッハは指揮官としても参謀としても有能だ。また、捕虜から聞いた話では獣人族たちがラウシェンバッハと同様に崇拝しているらしく、討ち取れれば敵に大きな打撃を与えることができるだろう。
(無理をする必要はない。少しずつ削っていけば我が軍の勝利は堅いのだ……)
余は余裕をもって戦場を見つめていた。
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統一暦一二一六年十月六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城外、グライフトゥルム軍陣内。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人
夕食を食べた直後、予想通りゾルダート帝国軍が攻撃を仕掛けてきた。
(やっぱりここに集中してきたわね……)
三ヶ国同盟国軍はグラオザント城を中心に左右に展開している。
私の師団はその最左翼にあり、城からは百メートル以上離れていた。
常識的には最右翼のハルト師団か、私の師団を攻撃してくるはずだが、これまでの戦闘で地形が分かっている北側、すなわち私の方にくる可能性が高いと思っていた。
(ケンプフェルト閣下の部隊が隣にいるからまだ安心だけど、兵たちの戦意が旺盛すぎるわ。一応、さっきは何とかなったけど、長時間の戦闘だとまた同じようになるかもしれない……)
敵は五百人程度の大隊単位でこちらを挑発しながら前進してくる。
接近した後も盾を構えて守りを固め、こちらの兵が攻撃したら反撃するという感じで、五分ほどしたらゆっくりと下がっていく。
下がり始めると次の大隊が前進し、追撃する我が方の兵士を下がり始めていた前の隊と共同で攻撃することで、こちらに出血を強いている。
そのため、私が前線に出て味方に指示を出さなければならない事態になっていた。
右側にはゲルハルト・ケンプフェルト元帥率いるグランツフート共和国軍約八千が敵の側面に攻撃する姿勢を見せるが、敵は巧みに部隊を動かし、それを牽制している。
(まさか私自身が剣を取って戦うとは思わなかったわ。もう少し目立たない鎧にした方がよかったわね……)
前線に出たと言っても兵たちの後ろにいるのだが、獣人族は隊列を維持することが苦手で、その隙を突いて真っ白な鎧を纏った私のところにまで敵兵が攻め込んできている。
(そろそろロイ殿の隊にも救援を要請した方がいいかしら……)
共和国軍のロイ・キーファー将軍の部隊に救援を要請することを考えていた。
というより、現状ではロイ殿の部隊にしか期待できない。
ハルト師団は司令官であるハルトが別動隊を率いて奇襲攻撃に向かったため、兄ラザファムが臨時で指揮を執っている。ただでさえ、扱いづらい遊撃軍だ。指揮官が変わった状況で複雑な動きが要求される支援を命じることはリスクが大きすぎる。
シュッツェハーゲン軍もいるが、弓兵による遠距離支援はともかく、指揮官の能力が低い部隊では逆に混乱を招くと考え期待していない。
「ケンプフェルト閣下から通信が入っております」
副官のエルザ・ジルヴァカッツェ中佐が報告してきた。
彼女も私と同様に抜き身の剣を持っており、その刃には真っ赤な血糊が付いている。
少し後ろに下がり、通信兵から受話器をもらう。
「こちらイリスです。何かありましたか? 以上」
『忙しいところすまん。儂の隊が敵の側面に攻撃を仕掛ける。お前の師団もそれに合わせて攻撃してほしい。以上だ』
閣下はこの状況を打開するために積極策に出るようだ。
「分かりました。閣下の部隊の動きに合わせてこちらも突撃します。ですが、百メートル進んだら停止し、こちらに引き上げさせます。以上です」
『それでよい。儂も深追いはせん。敵の肝を冷やさせれば、それでよいと思っているからな。以上だ』
それで通信が切れ、私は再び前線に向かった。
「ケンプフェルト閣下の部隊が前進したら我が師団も前進する! 但し、深追いはしない! 私の命令をしっかり聞きなさい!」
そう怒鳴った直後、共和国軍が動いた。
先頭には大型の両手剣を構えたケンプフェルト閣下がおり、直属の部隊と共に猛然と突撃している。
(なんて無謀な……)
そんなことを考えるが、すぐに我に返り、命令を出す。
「イリス師団、前進せよ!」
私の命令に近くの兵が“前進せよ!”と叫び、猛然と敵の大隊に突っ込んでいく。
「前進せよ!」
「前進せよ!」
すぐに大合唱になり、敵の大隊を切り崩し始めた。
「引け! 奴らを引き込むのだ!」
敵の隊長らしき男が叫んでいる。
その命令で敵兵が脇目も振らずに下がっていく。
その直後、敵陣から多数の矢が襲い掛かった。
私は慌てて盾を掲げて矢を防ぐ。
しかし、多くの兵がその矢を受けて倒れていた。
「全軍停止せよ!」
私がそう叫ぶと、三十秒ほどで我が軍の前進は止まった。
しかし、その間にも敵陣から矢は降り注ぎ、犠牲者が増えていく。
「負傷者を助けながら下がりなさい!」
ケンプフェルト閣下はその間にも突撃を続けていたが、同じように矢を受けても脱落する兵はほとんどいない。
(やはり共和国軍は優秀だわ。不測の事態でもすぐに対応できている。それに引き換え我が軍は駄目ね。急造部隊だから仕方ないのだけど……)
そんなことを考えていると、閣下の部隊が敵の側面に達し、激しい斬りあいが始まった。
(もう一度突撃を命じた方がいいかしら?……無理ね。こちらの兵力を消耗するだけだわ。でも、共和国軍を見捨てるわけにはいかないし……)
そんなことを考えていると、左から猛然と走り込んでくる部隊が見えた。
フランク・ホーネッカー将軍の騎兵部隊だ。
僅かな明かりの中、騎兵による突撃を敢行したのだ。この動きにさすがの帝国軍も驚き、攻撃の手が緩む。
「負傷者を下げる者以外は前進せよ!」
私の命令で再び我が師団は前進を始めたが、すぐに停止を命じた。
「全軍停止せよ!」
停止を命じたのはケンプフェルト隊が一気に後退したからだ。
閣下はフランク殿の騎兵が作った混乱を利用し、見事に撤収に成功する。
敵もすぐに混乱を収め、前進してきたが、ケンプフェルト閣下の突撃を見て先ほどより慎重だ。
(こんな戦いが何時間も続くとなると、我が方の兵士はもたないわ。ハルトの部隊が何とかしてくれないと明日一日保たせられるか微妙なところね……)
そんなことを考えながらも前線で大声を上げながら指揮を執っていた。




