第二十九話「グラオザント会戦・決戦:その四」
統一暦一二一六年十月六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東、シュッツェハーゲン軍の防衛陣地内。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人
昨日は帝国軍に大きな損害を与え、同盟国軍の士気は大きく上がっている。
しかし、斥候隊からの報告では帝国軍の野営地でも歓声が上がっており、敵の戦意は衰えていない。
私は朝食の後、部下たちを前に訓示を行った。
『敵は昨日以上に積極的に攻めてくる! だけど、恐れることはないわ! 私たちラウシェンバッハの者たちの敵ではないのだから!』
獣人兵たちは目を輝かせて聞いている。
『私から諸君らに言うべきことはただ一つ! 私の命令に従いなさいということだけ! 命令に従って動ければあなたたちは最強なのだから! “前進せよ”と“全軍停止せよ”。その二つを聞き逃さないように! それでは皆の奮闘に期待する! 以上!』
目の前の敵をひたすら排除する“前進せよ”と、冷静さを取り戻させるための“全軍停止せよ”のみを徹底させる。
本来なら防衛戦ということで、中隊単位で命令を実行できる方が戦術の幅が広がるのだが、訓練の行き届いていない彼らにそれを望むことはできないからだ。
(頭が痛い問題だけど、今のところ上手く機能している。あとは兄様が全体を見て的確に指示を出してくれれば、簡単には負けないはず。だけど、問題はシュッツェハーゲン軍なのよね……)
この防衛陣地の指揮はシュッツェハーゲン軍のタンクレート・アイゼンシュタイン侯爵ではなく、兄ラザファムが実質的に執っている。
しかし、我が軍はともかく、シュッツェハーゲン軍の状況が的確に伝わるか微妙な状況だ。
元々シュッツェハーゲン軍の編成は指揮命令系統が曖昧だ。それに貸与している通信の魔導具も使いこなせていない。目が届く陣地内であっても状況を把握することは難しいはず。
(それにあの部隊が邪魔なのよね。ハルトの師団なら安心できたのだけど……)
防衛陣地の北側、最前線にはシュッツェハーゲン軍の歩兵部隊が待機している。
その後ろにはシュッツェハーゲン軍の弓兵隊が、更にその後ろに兄様のラザファム師団が弓を持って並んでいた。
私の師団はハルト師団と共に南側、つまり後方で待機だ。
これは帝国軍がこの陣地ではなく、共和国軍の防御陣に攻め掛かった場合に遊撃部隊として出撃するためだが、最初はこんな配置になる予定ではなかった。
当初の計画ではハルト師団が最前列に立ち、その後ろに弓兵隊が並び、シュッツェハーゲン軍の歩兵部隊は左右の土塁を守ることになっていた。
昨夜、この配置案を兄様が提案した際、シュッツェハーゲン軍の指揮官たちから自分たちが最前線に立つべきだと言ってきたのだ。
『ここは我が軍の防衛陣地です。貴軍ばかりに負担を掛けるわけにはいきません』
殊勝なことを言っているが、昨日の戦いで帝国軍を撃退できたことから、この中なら有利に戦えると考えたらしい。
それに対し、ケンプフェルト閣下が反対された。
『明日は今日以上に厳しい戦いになる。まずは戦い慣れているグライフトゥルム軍に任せてはどうだろうか』
本心ではシュッツェハーゲン軍では対応しきれないと思っておられるが、同盟国であることから言葉を選ばれたのだ。
しかし、シュッツェハーゲン軍の指揮官たちは納得せず、総司令官であるタンクレート・アイゼンシュタイン侯爵もそれに乗ってしまった。
『我が国は同盟国に協力していただいている立場です。矢面に立つべきはやはり我が軍であるべきと考えます』
それに対し、兄様が『しかし……』と言って反論しようとしたが、それを遮って付け加えた。
『この陣地がこの戦いで重要であることは重々承知しております。ですので、我が軍が敵に押され壊滅の危機を迎えようとも防衛に必要な手を打っていただきたい。それによって我が軍が全滅しようとも何も申しません』
会議が終わった後、アイゼンシュタイン殿から愚痴を聞かされた。
『各貴族領から兵を集める関係で、指揮官である領主たちの意向を無視できないのです。それもあって陛下と共に軍の近代化を目指すために動いていたのですが間に合いませんでした。会議でも申し上げた通り、この陣地を守ることが最も重要なことです。グライフトゥルムの方々には迷惑を掛けていることは承知しておりますが、何卒よろしくお願いします』
マティからシュッツェハーゲン王国では貴族の力が強く、国王の側近であるアイゼンシュタイン殿でも完全に統率することは難しいと聞いていたが、それが現実のものになってしまった。
不満はあるが決まった以上、最善を尽くすしかないと腹を括っている。
その後、兄様とハルトの三人で最悪の事態にどう対応するかを話し合った。
午前九時頃、帝国軍が近づいてきた。
後方にある監視用の櫓に上り、望遠鏡を使って帝国軍を観察する。
(歩兵が多いわ。本格的に攻めるつもりね。まずい状況だわ……)
昨日までと異なり、騎兵の数は三分の一程度の一万ほど。帝国軍の力の象徴である重装騎兵を歩兵として使おうというのだろう。
歩兵部隊は五千名ほどの隊が九つあり、そのうちの六隊が前衛で、四隊がここシュッツェハーゲン軍の防衛陣地に、それぞれ一隊が共和国軍の防御陣に近づいていた。
前衛部隊の兵士たちの多くが盾を構え、整然と行進してくる。
後衛部隊は弓兵で広く散開しており、前衛の支援を行うようだ。
騎兵部隊はその後方にあってこちらが打って出た場合に対応するつもりらしい。
前衛の歩兵部隊の行軍速度が上がった。
それでも走っているわけではなく、六つの部隊が整然と進軍してくる。その動きに練度の高さを感じていた。
百メートルほどに近づいたところで、同盟国軍側が矢を放つ。
しかし、効果はほとんどなく、進軍を泊めるどころか速度を緩めることすらできない。
何度か矢が放たれたが、敵は空堀を越え、土塁を上り始めた。
土塁を越えようとしたところで、ラザファム師団の弓兵が一斉に矢を放つ。
それまでの曲射と違い、獣人族の強力な弓から放たれた矢は盾で守り切れない部分に突き刺さり、多くの敵兵がその場に倒れていく。
(これでは突破されるのも時間の問題ね)
敵は戦友の遺体を乗り越えて前進してくる。
二百メートルほど離れているのに、その迫力に圧倒された。
(何をしているのよ! 前に出なければ、敵で埋め尽くされてしまうわ! ハルトの師団なら何とかなったのに!……)
シュッツェハーゲン軍の歩兵たちはその迫力に気圧され、足が前に出ない。
そこに土塁を下ってきた敵兵たちが殺到する。
声は聞こえないが、シュッツェハーゲン軍の指揮官たちは剣を振り回して兵たちを督戦している。しかし、血しぶきを上げて倒れるのはシュッツェハーゲン軍の兵士ばかりだ。
更に左右の土塁にも敵兵が現れ始め、陣地の北側はいつの間にか帝国軍の兵士たちで埋め尽くされていた。
私は櫓から降り、部隊に戻った。
「敵が侵入してきたわ。戦闘準備を命じてちょうだい」
副官であるエルザ・ジルヴァカッツェ中佐に命じる。
彼女はすぐに通信兵に命令を伝え、我がイリス師団は剣を構えていつでも前進できる状態になった。
「ラザファム様からのご命令です。イリス師団とハルト師団はその場で待機。南側の門を確保せよとのことです」
「了解」
そう答えたものの苛立ちが募る。
(あの場所に突っ込んでいっては駄目だというのは分かっているけど、何もできないのはもどかしいわね。言ってはいけないことだけど、ラウシェンバッハ師団ならまだ打つ手はあるのに……)
ラウシェンバッハ師団なら連隊単位で攻撃と牽制、撹乱を行えるから、この状況でもやりようはある。しかし、師団単位でしか動けない遊撃軍が乱戦に突入すれば、消耗戦に巻き込まれてしまうだけだ。
私たちの戦略目的はこの地を確保し、帝国軍を撤退に追い込むこと。そのためには兵力を可能限り温存し、持久戦を続けないといけない。
そのことは分かっているが、苛立ちは消えない。
三十分ほど土塁付近での攻防が続いたが、シュッツェハーゲン軍の弓兵が下がり始めた。
(こんなところで死んだら犬死だわ。兄様も早く下がってくれないかしら……でも、シュッツェハーゲン軍の練度が低いとはいえ、こんな短時間で敗れるなんて思っていなかったわ……)
シュッツェハーゲン軍は指揮官の質こそ低いが、兵士は同数の敵に圧倒されるほど弱くはない。
(帝国軍の実力を見誤っていたかもしれないわね。指揮官の優劣が勝敗に直結することは理解していたつもりだけど、ここまで明確な差が出るとは思わなかった。私たちでも耐えきれなかったと思うわ。そう考えれば、シュッツェハーゲン軍の指揮官たちが出しゃばってくれてよかったかもしれない……)
遊撃軍の弱点は兵士が命令を聞けなくなることだが、根本的な弱点は大隊長以下の指揮官が不在なことだ。一応、大隊長や中隊長は決めてあるが、戦闘指揮官としての能力は皆無で、平時の取りまとめ役に過ぎない。
もし、最初の計画通りであったら、シュッツェハーゲン軍の歩兵と同じような運命を辿った可能性が高い。
(問題はこの後ね。シュッツェハーゲン軍を少しでも逃がすために何をすべきかしら……)
そんな時、兄様から通信が入った。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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