第五話「軍師、仕込みを行う」
統一暦一二一五年四月二十二日。
グランツフート共和国西部ズィークホーフ城。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
ズィークホーフ城に来てから半月ほど経った。
明日、グランツフート共和国の中央機動軍三万のうち、第一陣が到着する。
決戦が近いということで、レヒト法国軍の国境監視部隊を今夜殲滅することにした。
敵の目を潰し、罠を仕掛けるところを見られないようにすることが主な目的だ。
確認したところ、国境監視部隊は定期的に伝令を後方に送っているが、その間隔は三日に一度と決まっていた。
また、伝令の行先は西に五十キロメートルほどにある都市クルッツェンで、二日掛けて移動していることも分っている。
つまり、伝令が送られた直後に監視部隊を殲滅すれば、五日間は異常に気づくことはなく、
六日目に異常に気づき、クルッツェンから確認のための部隊を派遣したとしても移動に最低一日は掛かるから、七日間は敵に見咎められることなく行動することが可能だ。
幸い、伝令は本日の午前中に出発しており、敵が気づいて斥候隊を送り込むのは最短でも二十九日頃になる。敵の作戦開始予定日が五月一日なので、侵攻軍が国境付近に到着するまで異常に気づかないということだ。
また、侵攻軍が独自に斥候隊を送り込んだとしても、作戦開始の五日前、二十六日頃に到着するくらいだろう。それならば、罠の設置は終わっているから問題はない。
戦力は私の護衛である黒獣猟兵団約百名だ。
敵は約五百人だが、一階建ての木造の建物が十棟ほどあるだけの駐屯地にいる。駐屯地には簡易な柵があるだけで、防御施設と言えるものはない。また、共和国軍に変化がないことから、いつもと変わらないと油断しているため、殲滅自体は難しくないだろう。
「夜に奇襲を掛ける。最初に歩哨を排除。その後は宿舎に忍び込み、寝ている兵士を全滅させる。夕食に眠り薬を入れているから起きている者は少ないと思うが、一人も逃がさないように注意してほしい」
作戦は単純だ。
辺境の地ということで就寝は早く、午後八時くらいには歩哨以外、全員が眠りに就いている。また、夕食の煮込み料理に遅効性の睡眠薬を紛れ込ませておくことで、少々の物音では起きないようにしておき、一気に殲滅するのだ。
睡眠薬は影が忍び込んで煮込み料理に使うハーブに紛れ込ませた。元々法国軍には防諜という概念がほとんどなく、プロの暗殺者である影なら問題なく、潜り込める。
毒を盛るという選択肢もあったが、毒の場合、効果の出方に個人差があるため、警戒される恐れがあった。そのため、多少効きに差があっても、夜になれば眠気が襲ってくるのは不自然ではないので、この方法にしたのだ。
また、黒獣猟兵団は全員闇の監視者で暗殺術も学んでいることから、半分程度が起きたとしても失敗の可能性は低い。それでも念のために護衛の影からも数名派遣しておいた。
午後九時頃、隊長のファルコ・レーヴェ以下百名の獣人が出発した。
そして、日付が変わる前に伝令が走りこんできた。
「作戦に成功しました」
「ご苦労さま。死体の処理は明日行うから、今日は休むようにファルコに伝えてくれ」
「はっ!」
そう言って伝令は私の前から立ち去った。
「作戦は成功ですか?」
ズィークホーフ城の指揮官バルテル・グルーベが聞いてきた。
「はい。完全な奇襲ですし、仕込みもしていましたから」
「五百もの兵をたった百人で殲滅するとは凄いものです。マティアス卿が敵じゃなくてよかったですよ」
翌日、ズィークホーフ城の斥候隊に協力してもらい、敵兵の死体を処理する。
死体は駐屯地から共和国側に運び込んで埋葬する。これは監視兵たちがどのように殺されたかを知られないようにするためだ。
「こちら側に埋葬するのはなぜなんですか?」
グルーベが疑問を口にする。
「死体を見ましたが、ほとんどが急所を一突きされて命を絶たれていました。死体が残っていれば、凄腕の暗殺者集団がいたことが知られてしまいます。貴軍にはそのような部隊がないことは敵も知っていますから、援軍が来たことを知られる恐れがあります」
「なるほど。宿舎にも血糊はほとんど残っていませんから、殺されたのかすら分からないですね」
「その通りです。死体がなく、争った跡もない。それを見た敵は監視部隊に何が起きたのか疑問を持つでしょう」
グルーベは私の言葉の意味を掴み兼ねているのか、首を傾げている。
「殺されたのか、捕らえられたのか、脱走したのかということですか? 確かに何も知らなければ、迷うと思いますね。これにも意味があるんですか?」
「はい。これまでこのようなことが起きたことはありません。法国軍の将は何が起きたのか疑問に思うでしょう。殲滅されたのか、裏切って亡命したのか、それとも捕虜として連行されたのか。連行されたのなら何のためか……貴軍はこれまでこのようなことをしたことがありませんから、余計に悩むでしょうね」
「確かにそうかもしれませんが……」
あまり納得した様子がない。
「貴軍を率いるのはケンプフェルト元帥閣下です。ケンプフェルト閣下は質実剛健、小細工などされませんから、敵将は何が起きたのか疑問に思うはずです。そして何が起きたのかをいろいろと考えますが、答えが出ずに困惑するでしょう」
「確かに困惑しそうですな。ですが、聖竜騎士団の将、フルストは猛将として有名です。少々迷ったとしても戦いになれば細かなことなど気にせず、攻め掛かってくるのではありませんか?」
東方教会領軍の主力、聖竜騎士団は白、黒、赤、青の四つの騎士団に分かれ、それぞれが五千の兵を持つ。筆頭は白竜騎士団で、団長のデュオニュース・フルストは大型のポールアックスを使う猛将という評判だ。しかし、調べた結果、実態は少し違うことが分かっている。
「フルスト団長は猛将に見せていますが、彼が一方的にライバルだと思っているケンプフェルト閣下に対抗してのポーズに過ぎません。彼は戦術家として無能ではありませんから、いつもと違う状況に必ず疑問を持ちます」
「マティアス殿は敵将のことをそこまでご存じなのか……」
「相手のことを知ることは戦略立案の初歩ですよ」
グルーベはゴクリと唾を呑み、「確かに」と言って頷く。
「フルスト団長が疑問を持ち、逡巡した後に、当初の想定通りであるという情報が入れば、どう考えるでしょうか? 例えば、共和国軍が想定範囲の兵で防御陣を作っていると知ったとしたら?」
「そうですな……ケンプフェルト閣下が小細工をしなければならないほど、共和国は追い詰められていると考えるのではないかと」
「その通りです。そこまでいってくれれば、視野が狭くなりますから、こちらの罠に掛けやすくなるのです」
私が狙っているのは思考の誘導だ。
疑問を持たせた上で、それに意味がなかったと気づけば、考え過ぎだったと思い込み、他のことにも疑問を持ちにくくなる。それを狙っているのだ。
「マティアス殿が千里眼と言われている理由が分かった気がします」
少し呆れている感じがしたが、それを無視して別の依頼をする。
「死体の処理の後、二十八日までここに百人ほど配置していただけないでしょうか。生活している感じをギリギリまで残したいので」
乗員・乗客が忽然と消えたマリー・セレスト号ではないが、普通の生活をしていたのに突然、全員がいなくなったように見せれば、更に迷うはずだ。もっともマリー・セレスト号は必ずしも忽然と消えたわけではないらしいが。
そんなことをしていると、グランツフート共和国軍の第一陣が到着した。
率いるのはゲルハルト・ケンプフェルト元帥で、馬防柵を作る材料や食糧などを満載した荷馬車といっしょだ。
「何やらいろいろと考えているようだな」
元帥はそう言って笑う。
確かに馬防柵の材料は私が依頼したもので、共和国軍の計画では設置する予定がなかった。
「一・五倍以上の敵を完膚なきまでに叩くためには、いろいろと準備が必要ですから」
今回、レヒト法国軍は六万五千、共和国と王国の連合軍は四万二千だ。兵士の能力に大きな差はないが、ランダル河くらいしか障害となる地形はなく、野戦では圧倒的に不利になる。
そのため、罠を仕掛けて待ち受ける。
「叡智の守護者の情報分析室からの情報では、法国軍は予定通り五月一日にここに到着するペースで行軍しています。それまでの時間を利用していろいろと仕込みを行うつもりです」
その後、ケンプフェルト元帥に作戦を説明した。
作戦を聞いた元帥は笑みを浮かべる。
「確かに有効だ。まあ、やられる方はたまったものではないがな」
私も同感なので曖昧に頷いた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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