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第二十五話「軍師、犠牲の多さに心を痛める」

 統一暦一二一六年九月二十九日。

 グライフトゥルム王国東部、ヴェヒターミュンデ城城主館内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵


 グライフトゥルム王国軍が渡河を終え、私は城主館の司令官室に入っていた。

 慌ただしく戦ったため、精神的に疲れ、椅子に座って休んでいる。


(ギリギリだった。もう少し余裕があると思ったんだけどな……あと三十分遅かったら、最後まで残っていた部隊が攻撃されたかもしれない……)


 渡河を終え浮橋を回収した直後に、帝国軍の騎兵部隊がシュヴァーン河の対岸に現れている。ヒンメル族との戦いが少しでも長引いていたら危険な状況だった。


「間一髪だったな」


 東部方面軍司令官のルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ大将が話し掛けてきた。

 いつもの豪胆な感じはなく、心底助かったという雰囲気を漂わせている。


「帝国軍の移動速度を見誤りました。ここに到着するのは早くとも三日後だと思っていました」


 ローデリヒ・マウラー元帥率いる第一軍団二万がエーデルシュタイン付近を出発したのは九月四日。二十五日間で約七百キロメートルを移動したことになる。


 一日当たりに直せば、二十八キロメートル。当初の予想では街道ではない草原を移動していることと、七百キロメートルという長大な距離を移動することから、最速でも一日平均二十五キロメートル、二十八日は掛かると見ていたのだ。


「それでもギリギリ間に合ってくれてよかった。我々だけではゴットフリートにいいようにやられ、マウラーたちに全滅させられていただろう」


 ルートヴィヒ卿の言う通り、南からの攻撃に対しては無防備だった。そのため、機動力と突破力に勝るゴットフリート皇子率いるヒンメル族が突入してきたら大混乱に陥っただろう。


「ゴットフリート皇子の部隊はともかく、よく帝国軍の騎兵部隊に追いつかれませんでしたね。ずいぶん無理をしたのではありませんか」


 帝国の城塞都市フックスベルガー市からここまでは約百キロメートル。実質三日半でそれだけの距離を移動したことになる。


 王国軍の標準的な行軍速度は一日当たり二十キロメートルだが、今回は一・五倍ほどの速度で移動した計算だ。重装備の歩兵が多いため、無理をしたことは明らかだが、そのお陰でギリギリ追いつかれずに済んでいる。


「卿に言われて予め準備していたからできたことだ。まあ、初日はそれほどではなかったが、敵の騎兵が思いのほか速かったからな。二日目以降は死に物狂いで逃げてきた」


 私が依頼したのは撤退ルートに必要な物資を準備しておくことと、空にした輜重隊の荷馬車に歩兵を乗せることだ。更に騎兵に偽装するために多めに予備の馬を用意していたため、速度を維持できた。

 但し、すべての歩兵が馬車に乗れたわけではないので、歩兵たちは疲労困憊の者が多い。


「この後の敵の動きをどう見る?」


「こちらを牽制するために対岸に布陣した後、引き上げるでしょう」


「渡河作戦はないと見ていいのだな」


 五万人近い帝国兵が対岸にいるため、不安を感じているようだ。


「はい。帝国の狙いは帝国領に入り込んだ我が軍を捕捉して殲滅することです。それが失敗に終わった以上、長居はしないでしょう。それにエーデルシュタインではラウシェンバッハ師団が暴れていますし、リヒトロット市や南部鉱山地帯でも旧皇国軍が破壊活動を行っています。この状況では些細なことでも旧皇国民たちが立ち上がる可能性がありますから、治安維持に注力せざるを得ません」


 私が自信をもって言うと、ルートヴィヒ卿も安堵の表情を浮かべた。


「なるほど」


「数日間ここで休養した後、中央軍と北部方面軍は引き上げさせても大丈夫でしょう。もちろん、警戒は今までと同様に必要ですが」


 渡河作戦には浮橋が必要になる。西部総督府のあるフックスベルガー市で浮橋用の小型船を作っていると情報があったが、こちらを引きずり出すための偽情報であったことが分かっている。


 但し、嫌がらせのためにこちらの水軍に焼き討ちを掛けてくるようなことは充分に考えられるので警戒を緩めるわけにはいかない。


「卿はどうするのだ? グラオザント城は遠すぎるし、エーデルシュタインにもう一度行くこともないのだろう?」


「はい。私は王都に帰還するつもりです。陛下に状況を説明し、次の手を打たねばなりませんので」


 その後、義勇兵団がいる宿舎に向かった。

 ヒンメル族との戦いで約七百人の戦死者と五百人弱の負傷者を出している。これは前線に出た義勇兵のほとんどが死傷したことを示していた。

 獣人族部隊が一度の戦闘でこれほど多くの戦死者を出したことは初めてだった。


(やはり無理があった。結果としては成功したが、それは近衛連隊がいたからに過ぎない。一歩間違えれば、戦線を切り裂かれて浮橋を破壊されていただろう。そうなったら私を含め、東岸に残った者は第一軍団と第四軍団に押しつぶされていたはずだ。南の防衛にはエッフェンベルク師団を回すべきだった……)


 私は義勇兵を使ったことを後悔していた。

 帝国軍の騎兵部隊を警戒したため、エッフェンベルク師団を温存した。騎兵部隊の方が数的に多いし、守りを得意とするエッフェンベルク師団でなければ防げないと考えたためだ。


 しかし、義勇兵団が失敗すれば、エッフェンベルク師団を使わざるを得なかった。それなら最初からエッフェンベルク師団を南側の防衛に回し、東に義勇兵を配置した方が損害は少なかっただろう。


(グラオザントでも同じように死傷者を出しているのだろうか。いや、間違いなく出ているだろう。向こうの方が戦いの規模は大きいのだから……)


 グラオザント方面には一万二千人の獣人族を送り込んでいる。ラザファムたちが鍛えたとはいえ、そのほとんどがここにいる義勇兵と同じレベルだった者たちだ。

 それに相手は皇帝率いる精鋭だから、大きな損害が出てもおかしくはない。


 気が重いが、義勇兵たちの働きに報いるため、彼らのところに行かなければならない。

 重い足取りで宿舎に入る。

 宿舎の中では治癒魔導師たちが懸命に治療を行っていた。


 死傷者の多くは第一列と名付けた部隊の者だ。彼らは近衛連隊を抜けてきたヒンメル族の戦士たちと戦ったが、倍以上の騎兵を前に奮戦したものの、近衛連隊のように連携できないため、その多くが命を落としている。


「諸君らの活躍で我が国は救われた! もし浮橋を破壊されていたら、一万を超える王国兵が孤立し、敗北しただろう。そして、このヴェヒターミュンデ城も奪われ、我がラウシェンバッハ領を含む、王国東部が帝国の手に渡ったはずだ。君たちはそれを防いでくれた! 見事な戦いだった!」


 私の言葉に右腕を失った若い兵士が涙を流しながら聞いてきた。


「俺は国の、家族の役に立ったんですね」


「そうだよ。君たちがいなかったら数千の王国兵が殺されていた。その中には私もいただろう。それだけじゃない。雪崩れ込んできた帝国軍に故郷が、ラウシェンバッハ領が蹂躙されたかもしれない。誇っていいことだ」


 私がそう言うと、負傷者たちが涙を流している。


(私の指揮が拙かったせいで、彼は利き腕を失った。これから不自由な生活を強いられる……)


 罪悪感を覚えながらも声を掛けていった。


 負傷者たちに声を掛けた後、戦死者の遺体が安置されている場所に入る。

 敵の領内での戦闘であり、更に時間も限られていたが、義勇兵たちが遺体を背負って持ち帰ったのだ。


 戦死者の中には見知った顔の者も多く、言葉が出ない。

 生き残った義勇兵が知り合いの遺体を前に涙を流している。

 義勇兵の多くが十代半ばから二十代前半の若者だから、彼らの兄弟や友人なのだろう。


 彼らにも声を掛けるが、喜んでくれることに再び心に痛みが走る。

 しかし、無理やり笑みを作り、彼らの奮戦を褒めていった。


 最後にアレクサンダー・ハルフォーフ少将の近衛連隊の宿舎に向かった。

 近衛連隊も五十名近い戦死者と五百五十名ほどの負傷者を出していた。死傷率は約七十五パーセントで、一騎当千の猛者たちが厳しい戦いをしていたことがよく分かる。


 負傷者たちを見舞った後、椅子に座って休んでいるアレクサンダーと話をする。


「お疲れさまでした」


「確かに疲れましたが、マティアス殿の指揮のお陰で何とか生き残れました。特にゴットフリートの直属は手こずりましたよ」


 そう言いながら不敵に笑っている。

 手こずったと言っているが、一人でゴットフリート皇子と直属の兵五名ほどの相手をし、無傷だ。彼にとってはそれほど厳しい戦いではなかったのだろう。


「先ほど聞きましたが、アレク殿が戦う姿がケンプフェルト閣下のようだったと噂になっているみたいですね」


「とんでもない。閣下の足元にも及びませんよ」


 そう言って笑っている。


「ところで近衛連隊の負傷者ですが、義勇兵より軽傷者が多い気がしました。一番厳しいところで戦っていたのに、この違いは腕の差ということでしょうか?」


 最前線で戦い続けていた近衛兵だが、全体の七割近い負傷者を出しているが、四肢を失った者はほとんどおらず、治癒魔導とその後の療養で復帰できる者がほとんどらしい。


「うちの連隊の者は東方系武術の皆伝の者が多いですから。複数の敵に囲まれない限り、短時間の戦いなら致命的な傷を防ぐことは難しくありません」


 東方系武術には“硬衣法”という外的強化の技がある。達人になれば、防具がなくても斬撃を防ぐことができるらしい。


「なるほど。義勇兵にも東方系武術の使い手は多いですが、そこまでの腕の者は多くなかったということですか」


 義勇兵は全員身体強化が使える。身体強化は中伝で修得するが、硬衣法はその先の奧伝だ。その差が出たようだ。


「戦いで戦死者が出ることは仕方がないですよ。彼らのことを忘れろとは言いませんが、引きずらないようにした方がいいでしょう。生き残った者のためにも」


 アレクサンダーは私が落ち込んでいると気づいたようだ。


「ありがとうございます。明日には切り換えられると思います」


 それだけ言うと、私は司令官室に戻っていった。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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