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第二十四話「ヴィーク防衛戦:後編」

 統一暦一二一六年九月二十九日。

 ゾルダート帝国西部、シュヴァーン河東ヴィーク付近。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵


 シュヴァーン河の渡し場ヴィークにおいて、ゴットフリート皇子率いる遊牧民ヒンメル族との戦いが始まった。


 当初は弩弓による奇襲により敵は大きく混乱したが、ヒンメル族の戦士たちの戦意は一向に衰えず、前線では激しい乱戦になり、後方にいる私のところでも戦士たちの雄叫びと悲鳴、馬の嘶きが響き、時折血吹雪が舞う様子まで見えるほどだ。

 この状況に私は困惑していた。


(まずい状況だな。逃げてくれると思ったんだが、草原の民の戦意を甘く見ていたようだ。さて、この状況では戦術も何もない。どうしたものか……)


 幸いアレクサンダー・ハルフォーフ少将率いる近衛連隊が奮戦し前線を維持しているが、敵の数はまだ多く、このままでは戦いを早期に終息させることができない。


「通信兵! ラムザウアー中将に連絡せよ! 長弓兵による支援を求む。目標は近衛師団の前方! 但し、二連射のみだ!」


 これ以上時間を掛けると、ゴットフリート隊だけでなく、帝国軍の騎兵部隊に攻撃される。そのため、東から来るであろう帝国軍の騎兵部隊を警戒しているエッフェンベルク師団に救援を要請した。


 但し、歩兵を突入させると、集団戦に慣れていない義勇兵たちが混乱し、思わぬ事態を招かないとも限らないので、長弓兵による援護射撃だけだ。


 拡声の魔導具を使い、義勇兵たちに命令を出す。


『第二列! 第三列! ゆっくり私のところに集まれ! 集まりつつ、弩を放ち続けよ!』


 第一列は近衛連隊と一緒にヒンメル族の戦士と戦っているが、このままでは第二列と第三列としていた弩弓兵部隊が勝手に戦場に殴り込みそうだったので、私がいるところまで下げさせた。


 幸い、敵はゴットフリート皇子を中心に円陣を組むように集まっているため、追撃はなかった。

 その結果、我が方も私を中心とした円陣のようなものが出来上がった。


(何とも無様な陣形だな。分かっていたこととは言え、戦術も何もない……)


 心の中で自嘲しながら命令を出す。


『第二列、第三列の一番外にいるものは弩弓を捨て、各自の武器を構えよ! 全軍、ゆっくり前進! 近衛連隊を支援する!』


 その間にエッフェンベルク師団から援護射撃が届いた。

 放たれた矢はヒンメル族の戦士たちに降り注ぎ、落馬する者が続出し混乱が生じた。その結果、最前線と敵の間に僅かだが隙間が生まれる。

 長弓兵たちは命令通りに二回矢を放つと、元の場所に戻っていった。


 これでゴットフリート皇子ならこちらの弩弓兵が守りに入っていると気づくだろうし、こちらが止まればこれ以上の損失を防ぐため、タイミングを計って後退していくはずだ。


『前進停止! この場で敵を迎え撃て!』


 しかし、その命令はすぐに実行されなかった。

 第一列として敵と直接剣を交えている義勇兵たちが興奮し、命令が聞こえなくなっているのだ。


全軍停止せよ(アッレ・アンハルテン)!』


 この言葉を私が叫ぶと、周囲の兵士たちも同じように“全軍停止せよ(アッレ・アンハルテン)”と叫ぶ。

 これはラザファムたちが率いる遊撃軍で採用した方法だが、義勇兵たちにも刷り込ませてあった。


 義勇兵たちの前進が止まる。

 しかし、最前線では激しい戦闘が続いていた。


■■■


 統一暦一二一六年九月二十九日。

 ゾルダート帝国西部、シュヴァーン河東ヴィーク付近。ゴットフリート皇子


 俺は今、グライフトゥルム王国近衛連隊長アレクサンダー・ハルフォーフ少将と名乗る強敵と剣を交えている。

 総大将たる俺が剣を振るっているが、自ら望んで戦っているわけではない。


 敵の獣人族戦士たちが無謀な突撃で乱入してきた。その獣人族をようやく排除できたと思ったところで、強敵であるハルフォーフが来てしまったのだ。


 剣を交えているといったが、一対一ではなく、俺と直属の戦士たちがハルフォーフ一人と戦っている状況だ。一対一なら一刀で両断されていただろう。


「ヒンメル族の誇りに賭けて、ツェーザルを守れ!」


 族長のセリム・ヒンメルが馬上を繰り出しながら叫んでいる。

 直属の戦士たちも同じようにハルフォーフに槍を突き出しているが、相手にならない。


 その間に敵の後方から多数の矢が降り注ぐ。

 俺の後ろでは多くの戦士が矢を受け、落馬する者が続出する。


全軍停止せよ(アッレ・アンハルテン)!』


 敵陣から突然停止命令が出た。

 それだけはなく、獣人兵たちも同じように“全軍停止せよ(アッレ・アンハルテン)!”と叫び、圧力が僅かに弱まる。


 これで周囲を見る余裕ができた。

 先ほどまでいた弩弓兵は円陣を組み、守りに徹する態勢になっている。


(長引くとマウラーたちの軍が到着するから、こちらを引かせようとしているのか……敵の思惑に乗るのは癪だが、これ以上ヒンメル族の戦士たちを失うわけにはいかん……)


 どのくらいの戦士が命を落としているのか分からないが、少なくとも千を超える戦死者を出しているはずだ。


 草原の者たちを守るためなら全滅する覚悟でもよいが、マクシミリアンを助けるためにこれ以上の損害を出す気はない。


「この隙に後退するぞ! 右に転進せよ!」


 俺の命令を受け、戦士たちが同じように叫ぶ。


「「右へ進め!」」


 そして、一斉に馬首を翻して馬を駆けさせる。

 ハルフォーフが追撃してくると思ったが、彼は追撃の命令を出さなかった。


「これ以上の攻撃は不要! 守りに徹しよ! 負傷者は後方に下げろ!」


 そう叫びながら俺に向かってニヤリと笑った。


 それで俺も察した。

 奴は最初から俺を殺すつもりがなかったのだと。


(機動力を生かした騎乗戦闘なら勝ち目がないとは思わんが、手綱を握った状態で捌けるほど奴の攻撃は緩くはないはずだ。あの後ろにはラウシェンバッハがいるようだから、何らかの謀略に利用しようというのだろう……)


 戦っている途中から、この部隊の指揮を執っている人物がマティアス・フォン・ラウシェンバッハ本人であると確信していた。

 俺が帝国を出奔する原因を作った張本人であり、討ち取ってやろうと無理をしてしまった。


(また奴の手の平の上で踊らされたようだな……まあいい。俺は草原で静かに暮らすだけだ……)


 自嘲の言葉が出そうになるが、何とかそれを堪えて戦士たちに命令を出す。


「敵が追撃してくることはない。負傷者と馬を失った者に手を貸してやれ!」


 グライフトゥルム王国軍でもこちらを警戒しているものの、負傷者たちを回収しており、追撃してくる様子は見られない。


 更にその後方では俺たちが引き上げ始めたのを見て、残っていた部隊が渡河を開始していた。


(それにしても危うかった。あのマクシミリアンが恐れるはずだ……)


 ラウシェンバッハと直接戦うのは初めてだが、その能力の高さに感嘆を禁じ得ない。


(俺たちの接近を正確に予測した洞察力。奇策を生み出す発想力。精鋭である獣人族戦士を的確に動かす指揮能力……弟が帝国最大の敵と言うはずだな……)


 そんなことを考えながら敵を迂回してから北上する。

 目的は急行している第一軍団のローデリヒ・マウラー元帥に会うためだ。


 幸いなことに北公路(ノルトシュトラーセ)に入ったところですぐに第一軍団が見つかった。


 馬を走らせながらマウラーを探す。


「ゴットフリートだ! マウラー元帥に話がある!」


 そう叫ぶと、集団の中からマウラーが現れた。

 馬を並走させ、先ほどの戦いについて説明する。


「敵はこちらの策を読んでいた。我らは敵の獣人族部隊の待ち伏せに遭い、手痛い損害を受けた。この速度なら敵の渡河は終わっているだろう」


「敵が読んでいたのですか……」


「そうだ。ラウシェンバッハ本人が獣人族を率いて待ち構えていた。俺たちは奴に嵌められたのだ」


「ラウシェンバッハ本人が……それは真ですか?」


 マウラーが信じがたいという表情を浮かべている。


「おかしなことはないだろう。マクシミリアンも……皇帝陛下もラウシェンバッハがシュッツェハーゲンに向かわず、ここの防衛に回ると考えていたと思うが」


 一応、周りに人がいるため、弟のことを“皇帝陛下”と呼んでおく。


「それはその通りなのですが、つい先ほどエーデルシュタインで後方の指揮を任されているペテルセン総参謀長から連絡がありました。ラウシェンバッハ師団に南部街道を封鎖されたため、引き返してほしいと。その情報の中にラウシェンバッハ本人が指揮を執っているとありましたので驚いたのです」


「エーデルシュタインで指揮を?」


 一瞬驚くが、すぐに地図を思い浮かべ、可能だと判断した。


「エーデルシュタインならシュヴァーン河を下れば、さほど時間は掛からん。あり得ぬ話ではないな」


 俺の言葉でマウラーも気づいたようだ。


「なるほど。エーデルシュタインからここまでは約七百キロ。早馬でも十日は掛かるでしょうが、シュヴァーン河を急いで下れば、三日もあれば到着できますな。それにしてもどこまで見えているのでしょうか、あの千里眼(アルヴィスンハイト)殿には」


 マウラーの表情は驚きから呆れに変わっていた。


 その後、偵察隊を先行させたが、俺の予想通り王国軍は渡河を終え、浮橋は撤去されていた。

 軍を停止した後、マウラーと二人だけで話し合う。


「見事にやられました。こうなってはヴェヒターミュンデ城を落とすことは叶いますまい。もっともエーデルシュタインに急行してもラウシェンバッハ師団は撤退しているでしょうからあまり意味はないでしょうが」


 歴戦のマウラーにしてはやや投げやりな感じがした。


「ここにいても仕方あるまい。それよりマクシミリアンの方が危ないのではないか? ラウシェンバッハが何もせずに戻ってくるとは思えぬのだが」


「そうですな……それにしても殿下も陛下のことが心配ですかな?」


「心配というか、今回の損害は馬鹿にならん。その補償をしてもらわねばならんからな」


 そう言って笑うと、マウラーも微笑みながら頷いた。


「なるほど」


 そんな話をした後、俺はヒンメル族に合流するため、帝国軍から離れていった。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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