第二十話「グラオザント会戦・前哨戦:その十四」
統一暦一二一六年九月二十八日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東、シュッツェハーゲン軍防衛陣地内。ラザファム・フォン・エッフェンベルク侯爵
グラオザント会戦四日目が終わろうとしている。
午前中にゾルダート帝国軍の猛攻があったものの、グランツフート共和国軍とハルト師団の活躍により、防御陣を守り切っている。
但し、その代償は大きく、グランツフート共和国軍では七百名を超える戦死者と二千名近い負傷者を出している。これでロイ・キーファー将軍の部隊は九千名を割り込み、厳しい状況になった。
我が軍も百名ほどの戦死者と二百名弱の負傷者を出しているが、激しく攻撃した割に死傷者は多くない。これはロイ殿の部隊の穴を埋めるだけで、無理をさせなかったためだ。
我が軍よりシュッツェハーゲン軍の損害の方が馬鹿にならなかった。
強固な防衛陣地から矢を放っていただけだが、敵第二軍団の攻撃を受け、戦死者五百、負傷者一千という大きな損害を出していたのだ。
これは一昨日のエンゲベルト・メトフェッセル侯爵の汚名を返上するために兵士が防御を顧みずに矢を放ち続けたためだが、やる気は買うものの戦力の温存という点ではあまり評価できない。
帝国軍だが、激しく攻撃してきた割には、戦死者は五百人弱と我が方の三分の一ほどだ。
帝国軍の重装歩兵の防御力が高く、指揮も的確であるためだが、少しずつ戦力差を埋められていることに司令部だけでなく、兵たちの間にも焦りのようなものを感じていた。
帝国軍が完全に撤退したことを確認した後、軍議が開かれる。
「このまま主導権を帝国軍に握られ続ければ、いずれ我々同盟国軍は敗北します。何らかの手を打つべきでしょう」
軍議が始まると、イリスが最初に発言した。
「儂も同じ考えだ。我々の方が数は多いが、遊兵も多い。このままではロイの部隊が削られて戦線自体が崩壊するだろう。だからといって穴埋めを行っても同じことの繰り返しだ。何らかの抜本的な手を打たねば、兵の士気が保たぬだろうな」
ゲルハルト・ケンプフェルト元帥の言葉に多くの将が頷く。
「しかし、奇襲や夜襲は封じられています。手を打つと言っても……」
シュッツェハーゲン軍のタンクレート・アイゼンシュタイン侯爵が憂い顔で発言する。
「俺に考えがあります」
ハルトがそう言って立ち上がった。普段の飄々とした感じはなく、真剣な表情だ。
「それは何ですか、イスターツ中将」
アイゼンシュタイン殿が期待の篭った目で聞く。
「皇帝にとって一番嫌なことをやってはどうかと思うんですよ。マティがやるような嫌らしい手を使えば、皇帝も苛立つでしょうし、冷静さを失ってくれれば、付け込む隙もできるでしょうから」
「それは分かるけど、具体的にはどんな手を打つつもりなの? 皇帝が嫌がることといっても思いつかないんだけど?」
イリスの言葉に私も頷いた。
「嫌がらせと言っても夜襲を仕掛けることはできないし、伏兵も置けない。罠もイリスの策はあるが、今日の調子だと恐らく有効な手とならないぞ」
私たちの主張にハルトは自信をもって答える。
「皇帝が一番気にしているのは俺たち遊撃軍だ。それも獣人族という点に危機感を持っているはず。逆に言えば、獣人族が活躍できるような下準備をされることが一番嫌なはずだ」
「分かったわ! 敵の目を潰すのね。野営地の周りでは真実の番人の間者が哨戒を行っているから、それを潰すということね」
「さすがはイリスだな、その通りだ」
ハルトはニッと笑った後、全員に向かって説明を続ける。
「間者が減れば、夜襲への対応だけじゃなく、別動隊の索敵にも支障が出ます。それに真実の番人の間者が相手です。うちの精鋭なら互角以上に戦えます。奇襲が得意な連中を集めて敵の野営地近くに送り込めば、それほどリスクなく敵の目を潰せるでしょう」
なかなか嫌らしい手だ。
夜間に篝火のない場所で哨戒を行えるのは間者だけだ。どれくらいいるかは分からないが、百人以上ということはないだろう。
「いい手ね。帝国の財政状況を考えれば、この戦いのために追加で雇ったとしても二、三十人程度。帝都や他の地域から引き抜いたとしても百人を超えることはないわ。私の予想だと多くても八十人、恐らく五十人程度のはず。それだけの数の間者を失えば、真実の番人も帝国との契約を考え直すはずだから、皇帝にとっては頭が痛い問題のはず」
イリスの言葉に頷くが、一つ懸念があった。
「皇帝がいるということは梟がいるはずだ。遊撃軍の兵士は影に鍛えられた者もいるが、ラウシェンバッハ師団の第四連隊や偵察大隊と同レベルと考えると足元を掬われるぞ」
梟は皇帝直属の暗殺部隊だ。
叡智の守護者の情報分析室や王国軍の情報部が探ろうとしているが、未だに全貌は明らかになっていない。
但し、神霊の末裔とその下部組織である暗殺者集団、夜が支援しているらしいことは分かっている。
更に神霊の末裔は今年の初めにあった大陸会議で大賢者様が指摘された通り、魔導器に手を加え、人工的な超人を作ろうとしていることが分かっている。
そのことを説明すると、アイゼンシュタイン殿やケンプフェルト閣下が考え込む。
しかし、ハルトは楽観的だった。
「確かに遊撃軍の主力は夜を渡り合えるほどの技量はないが、イリスの護衛を含め、黒獣猟兵団出身の者も少なくない。彼らを指揮官とすれば、野営地に忍び込んで皇帝を暗殺するような任務ならともかく、哨戒部隊を狩るだけなら大きなリスクはないはずだ」
「そうね……マティの予想では、梟は多くても三十人ほど。皇帝の護衛を考えれば、それほど多くは動かせないわ。それなら小隊規模で動けば問題はないわね」
イリスが賛成に回る。
「ハルトとイリスが問題ないというのであれば、儂は反対せぬ。タンクレート殿、やらせてみてはどうだろうか」
アイゼンシュタイン殿はその言葉を受け、更に考えるが、少ししてから頷いた。
「グライフトゥルム王国軍に負担を掛けることになりますが、この状況を打破するために是非ともお願いしたい」
こうして敵の間者を狩る策は採用された。
その後、王国軍の野営地に戻り、部隊の編成に入る。
指揮官候補が少なく、第一連隊長のラルフ・ヤークトフント大佐、イリスの副官のエルザ・ジルヴァカッツェ中佐、イリスの護衛で黒獣猟兵団の隊長サンドラ・ティーガーの三名がそれぞれ一個小隊二十名を率いる。
兵たちも集まったところで、発案者のハルトが説明を始める。
「目的は嫌がらせ、皇帝を悔しがらせるだけだ。だから無理をする必要はないぞ」
いつも通りの親しみやすい話し方で、緊張していた兵たちの表情が緩む。
「野営地にはあまり近づくなよ。罠がどこに張り巡らされているのか分からんのだからな。それに今日は様子見だ。お前たちが野営地の近くまできて何かしていると皇帝に認識させれば充分だ。サンドラ隊は南、ラルフ隊は東、エルザ隊は支援に徹してくれ。想定していない状況になったら通信の魔導具で連絡してくれ。俺だけじゃ不安だろうが、ラズもイリスもいるんだ。マティとは言わんが、いい案を出してくれるだろう」
その言葉に兵たちが更に微笑む。
日付が変わる頃、ラルフたちが出発した。
帝国軍の野営地は五キロメートルほどしか離れていないから、一時間ほどで到着したという連絡が入る。
『野営地から約二百メートルの位置に到着しました。今のところ、野営地の外に敵の哨戒部隊の姿はありません。野営地ですが、夜襲を警戒しているようです。思った以上に篝火が多くあり、死角らしきものは見つかりません。以上』
現場で指揮を執るラルフ・ヤークトフントが抑揚の少ない口調で報告してきた。
彼はラウシェンバッハ騎士団で小隊長を務めていたが、その沈着冷静な指揮を買われて遊撃軍の連隊長になった男だ。
「了解。作戦通り、ラルフ隊とサンドラ隊は前進せよ。エルザ隊はその場で待機。以上」
ハルトの命令に了解と返事があった。
その後、一時間ほどは何も起きなかったが、ラルフ隊から報告が入った。
『真実の番人の間者と思われる兵三名を倒しました。ですが、殲滅する前に警告を発せられました。野営地内で動きが見えます。指示をお願いします。以上』
その報告を受け、ハルトが私に聞いてきた。
「一旦退避でいいな。こちらがどれだけの戦力を送り込んでいるか知られたくないからな」
「それでいい。よくやったと伝えてくれ」
私の言葉にイリスも満足げな表情で付け加える。
「私も満足しているわ」
ハルトは頷くとラルフに命令を出した。
「今日はこれで終わりだ。ラルフ隊とサンドラ隊は引き上げてくれ。エルザ隊は敵の動きを確認してから戻ってくれ。但し、敵が近づいてくるようならすぐに撤退だ。それからみんなよくやってくれた。俺もラズもイリスも満足している。以上だ」
通信が終わると、イリスが話し始めた。
「これを皇帝がどう見るかが楽しみだわ。本格的な夜襲の準備と見るか、それとも単なる嫌がらせと見るか。それによって明日以降の動きが変わってくると思うわ」
その言葉にハルトと共に頷いた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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