第十八話「グラオザント会戦・前哨戦:その十二」
統一暦一二一六年九月二十八日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東、シュッツェハーゲン軍防衛陣地内。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人
グラオザント会戦が始まって四日目の朝を迎えた。
昨日の日中降り続いた雨は夜には止み、地面はぬかるんでいるものの、青空が広がっている。
昨日、私の師団とハルトの師団をグランツフート共和国軍の天幕に隠したが、帝国軍は騎兵部隊を周囲に派遣して警戒を強め、歩兵部隊は矢を射かけるだけでほとんど戦闘は起きなかった。
「皇帝も慎重ね」
朝食を摂りながら兄ラザファムに話しかける。
「そうだな。騎兵を我が軍の警戒に回すとは思わなかった」
兄様はそう言いながら苦笑している。私も同じ気持ちだ。
ある程度警戒するとは思っていた。しかし、野営地に残した第二軍団の騎兵を含め、すべての騎兵を我が軍への警戒に回してくるとは思っていなかった。
「まあ、いいことじゃないか。それだけ警戒しているということは、俺たちが予想外の動きをすれば、帝国軍が過剰反応するってことだからな」
パンを齧りながらハルトが暢気そうに言ってきた。
「過剰反応されるとなると、作戦が立てられなくなるわ。こんな時、あの人がいてくれたら助かるんだけど」
夫マティアスがいれば、この状況を上手く利用したはずだ。
「マティはいないんだから仕方がないさ。それより今日の戦いはどうなると考えているんだ?」
ハルトの問いに兄様が答える。
「遊撃軍がシュッツェハーゲン軍の防衛陣地にいると考えているだろうから、全軍で攻めてくるだろうな。ただ無策で攻めてくることはないだろう。こちらの配置を見てから判断するだろうが、遊撃軍の姿が見えなければ、キーファー将軍の陣地に集中するんじゃないかと思っている」
「私も同感よ。ロイ殿の陣地を守るためにはシュッツェハーゲン軍の支援が重要だけど、帝国軍はシュッツェハーゲン軍を甘く見ているから、そこに集中するはず」
グラオザント城とこの防衛陣地の間にあるロイ・キーファー将軍の陣地は馬防柵のみの簡易なもので、兵力も一万弱だ。
最右翼にあるケンプフェルト元帥の陣地の方が半包囲を受ける可能性があるため厳しいが、閣下の名声と帝国軍歩兵の防御力を考えると、ロイ殿の陣地を狙う可能性が高い。
今回ここに出陣してきた帝国軍の歩兵の多くが分厚い鎧を身に纏い、弓兵以外は盾を装備している。そのため、鎧や盾によって矢が防がれ、思った以上に損害を与えられない。
本来の帝国歩兵は攻城戦を考えてもう少し軽装なのだが、野戦になることとシュッツェハーゲン軍が多くの弓兵を用意してくることを想定していたのだろう。
同じように騎兵もいつもより重装備で馬にも簡易の鎧をまとわせている。
「なるほどな。だとしたら、天幕に隠れている策は有効ということか」
「そうなるわ。だから、私の師団はロイ殿の陣地に隠しておいて、ハルトの師団はシュッツェハーゲン軍の防衛陣地に配置してはどうかと思う。その上で防壁の上にハルト師団を配置すれば、敵は遊撃軍が全部ここにいるように考えるはずだから」
「その方向でアイゼンシュタイン殿に提案しよう」
すぐにこの策が採用され、私の師団はロイ殿の陣地に入っていった。
■■■
統一暦一二一六年九月二十八日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東。第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥
今日はほぼ全軍で出撃する。
昨日はグライフトゥルム軍の獣人兵を警戒したが、周囲を探ったものの痕跡すら見つからず、彼らはシュッツェハーゲン軍の防衛陣地に隠れていたと結論付けられたためだ。
更に真実の番人の間者を派遣し、敵が出撃していないことは確認させている。但し、あまり近づくと敵の哨戒部隊に狩られてしまうので、敵陣が見えるところまでは接近させていない。
「一昨日の敗北から時間を置きたかったのだろうな。それだけ敵は追い詰められたということだ」
陛下の言葉に私とカール・ハインツ・ガリアード元帥が同時に頷く。
「我が軍団も昨日の休息のお陰で万全の体制になっております」
「我が軍団も同様です」
一昨日の戦いで我が第二軍団では一千名近い戦死者と二千名ほどの負傷者を出している。
負傷者については治癒魔導師によって三分の二ほどが復帰し、我が軍団の戦力は二万八千名ほどにまで回復した。
ガリアード殿の第三軍団の被害は我が軍団より少なく、二万九千ほどが出撃可能だ。
「今日の戦いでグラオザント城横のグランツフート共和国軍の陣地を無力化する。ガリアードよ、卿の軍団に任せる。エルレバッハはケンプフェルト隊とグライフトゥルム軍を拘束し、ガリアードを助けよ」
「「御意」」
陛下はより厳しいところに我が軍団を配置するようだ。
その御信任に応えなければならないと気持ちを引き締める。
朝食を終えると、敵陣まで行軍する。
一昨日と配置は逆で、左翼側に我が第二軍団、右翼側に第三軍団だ。いずれも歩兵が前衛でそれを支援する騎兵部隊がやや後方に配置されていた。
第三軍団は配置につくとすぐに前進を開始した。
それに少し遅れて我が軍団にも前進を命じる。
「キューネル隊、前進せよ! フィッシャー隊、エーリング隊はグランツフート共和国軍の騎兵部隊とグライフトゥルム軍に警戒しつつ、ゆっくり前進だ」
アウグスト・キューネル将軍は第三師団長で、一昨日同様歩兵部隊を任せている。剣闘士のような厳つい風貌だが、彼の姿が見えると兵たちの士気が上がると言われているほど慕われている。
第二師団長ゲールノート・エーリング将軍は騎兵九千を率い、歩兵部隊の左翼後方に待機し、牽制してくる共和国軍の騎兵部隊やグライフトゥルム軍に対応させる。
第一師団長ヤン・フェリックス・フィッシャー将軍は騎兵五千を率い、私の直属として歩兵部隊の後方に待機しつつ、不測の事態に備えさせる。
キューネル隊がシュッツェハーゲン軍の防衛陣地に攻撃を開始した。
五千の弓兵が一斉に矢を放つ。
すぐに敵からも同程度の矢が撃ち返され、不運な兵が矢を受けて悲鳴を上げる。
それでも全体から見ればごく僅かで、着実に前進を続けている。
「一昨日から敵の攻撃の精度が上がった気がするな」
陛下がそう呟かれた。
「その時からグライフトゥルム王国軍が入っていたのかもしれませんな」
「エッフェンベルクの部隊ならあり得るか……だとしたら、シュッツェハーゲン軍の力を相当危惧しているな」
陛下のおっしゃる通り、弱兵のシュッツェハーゲン軍を支援しようとしているのだろう。
その間にもキューネル隊は前進を続けている。
「ガリアードも慎重だな。それとも左右からの攻撃を気にしているのか……」
私は指揮に専念しているため、右翼側の動きはあまり見ていられないが、我が軍団と同じ程度の進み具合のようだ。
一昨日、エーリングがグラオザント城から攻撃を受けたことを重く見ているらしい。
「グライフトゥルム王国軍の獣人兵が土塁の上に現れました。第三軍団に矢を射かけるようです」
土塁の右側面に二千人ほどの獣人兵が弓を持って現れているのが見えた。
「やはりここに隠れていたのか……土塁の上にも矢を放て」
命令通りに矢が放つが、獣人兵は易々と矢を払いのける。距離があることもあるが、飛んでくる矢をほぼ確実に払いのける身体能力の高さに驚きを隠せない。
更に前進を続けていると、参謀の一人が報告してきた。
「グランツフート共和国軍の騎兵部隊が動き始めました! 左翼側を迂回するようです」
左手を見ると、遠くにグランツフート共和国軍の軍旗が動いているのが見えた。
このままでは防御陣地の土塁に取り付かれ、騎兵の出番がなくなると思ったのだろう。
「エーリングに敵騎兵部隊に対処せよと伝えよ」
私が命令を出したところで、陛下がぼそり呟かれた。
「気に入らぬな……」
「何か気になることでも?」
「順調すぎる。いや、敵の動きが予想通り過ぎることが気に入らぬ。もっと悪辣な罠が隠されているのではないか? ガリアードが慎重なのもそれを感じているのかもしれぬ」
「確かにその懸念はございますが、昨日はそれを逆手に取られました。警戒は必要ですが、あまり気にしすぎるのも敵の策のうちではないかと」
「うむ……卿の言う通りだ。しかし、この辺りの駆け引きはラウシェンバッハに通じるものがある。そうなると、イリスの軍師としての能力が高いということかもしれんな」
その言葉に私は頷くことしかできなかった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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