第十五話「グラオザント会戦・前哨戦:その九」
統一暦一二一六年九月二十六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人
エンゲベルト・メトフェッセル侯爵率いるシュッツェハーゲン軍の騎兵部隊が窮地に陥っている。
私の師団が牽制することで何とか三千近くが脱出したようだが、未だに五千近くの兵が脱出できずに抵抗を続けている。
しかし、助けに行く気はなかった。
(さすがは帝国軍の将ね。こちらを誘いつつメトフェッセル隊を攻撃しているわ。あんなところに突っ込んでいったら、こちらの被害が馬鹿にならない……)
帝国軍第二軍団の騎兵部隊は一個連隊ほどをこちらに向けつつ、メトフェッセル隊を逃がさないように半包囲している。更に予備の騎兵部隊五千もいつでもこちらに向けられるように警戒している。
それだけでも我が師団より多いし、敵が騎兵ということで突入した後に撤退することも難しい。
我が師団だが、今は第二軍団の歩兵部隊に断続的に攻撃を仕掛けている。これはハルトの師団と呼吸を合わせているもので、敵歩兵部隊に出血を強いつつ、騎兵部隊を牽制しているのだ。
更に兄様の師団から放たれる矢によって敵歩兵部隊は手を打てないでいた。
(そろそろ頃合いね。これ以上戦えば、第三軍団が本格的に参戦してくるわ……)
敵第三軍団はゲルハルト・ケンプフェルト元帥とフランク・ホーネッカー将軍の部隊が絶妙に牽制しており、今のところこちらに来ていない。
しかし、ケンプフェルト閣下の部隊が陣地から出ていないことと、ホーネッカー将軍の騎兵部隊が近寄らないことから、本気で攻めてくることはないと看破しているはずだ。
「ラザファム様からご命令です! イリス師団はタイミングを計って後退せよとのことです!」
通信兵が兄様の命令を伝えてきた。
「了解。第五、第六連隊は後退! 第三、第四連隊はその場で前衛の後退を支援! 第一、第二連隊は一度押し込んだ後、全力で後退しなさい!」
その命令を参謀たちに伝えると、すぐに各隊が動き始めた。
(今日の戦いの最大の成果はうちの兵がきちんと使えると分かったことね。これならこの先の戦いでも不安はないわ……)
当初は命令に従い続けられるか不安があった遊撃軍の兵士たちだが、激しい攻勢を掛けたものの冷静さを失っていない。
徐々に後退しているが、敵歩兵が激しく追撃してくる。
更に前衛が下がったことで距離が開き、敵の弓兵が攻撃を加えてきた。そのため、負傷者が増加していく。
「負傷者を優先的に後退させなさい!」
命令しながら、メトフェッセルに対して怒りが沸く。
(そもそもあいつがでしゃばって来なければ、こんなことにはならなかった。生き残ったみたいだけど絶対許さないわ……)
メトフェッセルが少数の護衛と共にグラオザント城に逃げ込んだことは、兄様から聞いている。兄様は怒りをぶちまけることこそなかったけど、無理やり抑え込んでいる感じがしていた。
「第三、第四連隊! 一度押し出しなさい! 但し、五十メートルだけよ! すぐに戻るように!」
敵の歩兵がしつこいため、後退を支援している二千の兵を押し出して牽制する。
これにより、敵兵の動きが鈍った。
何度も痛い目に遭っているため、敵将も慎重になったのだろう。
何とか安全な場所まで撤退する。
「みんな、よくやってくれたわ! 正確な数は分からないけど、敵の騎兵に少なくない損害を与えたそうよ!」
私の言葉に周囲の兵が「「オオ!」」と歓喜の声を上げる。
「負傷者の治療を優先しなさい! それと油断しない範囲で身体を休めること。もう一度言うわ。本当によくやってくれたわ!」
そう言った後、私は兵たちの間を回り始めた。
■■■
統一暦一二一六年九月二十六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東。ラザファム・フォン・エッフェンベルク侯爵
午後五時頃、日が傾き、厚い雲が広がる空は暗くなり始めている。
戦場から帝国軍がゆっくりと後退し、長かった二日目の戦いは終わりに近づいていた。
(なんとも後味の悪い戦いだったな。司令部の空気も悪い……)
エンゲベルト・メトフェッセル侯爵率いるシュッツェハーゲン軍の騎兵部隊だが、最終的に全体の三分の一を超える三千五百人ほどが戦死し、四千人以上が負傷した。部隊の七十五パーセント以上が死傷者という壊滅的な状況だ。
これでも見るに見かねたグランツフート共和国軍が強引に攻勢を仕掛けたから、この程度で済んでいる。もし、それがなければ、戦死者は五千を超えていたはずだ。しかし、そのつけとして共和国軍は五百名以上の戦死者と二千人近い負傷者を出している。
我が軍も三百名ほどの戦死者と五百名以上の負傷者を出している。
無謀な攻撃を仕掛けた割には少ないといえるが、メトフェッセルが暴走しなければ、出さなくてもいい犠牲と言っていい。
これほど酷い結果だが、元凶ともいえるメトフェッセル自身は早期に離脱し、全くの無傷でグラオザント城に逃げ込んでいた。
そのことをシュッツェハーゲン軍の将兵が恥じ、空気が重いのだ。
「奴には必ず報いを受けさせます!」
総司令官であるタンクレート・アイゼンシュタイン侯爵が激しく憤っていた。
共和国軍の参謀長ダリウス・ヒルデブラント将軍はそんな彼を微妙な表情で見ている。
ダリウス殿としては二千五百もの死傷者を出す気はなかった。
しかし、ゲルハルト・ケンプフェルト元帥が友軍を見捨てられぬと動いた結果であり、何も言えないが、アイゼンシュタイン殿がメトフェッセルの手綱をしっかりと握っていれば起きなかったと思っているのだろう。
帝国軍が完全に引き上げた後、戦死者の遺体の回収などを命じた。
今日一日で四千人以上の戦死者を出しているため、夜になっても作業は続くはずだ。
雨が降りそうな天気であり、兵たちの苦労を考えると気が重くなる。
その後、総司令部に主要な指揮官が招集される。
その中にメトフェッセルは含まれていない。彼はアイゼンシュタイン殿によってグラオザント城の牢に投獄されたためだ。
全員が集まったところでアイゼンシュタイン殿が大きく頭を下げる。
「我が軍の一部隊が暴走し、同盟国各軍にご迷惑をお掛けしました。メトフェッセルは指揮権を剥奪の上、グラオザント城の牢内に拘束しております」
その言葉にケンプフェルト閣下が感情を排した声で話し始める。
「言いたいことがないとは言わぬが、今はこの戦いに勝つことに注力すべきだ。今一番気にしているのは兵たちの士気が下がっていることだ。我ら三ヶ国同盟軍はこの二日で六千を超える戦死者を出しているが、一方の帝国軍は多く見積もっても二千五百。我らの方が押されていたことは誰の目にも明らかだからだ」
閣下のおっしゃる通り、兵の士気が下がっている。
といっても、我が軍や共和国軍はさほどでもなく、シュッツェハーゲン軍の兵だけだ。
「夜襲を仕掛けますか?」
我が軍の参謀長ディアナ・フックス大佐が発言する。
まだ若く普段は物静かだが、ケンプフェルト閣下のような偉大な将に対しても物怖じしない。マティから学んだだけあって大胆な性格のようだ。
「確かに敵は勝利に沸いているでしょうから、効果はありそうです」
アイゼンシュタイン殿が賛同するが、ケンプフェルト閣下を含め共和国軍の将は誰も賛同しない。もちろん、我々グライフトゥルム王国軍の者もだ。
「イリス、恐らく儂の同じ考えだと思うが、お前の意見を聞かせてくれぬか」
妹は閣下に小さく一礼する。
そして、理由を説明し始めた。
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