第十四話「グラオザント会戦・前哨戦:その八」
統一暦一二一六年九月二十六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東。エンゲベルト・メトフェッセル侯爵
私が指揮する騎兵一万はグラオザント城を迂回し、混乱する敵騎兵部隊の側面に出るはずだった。しかし、目の前には敵の騎兵が整然と並び、我々を迎え撃とうと武器を構えて待っている。
その姿に背筋に冷たいものが流れた。
(グライフトゥルム王国軍は何をしているのだ! 攻撃し始めたのではなかったのか! なぜ最後まで攻撃を続けぬ!……だから女の指揮官に任せてはならんのだ!……いや、そんなことを考えている暇はない。このままでは殺されてしまう……)
強い恐怖を感じ、思わず命令を出していた。
「引け! このまま突撃しても無駄死にするだけだ!」
本来なら勢いを維持したまま、敵を回避すべきだが、南側にいけば敵の歩兵部隊から攻撃を受けるし、北に向かえばいつの間にか移動していた騎兵部隊にぶつかることになる。
そのため、引き返すという言葉しか出なかったのだ。
私は部隊の先頭からやや後ろにおり、そこで手綱を引いて馬首を巡らせた。先頭集団も私の命令が聞こえたため、手綱を引いて速度を緩める。
この行動に後続の兵たちが大混乱に陥った。
(しまった! これでは味方を混乱させただけではないか……)
後悔するが、今更撤回することもできない。
その間に混乱は更に大きくなっていく。
「何が起きた! こんなところで止まれば、敵に蹂躙されるだけだ!」
「何をしている! 前に進め!」
そんな声が響いているが、私は友軍であるグランツフート共和国軍の簡易陣地に馬を向けていた。
(あの女が悪いのだ。奴が攻撃し続けなかったから、こんなことになったのだ……)
そんなことを考えている間に敵が攻撃を仕掛けていた。
「敵が突撃してきたぞ! 防げ!」
「散開しろ! まともに受けてもやられるだけだ!」
振り返ると、正面にいた敵騎兵部隊が猛然と突撃し、我が軍を蹴散らし始めている。
「助けてくれ!」
「そこをどけ!」
指揮官の怒号と兵の悲鳴、馬の嘶きが戦場を支配し、軍としての秩序など全くない。
更に後方では北から突撃してきた騎兵部隊に分断されつつあった。
「引き返せ! このままでは全滅する!」
「追撃を受けるよりマシだ! 留まって戦え!」
様々な命令が飛び交い、兵たちが混乱している。
私はその混乱に目と耳を塞ぎ、グラオザント城に向かう。
周りには直属の兵が百人ほど付き従っているが、その兵も後方では討ち取られつつあった。
もっとも私の直属部隊は一千五百名いたが、その大半は混乱の中に置いてきている。
「グラオザント城の北に撤退せよ! 城に近づけば敵も追っては来ぬ!」
そう命じたものの、それは味方を囮にするためだ。
私自身は東側のグライフトゥルム軍の方に逃げている。あの部隊まで辿り着けば、敵も私を追うことはできないからだ。
私は背後のことを無視して、馬に拍車を当て続けた。
■■■
統一暦一二一六年九月二十六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東。第二軍団第二師団長ゲールノート・エーリング将軍
シュッツェハーゲン軍の騎兵は大混乱に陥っている。
この千載一遇のチャンスに俺は最前線に立って兵を鼓舞していた。
「蹂躙せよ! 陛下の御前で手柄を挙げるのだ!」
兵を煽るように声を上げているが、油断はしていない。
(イリス隊がそろそろ動くはずだ。さっきは意表を突かれたが、同じ手ではやられぬ……)
ラウシェンバッハの獣人兵の強さは八年前のシュヴァーン河沿いの戦いで知っているつもりだった。
当時の俺は大隊を率いる上級騎士に過ぎなかったが、伝令や輜重隊が次々とやられていく話を聞き、次に狙われるのは自分の大隊ではないかと恐怖を感じていたことをよく覚えている。
そのため、警戒していたのだが、想像を超える動きに対応が遅れてしまったのだ。
予想通り、イリス隊が動いた。
「「前進せよ!」」
「「前進せよ!」」
獣人兵たちが“前進せよ”と叫びながらゆっくりと進んでくる。
「第一連隊は獣人兵を蹴散らせ! だが敵の動きに惑わされるな!」
俺の命令で直属の第一連隊二千五百の騎兵が馬を駆けさせる。
もっとも戦場が狭いため、全力での突撃ではないが、二千五百騎の馬蹄が響き、兵たちの士気が上がるのを感じていた。
ここまでの動きは予定通りだ。
俺もメトフェッセル隊の殲滅を部下に任せ、イリス隊に向けて馬を走らせる。
「イリス隊にひと当てしたら、メトフェッセル隊に向かえ! 追撃してくる敵は第三師団に任せろ!」
グランツフート共和国軍の簡易陣地を攻撃する第三師団の歩兵部隊を見ると、イリス隊の動きを見て弓を構えている。こちらに向かい、側面を晒したところで矢を射かけるためだ。
「何!」
あと百メートルというところまで接近したところで、敵が突然動きを変えた。
それまでのゆっくりとした前進をやめ、全速力で第三師団の歩兵部隊に向かい始めたのだ。
我々と正面からぶつかるはずが左に逸れていく。そして、その方向にはグランツフート共和国軍の簡易陣地があった。
(このまま向きを変えてイリス隊に突撃すれば、敵陣地の前を通過することになる。側面から矢を射られれば損害は馬鹿にならない。それにその先にはイスターツの隊も出てきているようだ。どう動く……)
僅かに逡巡した後、命令を出す。
「左に転進! メトフェッセル隊に向かえ!」
ひと当てしてから向かう予定がただ迂回しただけになってしまった。
イリス隊を横目に見ながら馬を進めるが、グラオザント城から激しく矢を射かけられてしまう。
「散開しろ!」
「矢が多すぎる!」
「た、助けてくれ……」
部下たちの悲鳴と怒号、矢を受けた馬の悲しげな嘶きが響く。
(しまった! イリス隊の動きに目を奪われ過ぎた! してやられたか……)
内心で毒づくことしかできない。
イリスは目立つように声を上げさせながら、ゆっくりと部隊を前進させた。そのため、それまで攻撃をしてこなかったグラオザント城のことを一瞬失念してしまったのだ。
城にいるシュッツェハーゲン軍の弓兵は防御陣地とは異なり、城壁の上から矢を放ってくる。その射撃は正確で威力もあり、俺の周りでも何騎もの兵が脱落していた。
「走り抜けろ! 敵騎兵部隊に紛れれば、敵も攻撃はできん!」
まんまと誘い込まれたことに怒りが沸くが、それを無理やり抑えてメトフェッセル隊の殲滅に集中する。
イリス隊を諦め南から接近したことで、メトフェッセル隊を半包囲する形になった。
既に敵の隊形はズタズタになっており、十人程度の小部隊が抵抗しているだけで、既に軍として機能していないため、殲滅は容易だ。
「第一連隊はグライフトゥルム軍を警戒しつつメトフェッセル隊を攻撃せよ!」
そう命じたものの、イリス隊がこちらに向かってくるとは考えていない。
(メトフェッセル隊を助けるつもりなら、もっとしつこくこちらを攻撃してきたはずだ。だが、あの動きはメトフェッセル隊を囮にして、我々と第三師団の歩兵部隊にダメージを与えにきている。エッフェンベルクの命令だろうが、なかなか冷徹な決断をしたようだな)
第三師団の状況は分からないが、我が隊の損害は五百を超えているはずだ。メトフェッセル隊が殲滅されても三ヶ国同盟軍の戦力の低下はほとんどないが、主力である我々や歩兵部隊に千人単位の損害が出るなら、充分に割が合うと考えたのだろう。
「目の前の敵を殲滅したら第三師団の支援に向かうぞ! 先ほどの借りを返さねばならんからな!」
俺の言葉に部下たちが応え、攻撃に激しさが増した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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