第十三話「グラオザント会戦・前哨戦:その七」
統一暦一二一六年九月二十六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東。皇帝マクシミリアン
二日目の戦闘が始まった。
我が軍は右翼に第二軍団、左翼に第三軍団を配置した。
第二軍団の歩兵一万五千が、グランツフート共和国軍一万が守る簡易陣地を攻撃し、馬防柵に取り付いている。
第三軍団の歩兵部隊一万五千はシュッツェハーゲン軍の防御陣地に向かっているが、昨日より激しい矢での攻撃を受けている。射撃が昨日より正確で威力も増しているようだ。そのため、空堀の手前で足が止まりつつあった。
グライフトゥルム軍はこちらが攻撃を開始したことで、グラオザント城と共和国軍の簡易陣地の間にイリス隊が、共和国軍の簡易陣地とシュッツェハーゲン軍の防御陣地の間にイスターツ隊が移動している。
グランツフート共和国軍の騎兵一万は、第三軍団の騎兵に対応するためか、敵の最右翼ケンプフェルト隊が守る防衛陣地の外側に移動している。この騎兵部隊とケンプフェルト隊は未だに戦闘に参加していない。
この状況で第二軍団の騎兵部隊一万が動く。
簡易陣地とグラオザント城との間に入り込むように見せかけ、イリス隊が突出するのを誘っている。
「なかなか見事な動きだな。指揮するのはエーリングだったな」
「その通りでございます」
余の問いに第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥が答える。
第二師団長ゲールノート・エーリング将軍はまだ四十一歳と若い将で、騎兵の指揮を得意とする。
兄ゴットフリートと士官学校では同期であったため、重職に就けることに懸念の声が上がったが、その指揮能力の高さを買い、余自らが第二師団長に指名した。
エーリング隊の動きにイリス隊が反応する。しかし、その動きは予想を覆すものだった。
イリス隊は獣人族の敏捷性を生かし、エーリング隊に突進し始めたのだ。
両者の距離は四百メートルほどあったが、僅か一分ほどで千名ほどの獣人族戦士がエーリング隊に取り付いた。
その急激な動きに、牽制のため遊弋していたエーリング隊に動揺が走り、陣形が僅かに乱れる。
そこにイリス隊の後続部隊から多数の矢が放たれた。
矢を受けたエーリング隊の馬が暴れ、更に陣形が乱れる。その隙にイリス隊の前衛は一気に後方に下がっていく。
「絶妙のタイミングでの攻撃だな。それに引き際もいい。あのまま留まれば、歩兵部隊のいい的になっただろうからな。イリスは指揮官としても有能なようだな」
「そうですな。我が軍に来ればすぐに師団長になれる逸材でしょう。もっともこの程度でエーリングの隊を崩すことはできませんが」
余もエルレバッハも余裕があった。
イリス隊の動きは予想できなかったが、騎兵部隊が乱れることは予定通りだったためだ。
「これでメトフェッセルが動きだすでしょう。彼にはエーリング隊が混乱しているとしか見えていないでしょうから」
第二軍団の騎兵部隊は最初から苦戦するように見せかけることでメトフェッセルの騎兵部隊を引き付け、エルレバッハ自らが率いる騎兵五千で殲滅する予定だったためだ。
「凡将には良くも悪くも己の見たいものしか見えぬからな」
その言葉にエルレバッハに笑みが浮かぶ。
余とエルレバッハの予想通り、シュッツェハーゲン軍の騎兵部隊一万が動いた。
■■■
統一暦一二一六年九月二十六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東、シュッツェハーゲン軍防御陣地内。ラザファム・フォン・エッフェンベルク侯爵
帝国軍の攻勢は激しさを増した。
我が方の左翼、グラオザント城とこの防衛陣地の間にあるグランツフート共和国軍のロイ・キーファー将軍が指揮する簡易陣地に向けて戦力を集中し始めたのだ。
キーファー将軍の部隊は歩兵一万。そこの第二軍団の歩兵一万五千と騎兵一万が迫っている。
騎兵部隊を牽制すべく、イリス師団を動かした。
イリスは獣人族兵士の一個連隊一千名を全力で向かわせつつ、後方から矢を射かけた。
射撃の精度はそれほどでもなかったが、突撃してくる連隊に対応しようと前進した敵騎兵部隊に混乱を与えている。
「イリス卿の指揮は見事ですね。これなら敵もキーファー殿の陣地への攻撃はできないでしょう」
総司令官であるシュッツェハーゲン軍のタンクレート・アイゼンシュタイン侯爵が満足そうにそう言ってきた。
「あれは帝国軍の擬態です」
「あれが擬態? そうは見えませんが」
マティの戦術の講義を受けていないと理解できないと思い、具体的に説明する。
「敵第二軍団の軍団長旗をよく見てください。混乱が起きているのであれば、司令部を含め、慌てている様子がどこかに見られるはずです。ですが、軍旗に目立った動きは見られません……」
アイゼンシュタイン殿は私の指摘を受け、敵の動きを目で追っている。
「騎兵部隊に多少の混乱はあるのでしょうが、本当に大混乱に陥っているなら、エルレバッハ元帥ほどの将であれば、彼の手元にある騎兵五千の予備部隊を動かすはずです。しかし、予備部隊は後方にやや下がっただけで支援に向かう素振りがありません」
「確かに……ということは、イリス師団を引き込もうとしているということでしょうか?」
「いいえ。イリス師団が無駄に追撃しないことは帝国軍も分かっているはずです。狙いは貴軍の騎兵でしょう。メトフェッセル侯爵に動かないように念を押した方がよいと思います」
そこでアイゼンシュタイン殿も敵の意図を理解したようだ。
「確かに……通信兵! メトフェッセル殿に動くなと伝えよ! これは総司令官の命令だと念を押しておけ!」
しかし、その命令を叫んだ直後に騎兵部隊が動き始めた。
「何をしているのだ、メトフェッセル殿は! 通信兵! メトフェッセル殿に繋げ! 直接話をする!」
「メトフェッセル侯爵閣下から伝言です! 敵に混乱が起きた今が好機である。これより我が部隊は敵右翼に突撃する。その動きに合わせて本隊も全面攻勢に出てほしい。これより指揮に専念するので通信には出ないとのことです! 通信兵もその場に残るように命じられたそうです!」
エンゲベルト・メトフェッセル侯爵は完全に皇帝の思惑に乗せられている。
「伝令を……」
アイゼンシュタイン殿が更に言い募ろうとしたので、私はそれを止めた。
「通信兵を残したということはこれ以上何を言っても無駄でしょう。それよりこの事態を最悪のものにしないために手を打った方が賢明です」
「た、確かに……しかし、無理に攻撃すれば、こちらの戦線が崩壊する恐れがあります。何かよい手があるのでしょうか?」
自軍の無謀な行動に冷静さを失っているようだ。
「メトフェッセル隊が第二軍団に攻撃を仕掛けるタイミングで、イリス師団を第二軍団の騎兵に突撃させます。そのままではイリス師団の側面に第二軍団の歩兵が攻撃してきますから、それを牽制するためにハルト師団を前に出しましょう」
「ハルト師団を前に……皇帝に向かって突撃するように見せるということでしょうか?」
さすがにシュッツェハーゲン軍を任されるだけあって、ヒントを与えれば理解できるようだ。
「その通りです。更にケンプフェルト閣下にも出撃していただき、第三軍団を牽制すれば、メトフェッセル隊が脱出する時間くらいは稼げるはずです」
「確かにメトフェッセル隊を救うことはできますが、貴軍と共和国軍に大きな損害が出る恐れがあります。ケンプフェルト殿には出撃する素振りだけ見せていただくことにしましょう」
その言葉に私は驚きを隠せなかった。
「よろしいのですか? 貴軍の騎兵が大きな損害を受けることになりますが」
「騎兵一万を救うために、この戦いで敗れては意味がありません。貴軍と共和国軍の損耗を防ぐことが最善であると確信しています」
アイゼンシュタイン殿は冷静に自軍の兵力と我々の兵力を比較し、自軍を切り捨てることを選択した。
「分かりました。第二軍団に対してイリス師団とハルト師団が攻撃を掛けます。ダリウス殿、第三軍団が我が軍に向かわないよう無理のない範囲で牽制をお願いできますか」
横で聞いていた参謀長のダリウス・ヒルデブラント将軍が頷く。
「承知しました。元帥とホーネッカー将軍にその旨を伝えます」
グライフトゥルム王国軍に命令を出す。
「イリス師団は第二軍団の騎兵がメトフェッセル隊を攻撃したところで、歩兵部隊の右側に突撃せよ。ラザファム師団は矢を射続け、それを支援。ハルト師団はイリス師団が攻撃を開始したところで第二軍団の歩兵部隊に突撃するように見せるのだ……」
そうこうしているうちにグラオザント城を迂回したメトフェッセル隊が敵右翼に到着した。迂回するといってもグラオザント城自体は小さな城であり、距離にすれば一キロメートルほどしかないためだ。
その短時間でも第二軍団の騎兵一万は混乱から回復していた。そして、五千の騎兵をメトフェッセル隊に、二千五百がイリス師団に向いている。残りの二千五百はメトフェッセル隊の側面を攻撃するため、北に数百メートル移動していた。
メトフェッセル隊は縦に長く伸びた隊形で万全の体制で待ち受ける敵に突入していく。
帝国軍まで五十メートルほどに近づいたところで、先頭集団が異常に気付き、速度を緩めてしまう。
先頭集団が速度を緩めたことで後続部隊も慌てて手綱を引き、更に隊形が歪になる。
「何をしている! あのまま突撃した方がまだマシだろう!」
思わずそう吐き捨ててしまった。
「これでは蹂躙されてしまいますな。なんと拙い……」
ダリウス殿も呆れ交じりに零していた。
そこに帝国軍の騎兵部隊が突入していった。
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