第十一話「グラオザント会戦・前哨戦:その五」
統一暦一二一六年九月二十六日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城北東、帝国軍野営地内。皇帝マクシミリアン
二日目の朝、朝食を摂っていると、第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥が驚くべきことを報告してきた。
「昨夜から兵たちの様子がおかしかったため、調査を行いました。その結果、ラウシェンバッハがエーデルシュタインを攻撃しているという噂が広まっており、兵たちが動揺しております」
「ラウシェンバッハがエーデルシュタインを攻撃しているだと」
思わず食事の手が止まる。
「はい。昨日、グライフトゥルム王国軍のイリス隊と交戦した際、敵兵がこう叫んでいたそうです。“マティアス様がエーデルシュタインを攻撃している。お前たちの戻る場所はない”と。更に“軍の上層部は隠しているが、伝令が来なくなっているはずだ”とも」
確かに四日前に補給部隊と一個大隊が殲滅されたという情報の後、伝令が届かなくなっていた。そして、一個大隊五百人を殲滅できるだけの兵力が投入されていることに危機感を持っている。
しかし、国境から遠いエーデルシュタイン付近までラウシェンバッハ自らが出張っているとは全く考えていなかった。
エッフェンベルクやイスターツなら分からないでもないが、ラウシェンバッハは身体が弱く、敵中深くに入り込むような冒険をすることはあり得ないためだ。
「それが事実なら由々しき事態だ。だが、ラウシェンバッハ本人が我が帝国内に入って指揮を執ることなどあり得ぬ」
エルレバッハも同じことを考えているのか、即座に頷いた。
「陛下のおっしゃる通りですが、兵たちの間に伝令が届かなくなったことを知っている者がおり、疑心暗鬼に陥っているようです」
「厄介なことを……イリスの策であろうな。兵たちを動揺させ、有利に戦いを進めようと考えたのだろう」
こういった搦め手はラウシェンバッハがよく使う手であり、妻であるイリスも当然その効果を理解している。
「今日の出撃前に余から全軍に話をする」
エルレバッハも余の考えに同意する。
「それがよろしいでしょう」
朝食を終え、出撃準備が終わったところで全軍を整列させた。
拡声の魔導具を使って話し始める。
『昨日の戦闘で敵が姑息な手を使ってきた。ラウシェンバッハがエーデルシュタインを攻撃しているというものだ。確かに数日前から伝令が届かなくなっている。また、輜重隊とその護衛が全滅したという報告も受けた……』
その言葉に兵たちが僅かにたじろぐ。
但し、我が軍の兵士にこの場で声を出すような者はいないため、ざわめきなどは起きていない。
『だが、それがどうしたというのだ? ここには二ヶ月分の物資がある。ここで一ヶ月戦い、エーデルシュタインに凱旋しても充分に足りるだけの食糧があるということだ』
これはおおむね事実だ。
実際には南部街道にある物資保管庫にある分も含まれているが、エーデルシュタインに戻るのならここで一ヶ月間戦っても何も問題はないのだ。
『それに昨日戦ってそなたたちも感じたのではないか? シュッツェハーゲン王国軍は我が軍の敵ではないと。ならば、彼らを短期間で撃破した後、エーデルシュタインに取って返して蠢動する敵を殲滅すればよい。いや、撃破した勢いをもって敵の補給物資を奪い、シュッツェハーゲン王国内に進攻するということも可能だろう……』
最後の部分については本気ではない。
確かに三ヶ国同盟軍に勝利すれば、シュッツェハーゲン王国内に進軍することは可能だが、敵国内に深く侵攻すれば抵抗は激しくなるから時間が掛かることは容易に想像できる。
そんな状況で後方を遮断されれば、全滅は必至だ。
精々、逃げるシュッツェハーゲン軍を数十キロメートルほど激しく追撃するくらいで、王国の中心部にまで軍を進める気はない。
『グライフトゥルム王国軍とグランツフート共和国軍だが、確かにシュッツェハーゲン王国軍より兵の質は高い。だが、余はそなたらより優れているとは全く考えていない』
その言葉に兵たちに疑問が浮かぶ。実際、獣人族の戦闘力は侮れず、共和国軍の騎兵も我が軍に匹敵する動きを見せたからだ。しかし、それを無視して話を続ける。
『グライフトゥルムの獣人族兵士は個々の能力は高い。だが、軍としては未熟だ。連隊ごとに動くことはできても我が軍の柔軟な動きに対応しきれていなかった。共和国軍だが、さすがに統制が取れていたが、騎兵の数では我が軍に圧倒的に劣る。怖れることなど何もない! そうであろう、エルレバッハ、ガリアード!』
余が二人の元帥に問うと、「「御意!」」という声が返ってきた。
二人に軽く頷くと、力強く話し始める。
『世界一の強兵は我が帝国兵である! 今日の戦いでそれを証明するのだ! 弱兵であるシュッツェハーゲン王国軍、戦術を駆使できぬグライフトゥルム王国軍、数で劣るグランツフート共和国軍に我が精鋭たちが負けるはずがないのだ! この史上最大の戦いでそれを証明してみせよ!』
「「「オオオ!」」」
余の言葉に全軍の兵士が歓喜の声で応える。
充分に士気が上がったことを満足し、出陣を命じた。
『全軍出撃せよ!』
武器を振り上げる兵士たちの目を見ると、不安が消え、力が漲っている。
余はそのまま馬に乗り、エルレバッハの司令部に合流する。
「見事な演説でございました。あとはメトフェッセルを誘き出せば完璧ですな」
「さすがは知将エルレバッハだな。余の考えを読んだか」
エルレバッハが言う通り、今日の戦いではシュッツェハーゲン王国軍の騎兵部隊を参戦させて叩くつもりでいる。
こうすることでシュッツェハーゲン王国軍の士気は確実に下がるし、我が軍の士気は上がる。それに騎兵部隊を救出しようとグライフトゥルム軍と共和国軍が無理をすれば、この後の戦いでも有利になる。
「問題があるとすれば、エッフェンベルクやイリスが自陣営の弱点に気づいていないはずがないということです。メトフェッセルが暴走することは織り込み済みのような気がいたします」
その点は余も考えていた。
「卿の懸念に同意する。だが、味方を見捨てるようなことはできぬ。それをすればシュッツェハーゲンの兵たちは反発するだろう。いかにメトフェッセルに責任があろうとも、同盟国軍が味方を見殺しにすれば必ずわだかまりができるのだからな」
「なるほど。では、グライフトゥルム王国軍と共和国軍が厳しい条件になるように戦いを進めることが重要ということですな」
「その通りだ。幸い、戦いの主導権は我が軍にある。それにあのラウシェンバッハもおらぬのだから、主導権を奪われることもない。エッフェンベルクにしてもケンプフェルトにしても有能ではあるが常識的な将だからな。唯一の懸念はイリスだけだ」
「その点は小職も同意いたします。ラウシェンバッハの陰に隠れており、イリスの策士としての能力が見えておりませんが、昨日の搦め手を考えれば、警戒をする必要はあるでしょう」
レヒト法国との戦いでは、イリスは前線でイスターツの補佐をしていたと聞いている。その際、いろいろと策を献じたようだが、その詳細は不明だ。
ただ、ラウシェンバッハが自身の代わりに彼女を送り込んだのであれば、その能力は侮ることはできない。
「流言の類は封じ込めた。今の兵たちなら新たに情報を流されても踊らされることはない。それにこの地形で奇策は使えぬ。ならば、我が軍に敗北する目はないのだ」
敵の兵力は分かっているし、地形的にも荒地が広がるだけで伏兵を置く場所もない。また、山や川といった自然の地形を用いる策もここではできないから、精々夜襲を仕掛けてくるくらいしか手はないと思っている。
その夜襲にしても仕掛けてきてくれた方がありがたいと思っている。既に十分な準備は行っているから、夜戦に強い獣人族兵士が襲撃してきても敗れることはない。逆にグライフトゥルム軍が失敗すれば、三ヶ国同盟軍に勝機がないと両軍の兵士が認識するだろう。
午前九時頃、三ヶ国同盟軍が待つ防御陣地の前に我が軍が並んだ。
兵たちは演説の後の興奮が冷め、いつも通りの冷静さを見せている。
余はその兵たちの姿を見て、今日の勝利を確信した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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