第五話「ペテルセン、搦め手で攻める」
統一暦一二一六年九月十九日。
ゾルダート帝国中部エーデルシュタイン、帝国軍駐屯地内。ヨーゼフ・ペテルセン元帥
ラウシェンバッハの手の者にいいようにやられている。
第四連隊を送り込んだが、三割ほどの兵と連隊長であるレーマン騎士長を失い、這う這うの体で撤退した。
もっともレーマンが敗死することは想定内だ。
あの男は無能ではないものの、連隊長の器ではなかった。大隊程度なら充分に指揮できるため、狭い街道で使ってみたが、予想通り討ち取られてしまった。
その結果、これまでは奇襲を受けたから敗れたと思っている者が多かったが、万全の体制の歩兵連隊が成すすべもなく敗れたことから、強い危機感を持つようになり、一定の成果はあった。
危機感は強くなったものの、結果はあまり変わっていない。
大隊単位で森の中に兵を送り込んでみたが、どれほど警戒しても敵に翻弄され、大きな損害を出して逃げ戻ることしかできなかった。そのため、この作戦は中止している。
更に騎兵大隊を送り出し、ラウシェンバッハの悪口を叫ばせて挑発したが、怒り狂った獣人兵に包囲殲滅された。
本当なら我を忘れてこちらが有利な場所まで追撃してきたところで反撃するつもりだったが、獣人たちは怒り狂っていたものの、冷静さを失うことはなかったのだ。
(やはりラウシェンバッハ師団は優秀だ。しかし、これほど面倒な敵と戦うのは初めてだな。酒を楽しむ余裕すらない……)
そう考えながらも左手に持つワイングラスに口を付ける。
(最高級の白ワインのはずなのだが妙に苦い……まあ、これは気分の問題だな……)
そんなことを考えていると、第三師団長のエヴァルト・ネアリンガー将軍が話し掛けてきた。
「打つ手がありませんが、このままでは陛下の軍に補給もままなりません」
ネアリンガーは憔悴しきった表情だ。
「卿の言いたいことも分かるが、焦っても敵の手に乗せられるだけだ。これでも飲んで気を落ち着けたまえ」
そう言ってテーブルに置いてあるボトルを勧める。
「そのような場合ではないでしょう! このままではシュッツェハーゲン方面が危機に陥るのですぞ! いや、既に危機的な状況なのです! すぐに手を打たねば、兵が動揺するのですから!」
「怒鳴っても解決はせぬよ。それにそろそろ別の手を打てるようになる」
私の言葉に彼の表情が驚きに代わっている。
「手があるのですか! それはどのような!」
そこで私は策の概要を説明した。
「一つ目の策だが、敵の補給ルートを遮断することだ。奴らも食糧がなければ戦えない。補給ルートを遮断すれば、おのずと撤退するだろう。総督府軍に探らせているから、そろそろ判明すると思う……」
その言葉にネアリンガーが期待に満ちた目になるが、それを裏切る言葉を続けていく。
「敵の補給ルートはシュヴァーン河と森の中を通っているはずだが、我々には水軍がない。それに森の中で戦うことになるから、この策にはあまり期待していない」
「確かに……では、他にも手があると」
私の言葉に最初はがっくりと肩を落としたが、他の策もあると気づき、期待に満ちた目で私を見ている。
「ある。それは……」
説明を終えると、ネアリンガーは愕然とした表情になり、更に私に対して非難するような視線を向けた。
「勝利のためとは言え、そのような悪辣な手を使うのですか!」
「ならば、卿に策があるのかね?」
「そ、それは……しかし、このような策を弄せば、民たちは我が国に対して不信感を持つでしょう」
「責任はすべて私が負う。それよりも陛下をお守りすることの方が重要だ」
私が淡々とそう言うと、ネアリンガーはピシっと背を伸ばす。
陛下を守るという強い意志を見せたことで少しは見直したようだ。
「承知いたしました」
そう言うと、彼は私の部屋から出ていった。
私が考えた策はネアリンガーの言う通り悪辣なものだ。
森に近い開拓村に住む者を捕らえ、処刑すると言って脅すのだから。
既に総督府軍を使って百人近い住民を捕らえてある。その中には五歳に満たない幼子など子供も多い。
(全員が無実というわけではないが、関係ない者がほとんどだろう。味方や民に甘いラウシェンバッハなら彼らを見捨てることはない。だとすれば、必ず救出のための行動を起こす。問題は奴自身がここにいるかだ。いなければ、この策は失敗に終わるだろう……)
当初、ラウシェンバッハ本人がここにいるとは考えていなかった。しかし、一連の戦いを見る限り、優秀な指揮官が状況を見ながら指揮していると確信していた。
(師団長のクローゼルは実直で兄の策を確実に実行できるだけの能力を持つが、ここまでこちらを追い込めるほど的確な手を打つことはできないだろう。それができるのはラウシェンバッハ本人か、彼の妻のイリスくらいだ。イリスは共和国にいると報告を受けている。今頃はグラオザントにいるはずだ。つまり、奴本人がここにいるということだ……)
そう確信した私は白旗を持たせた騎士を昨日のうちに南部街道に向かわせている。そして、大声で私からの手紙があると叫ばせた。
それにラウシェンバッハ師団の兵が食いつき、手紙を受け取った。
その手紙には明後日、九月二十一日の正午にエーデルシュタインの郊外で公開処刑を行う旨が書かれている。
(さて、千里眼殿はどう反応するかな? 奴がいる場所はここから四十キロメートル離れている。昨日の夕方に受け取ったそうだから、実質二日しかない。その短時間で有効な策を実行できるかな……)
ラウシェンバッハが冷徹な人物なら私に手を汚させ、民衆の忠誠度を下げる。しかし、奴はそこまで冷徹になり切れない。必ず何らかの手を打ってくるはずだ。
(数を減らしているとはいえ、第三師団八千と南部総督府軍四千五百がいるのだ。精鋭とはいえ、僅か五千では大きな損害を出すだけで救出など不可能だが……さて、お手並み拝見といくか……)
私は少し温くなったワインに口を付けた。
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統一暦一二一六年九月十九日。
ゾルダート帝国中部エーデルシュタイン西南、森林地帯。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
昨日、帝国軍総参謀長ヨーゼフ・ペテルセン元帥からの書簡を受け取った。
その書簡には反帝国活動をしている者を捕らえたこと、明後日の九月二十一日にエーデルシュタインの郊外で公開処刑を行うことが書かれていた。
それを止めたければ、武装解除した上でエーデルシュタインまで来いと書いてある。更に手紙を持ってきた騎士は捕らえられた者は女子供が多いと言っていた。
その話を聞いたラウシェンバッハ師団の兵士たちは皆憤っている。
「どうされるおつもりですか?」
旧皇国軍のヴェルナー・レーヴェンガルトが窺うような目で聞いてきた。
彼にとっては苦楽を共にした協力者とその家族であり、処刑させたくないと考えていることは明らかだ。しかし、百人の協力者と我々王国軍五千人を引き換えにできないことも理解している。
「情報操作を仕掛けるよう指示は出しましたが、時間が圧倒的に足りません。それに我々が投降しても意味がないでしょう。彼らが約束を守るという保証などないのですから」
「確かにそうですが……」
「敵が出てくれば捕らえて捕虜交換という手もあるのですが、ペテルセン元帥はさすがですね。この策を行うと決めたら、全軍を引き上げさせています」
私の言葉にガックリと肩を落とす。
「ユーダさん、お聞きしたいことがあるのですが」
私の後ろに控えている影のユーダ・カーンに声を掛ける。
「どのようなことでしょうか?」
「偵察大隊の一個小隊を使い、明日の朝までに帝国軍の駐屯地の倉庫に火を掛けることは可能でしょうか」
「可能です。但し、全焼させることができるかは保証しかねますが」
ユーダに確認したのはラウシェンバッハ師団の兵士たちを鍛えた影だからだ。兵士たちの実力は理解しているし、情報収集もやっているから駐屯地の情報にも詳しい。その彼が可能ということは成功の確率は高いということだ。
「目的は何なのですか、兄上」
ヘルマンが聞いてきた。
「一つには警告だね。駐屯地に潜入することもできるのだと脅すわけだ。その上で私の署名入りの書簡を置いてくる。住民を虐殺するなら、こちらも手段は選ばないと書いた物をね。上手くいけば、これで住民の処刑を取りやめるはずだ」
「ですが、公開処刑と言っているのです。ペテルセン元帥を暗殺するならまだしも、倉庫に放火をした程度で脅しになるのでしょうか?」
「ヘルマンの疑問はもっともだね。ただ、ペテルセン元帥がこの話を本当に公表しているか分かっていない。つまりブラフの可能性があるということだ」
「なるほど……」
「それにこの短期間ではやれることはほとんどないんだ。救出作戦を実行しようにもどこにどれだけの数が捕まっているか、今から調べていては全く間に合わないんだから」
「確かにそうですね」
ヘルマンは納得したが、本当の理由は別にある。
それは情報操作で我々が住民の救出に全力を尽くしたことを広めるためのアリバイ作りだということだ。
駐屯地の倉庫に火を掛ければ、大きな騒動になる。
その話が広まった頃合いを見て、開拓村の住民が処刑されると聞き、ラウシェンバッハ師団が救出しようとしたという噂を流す。
更にペテルセン元帥が処刑を強行した場合、倉庫の火事は救出作戦の陽動だったが、作戦自体は失敗したという噂を広める。
こうすることでグライフトゥルム王国軍がリヒトロット皇国の民を見捨てたわけではないと思わせ、反帝国感情を煽ることができるだろう。
(もう一つの脅しが上手くいけば、住民たちも解放されるはずなんだが……)
更に考えていることがあるが、これが成功するかは賭けだと思っている。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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