第三十四話「イリス、同盟軍の実力に疑問を持つ」
統一暦一二一六年九月一日。
シュッツェハーゲン王国西部グラオザント城東、グライフトゥルム王国軍野営地。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人
グラオザント城から東に少し離れた、大陸公路の北の荒野に私はいる。
グランツフート共和国軍の英雄ゲルハルト・ケンプフェルト元帥も一緒だ。防衛陣地の作業進捗を一緒に確認しているのだ。
私たちのいる場所から北を見ると、ツィーゲホルン山脈の西の裾野がある。ここが帝国軍の侵攻ルートだ。
ツィーゲホルン山脈の西にはフォーゲフォイヤー砂漠という不毛の地が広がっているため、山脈に沿うように移動せざるを得ないのだ。
もっとも、ここからツィーゲホルン山脈の裾野までは二十キロメートルほどあるから、私たちの裏を掻いて東に向かうこともできないことはない。
その場合、こちらは北に軍を派遣し、敵の補給線を断ち切ればいい。
この程度のことは帝国軍の将なら必ず気づくから、我々を排除することを優先するだろう。
それ以前にマティから、今回の帝国の戦略目的は同盟軍の撃破だと聞いているから、決戦を避けることはないとも思っている。
シュッツェハーゲン王国軍が作っている防御陣地だが、幅五百メートル、奥行き二百メートルほどのものだ。
陣地といっても木の柵で囲うような簡易のものではなく、高さ五メートルほどの土塁と深さ二メートルほどの空堀で囲まれ、土塁の内側には弓兵用の櫓が何本も作られている本格的なものだ。
これは共和国軍と我が軍の参謀が指導した結果で、帝国軍の主力である軽騎兵に対抗することを目的としている。
また、その陣地の両側には二百メートル四方ほどの馬防柵で囲まれた陣地が作られている。これは共和国軍が作ったもので、シュッツェハーゲン王国軍の陣地との間に百メートルほどの隙間があり、後方に回り込むことを防ぐことを目的としていた。
更にグラオザント城との間も百メートルほどしかなく、後方に回るためには東西のどちらかに大きく迂回する必要があった。
「ここもあと数日で完成するな。何とか間に合ったな」
ケンプフェルト元帥の言葉に大きく頷く。
この防御陣地だが、当初のシュッツェハーゲン王国軍の設計ではもっと簡易なもので役に立たないことが明らかだった。
そのため、大きく設計を変更しており、時間が掛かったのだ。
「兵の配置も決まりましたし、ようやく迎撃態勢が整いそうですね」
現在ここにはシュッツェハーゲン王国軍約四万、グランツフート共和国軍約三万、グライフトゥルム王国軍約一万五千の計八万五千もの大軍が待ち受けている。
そのうち、騎兵はグランツフート共和国軍の一万とシュッツェハーゲン王国軍の一万で、他はすべて歩兵だ。
配置としては、中央の陣地にシュッツェハーゲン王国軍の歩兵二万が入り、左右の簡易陣地にはグランツフート共和国軍の歩兵が一万ずつ入る。更に西にあるグラオザント城にもシュッツェハーゲン王国軍一万が入って防御を固める。
騎兵と我が遊撃軍は防御陣地の南側に配置し、防御陣地を攻撃した帝国軍に対し、機動力を生かして襲い掛かるという作戦だ。
もっとも帝国軍の軽騎兵も同じように回り込んでくるだろうから、それを受け止めることも考えている。
「五万人を超える規模の軍が一堂に会するのはフェアラート会戦以来だな。当時とは全く違う精鋭たちだ……」
元帥が感慨深げに呟いている。その言葉に共和国軍の将たちが満足げな表情を浮かべていた。
フェアラート会戦は二十年前にあった戦いだ。リヒトロット皇国を助けるため、グライフトゥルム王国軍三万とグランツフート共和国軍三万の計六万の兵が帝国軍と戦うべく、シュヴァーン河を渡った。
しかし、当時の総司令官が無能で、国境の町フェアラートを早期に攻略せず、帝国の名将ローデリヒ・マウラー元帥率いる一個軍団三万に完膚なきまでに叩かれ、大敗北している。
「ランダル河の時の倍の兵力ですが、楽観はできません。シュヴァーン河での陽動作戦が失敗すれば、我々を凌駕する九万の兵が押し寄せてくることになるのですから」
そう言って引き締めるが、私と兄様、ハルトの予想では二個軍団六万が最大だと思っている。但し、このことは共和国軍にもシュッツェハーゲン王国軍にも伝えていない。
共和国軍のケンプフェルト元帥やヒルデブラント将軍たちなら気を緩めることはないが、兵たちは敵の三分の二の戦力で大勝利を得たランダル河殲滅戦を思い出し、楽観的になりすぎるためだ。
また、シュッツェハーゲン王国軍は、タンクレート・アイゼンシュタイン将軍はともかく、他の指揮官はあまり信用できない。旧態依然とした指揮で問題ないと言い張っている者が多数いるからだ。
そのため、シュッツェハーゲン王国軍には強力な防御陣地と城に配置し、更にグランツフート共和国軍の歩兵がフォローできる配置にしている。
「そうだな。それより、フランクの部隊との連携はずいぶん様になってきたな。まあ、シュッツェハーゲン王国の騎兵部隊とは相変わらずだが」
元帥は最後には苦笑いを浮かべていた。
フランク・ホーネッカー将軍率いる中央機動軍の騎兵一万と我が遊撃軍は通信の魔導具を使った戦術を磨いている。
遊撃軍もこの二ヶ月半ほどの猛訓練により、以前より命令に順応できるようになっている。まだラウシェンバッハ師団ほどの精鋭とは言えないが、無謀な突撃を続けるようなことはないはずだ。
元帥が苦笑したようにシュッツェハーゲン王国軍の騎兵部隊は役に立たないと思っている。
理由は一万という数は揃えたものの、各地から集めた混成部隊であり、命令の出し方一つとっても統一性がなく、装備もバラバラで練度も低い。
これは騎兵が貴族の私兵であるためで、実力がない割に気位が高く、実戦になったら命令を無視して戦うのではないかと思っている。
「アイゼンシュタイン閣下には申し上げていますが、シュッツェハーゲン王国軍の騎兵部隊は戦術予備として後方に配置すべきです。作戦を無視して突撃するような部隊は無益どころか有害でしかないためです。閣下にもアイゼンシュタイン閣下にそう進言していただきたいと思います」
三ヶ国同盟軍の総司令官はアイゼンシュタイン将軍だ。
これは最大の兵数を揃えたことに加え、シュッツェハーゲン王国内での戦いであるためだ。
これについては私と兄様が歴戦のケンプフェルト元帥が全軍を指揮すべきだと主張したが、シュッツェハーゲン王国の貴族の指揮官たちの反対に遭い、聞き入れられなかった。
「儂からも言っておこう。それにタンクレート殿にはダリウスを補佐に就ける。無様な指揮は執らぬだろう」
ケンプフェルト元帥は最も西の歩兵部隊一万を指揮する。ここが一番厳しいからだ。
そのため、本陣とも言うべきシュッツェハーゲン王国軍本隊には参謀長のダリウス・ヒルデブラント将軍を送り込む。
「それにしても八万五千の兵を食わせるのがこれほど大変だとは思わなかったぞ。マティアスが予め準備していなければ、今頃撤退を考えていただろうな」
この場所は大陸の大動脈、大陸公路にあるが、八万五千という大都市に匹敵する兵を養うだけの補給物資を揃えることは至難の業だ。
そのため、マティは半年以上前からグラオザント城と共和国のマッセルシュタイン城に大量の物資を運び込むよう依頼していた。
もちろん依頼するだけでなく、手配も行っている。共和国はともかく、シュッツェハーゲン王国軍ではこれだけの物資の手配などできないためだ。
食料だが、その多くがレヒト法国から運び込まれている。
それも正規の値段で購入したもので、法国の農民や商人は聖職者に奪われるより金になると喜び、我が国や共和国に好意的になりつつある。この辺りもマティらしく抜け目がない。
食料の他に水も必要だ。
この辺りには北のツィーゲホルン山脈と南のシュタークホルスト山地から流れてくる小さな川が無数にあり、この大軍を維持できている。
ここより東西のいずれに行っても水源が十分ではなく、長期の対陣は難しいため、それもあってこの場所が決戦の場に選ばれたのだ。
「最新の情報では最短一ヶ月で帝国軍が現れる。それまでに少しでも戦えるようにしておかねばならん」
元帥の言葉に私は大きく頷いた。
「そうですね。少なくとも我が軍と貴軍で戦線を維持できるだけの力を持たねばならないと思っています」
「そうだな……イリス、お前の知恵が必要になる。いろいろと考えておいてくれ」
元帥は真面目な表情でそう言ってきた。
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